各時代の大争闘
地上の荒廃とサタンの幽閉
キリストが来られる時、悪人は、全地の表面から一掃される。すなわち、主イエスの口の息によって殺され、来臨の輝きによって滅ぼされる。キリストはご自分の民を神の都へ連れて行かれ、地には住民がいなくなる。「見よ、主はこの地をむなしくし、これを荒れすたれさせ、これをくつがえして、その民を散らされる」「地は全くむなしくされ、全くかすめられる。主がこの言葉を告げられたからである」「これは彼らが律法にそむき、定めを犯し、とこしえの契約を破ったからだ。それゆえ、のろいは地をのみつくし、そこに住む者はその罪に苦しみ、また地の民は焼かれ」る(イザヤ書24章1、3、5、6節)。 GCJap 762.1
全地は荒涼たる荒野のように見える。地震によって破壊された都市や村落の廃墟、根こそぎにされた木々、海から投げ出されたり、地中から引き裂かれたごつごつした岩石が、地の表面にちらばっている。一方、広いほら穴は、山々がその基から裂けてしまった跡を示している。 GCJap 762.2
ここで、贖罪の日の最後の厳粛な務めに予表されていた事件が起こる。至聖所における務めが完了して、イスラエルの罪が、罪祭の血によって聖所から除かれた時に、アザゼルのやぎが生きたまま主の前に連れて来られた。そして、大祭司は、会衆の前で、「イスラエルの人々のもろもろの悪と、もろもろのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪をその上に告白し」た(レビ記16章21節)。それと同様に、天の聖所における贖罪の働きが完了した時に、神と天使たちと贖われた人々の群れとの前で、神の民の罪が、サタンの上に置かれるのである。彼が神の民に犯させたすべての罪悪の責任が、彼にあることが宣言される。 GCJap 762.3
アザゼルのやぎが、人里離れた地に送り出されたように、サタンは、住む者もいない荒涼たる荒野と化した地上に追放される。 GCJap 763.1
黙示録の記者は、サタンが追放されることと、地が混乱した荒廃状態になることを預言し、この状態が一千年続くことを宣言している。主の再臨の光景と悪人の滅亡について述べたあとで、預言には、続いてこう言われている。「またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた」(黙示録20章1~3節)。 GCJap 763.2
「底知れぬ所」という言葉が、混乱と暗黒の状態にある地球を象徴していることは、他の聖句によって明らかである。地球の「はじめ」の状態について、聖書には、「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり」と言われている(創世記1章2節〔ここで「淵」と訳されている言葉は、黙示録20章1~3節で「底知れぬ所」と訳されている言葉と同じである〕)。預言には、地が、少なくとも部分的に、この状態に戻るということが教えられている。預言者エレミヤは、神の大いなる日を待ち望んでこう宣言している。「わたしは地を見たが、それは形がなく、またむなしかった。天をあおいだが、そこには光がなかった。わたしは山を見たが、みな震え、もろもろの丘は動いていた。わたしは見たが、人はひとりもおらず、空の鳥はみな飛び去っていた。わたしは見たが、豊かな地は荒れ地となり、そのすべての町は、主の前に、その激しい怒りの前に、破壊されていた」(エレミヤ書4章23~26節)。 GCJap 763.3
ここが、サタンと悪天使たちが、千年の間住む所となる。サタンは、地球に制限されているから、他世界に近づいて、決して堕落したことのない者たちを試み悩ますことはできない。こういう意味で、サタンはつながれるのである。彼が働きかけることのできる者が、だれもいなくなってしまうのである。幾世紀にもわたって彼のただ一つの楽しみであった欺瞞と破壊の行為が、全くできなくなるのである。 GCJap 763.4