各時代の大争闘

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ふるいの時

争闘が新しい分野に及び、踏みにじられた神の律法に人々の心が向けられる時、サタンは騒ぎ出す。使命に伴う力は、それに反抗する人々を怒らせるだけである。牧師たちは、その光が彼らの群れの上に輝かないようにと、ほとんど超人的な力で、それをさえぎろうとする。彼らは、あらゆる手段に訴えて、これらの重大な問題に関する討論を圧迫しようとする。教会は、政権の強大な権力に訴える。そして、この働きにおいて、カトリックとプロテスタントは提携する。日曜休業運動が、ますます大胆に、ますます断固として推進されるにつれて、戒めを守る人々に対して法令が発布される。彼らは、罰金や投獄をもって脅かされる。そして、ある者は有力な地位によって、また他の者は報賞や便宜の提供によって、信仰を放棄するよう勧誘される。しかし彼らは、断固として、「われわれが誤っていることを神の言葉によって示してほしい」と答えるのである。これは、同様の状況の下でルターが行ったのと同じ訴えである。法廷に呼び出された者たちは、真理の力強い弁明をする。そして、それを聞く者の中には、神のすべての戒めを守るという立場を取るように導かれる者が出てくる。こうして、他の方法ではこれらの真理を知ることができない幾千という人々の前に、光がもたらされるのである。 GCJap 704.2

神の言葉に良心的に従うことは、反逆とみなされる。サタンに目をくらまされた親は、信仰を持つ子供を残酷無情に扱う。主人や女主人は、戒めを守るしもべを虐げる。愛情は、冷ややかになる。子供たちは勘当されて、家から追い出される。パウロの言葉は、文字通り成就する。「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」(テモテ第二・3章12節)。真理の擁護者たちが、日曜安息日を尊ぶことを拒む時、投獄される者もあれば、追放される者もあり、また奴隷として扱われる者もいる。人間的に考えて、今そうしたことはありえないように思われる。しかし、神の霊の抑制が人々から除かれ、彼らが神の戒めを憎むサタンの支配下に陥る時、異様な事態が展開するのである。神に対するおそれと愛が取り除かれる時、人の心は、はなはだ残酷になりうるのである。 GCJap 705.1

嵐が迫ってくる時、第三天使の使命を信じると公言していながら、真理に従うことによって清められていなかった多くの者が、その信仰を棄てて反対の側に加わる。彼らは、世俗と結合し、その精神をいだくことによって、ほとんど同じ見方で物事を見るようになっている。そして、試練が来ると、彼らはすぐに、安易で一般うけのする側を選ぶのである。かつては真理を喜んだところの、才能ある雄弁な人々は、その力を用いて他の人々を欺き迷わす。彼らは、以前の兄弟たちにとって、最も苦い敵となる。安息日遵守者が法廷に呼び出されて、信仰について答える時に、これらの背教者たちは、サタンの最も強力な手先となって、彼らを中傷し非難する。そして、偽りの報告やあてこすりによって、彼らに対する権力者たちの怒りをかき立てる。 GCJap 705.2