各時代の大争闘
現代のエリヤたち
神は、どの時代においても、世俗と教会の罪を責めるために、ご自分のしもべたちをつかわされた。しかし人々は、自分たちに対し耳ざわりの良いことが語られることを望み、純粋な、ありのままの真理は受け入れないのである。 GCJap 703.2
多くの改革者たちは、その仕事を始めたときに、教会と国家の罪を非難するのに、きわめて慎重を期した。彼らは、真のキリスト者の生活の模範を示すことによって、人々を聖書の教理に引き戻そうとした。しかし、神の霊がエリヤに臨み、悪王と背信の民を譴責させられたのと同じように、彼らにも神の霊が与えられた。彼らは、聖書の明白な言葉、すなわち、これまで伝えることを躊躇していた教理を、伝えずにはおれなくなった。彼らは、真理と魂をおびやかす危険とを、熱心に宣言せずにはおられなくなった。彼らは、その結果がどうなろうと、主が彼らに与えられたその言葉を語った。そして、人々はその警告を聞かなければならなかった。 GCJap 703.3
第三天使の使命も、このようにして宣布される。それが非常な力で伝えられる時が来るならば、主は謙遜な器を通して働かれ、主の奉仕に献身した人々の心を導かれる。働き人は、学歴ではなくて、聖霊を注がれることによって資格を与えられる。信仰と祈りの人は、聖なる熱意に燃えて出て行き、神から与えられる言葉を宣言せざるをえなくなる。バビロンの罪は暴露される。教会の法令を政権によって強制することの恐るべき結果、心霊術の侵入、法王権のひそかではあるが急速な発展などが、みな暴露される。これらの厳粛な警告によって、人々は動かされる。こうした言葉を聞いたことのない者が、幾千となく耳を傾ける。バビロンとは、その誤りと罪のために、また、天からの真理を拒んだために倒れた教会である、ということを聞いて、彼らは驚くのである。人々が、彼らのかつての教師たちのところへ行って、これらのことは真実であるかと、熱心に尋ねるときに、牧師たちは、作り話を語り、耳ざわりの良いことを予言し、彼らの恐怖と目覚めた良心をしずめようとする。しかし、多くの人々は、単なる人間の権威に満足せずに、はっきりした「主はこう言われる」という言葉を要求するので、一般教会の牧師たちは、昔のパリサイ人のように、自分たちの権威が疑われたことを怒って、そのメッセージはサタンから出たものであると非難し、罪を愛する群衆を扇動して、その宣布者たちをあざけり、迫害するのである。 GCJap 704.1