各時代の大争闘
誤った教義の数々
時代が進むにつれて、誤った教義がローマからやむことなく送り出されていった。法王制が確立する以前でさえ、異教の哲学者たちの教えが教会の中で注目され、影響を与えていた。改宗したという人々の多くは、依然として彼らの異教の哲学の教えに執着し、それを自分で研究するばかりでなく、異教徒の中で勢力を広げる手段として、他の人々にもそれを勧めた。こうして重大な誤りがキリスト教信仰の中に持ちこまれた。それらのうちで特に目立つものは、人間は生来不死であって、死んでも意識があるという信仰であった。この教義を基礎にして、ローマ教会は、諸聖人に祈りをささげることや、聖母マリヤを崇拝することを確立した。また早くから法王教の中に織りこまれていたところの、最後まで悔い改めない者は永遠の責め苦にあうという異端的な教えも、ここから起こったのである。 GCJap 67.2
これに伴ってもう一つ異教のつくりごとが取り入れられることになった。ローマ教会はそれを煉獄と呼び、だまされやすく迷信的な民衆を脅すのに用いた。この 異端的な教えによれば、永遠の滅びを受けるほどでない魂がその罪の罰を受けるべき苦しみの場所が存在し、そこで不純な状態から清められた時天国に入ることを許される、というのである。 GCJap 67.3
ローマ教会が、その信者たちの恐怖と悪行とを利用して益を得るためには、さらにもう一つのつくりごとが必要であった。この必要は、免罪の教義によって満たされた。法王の戦い―─世俗的な主権を拡大し、敵を懲らしめ、法王の霊的至上権を否定する者たちを撲滅するための戦い―─に参加するすべての者に、過去・現在・未来の罪の完全な赦免と、受けるべきすべての苦痛と罰の免除が約束された。また、教会に金を払うことによって罪から解放されること、そしてまた、苦しみの火の中にいる死んだ友人たちの魂をも解放することができること、これらのことを人々は教えられた。このような方法によって、ローマ教会はそのふところを肥やし、キリスト―─まくらする所さえ持たれなかったお方―─の代表者と称する者の豪華とぜいたくと悪徳とを支えたのであった。 GCJap 68.1
聖書的礼典である主の晩餐は、ミサという偶像崇拝的犠牲にとって代わられた。カトリックの司祭たちは、その無意味な儀式によって、ただのパンとぶどう酒を実際の「キリストの体と血」に変えると主張した。彼らは、神を汚す僣越さをもって、万物の創造主であられる神を創造する力があると公言した。キリスト者たちはこの恐ろしい瀆神的邪説を信じるように要求され、さもないと死刑に処せられるのであった。これを拒んだために火刑に処せられた者が無数にあった。 GCJap 68.2