各時代の大争闘
深まりゆく暗黒
暗黒はますますその濃さを増していくように見えた。聖像崇拝はいっそう広く行われるようになった。像の前にたいまつがあげられて、祈りがささげられた。最もばかげた迷信的な習慣が広まった。人々の心は迷信によって完全に支配されたので、理性そのものが失われてしまったかのように思われた。司祭や司教たち自身が享楽を愛し、肉欲にふけり、腐敗していたのだから、彼らの指導を仰いでいた民衆が無知と不道徳に陥るのは、当然のことであった。 GCJap 66.1
さらに法王は、もう一つの僣越なことをした。すなわち一一世紀に法王グレゴリー七世は、ローマ教会は完全であると宣言したのである。その主張の中で彼は、聖書によれば教会はこれまで誤ったことはないし、これからも誤ることがないと言明した。しかし聖書には、このような主張を裏付ける証拠はないのである。高慢な法王はまた、皇帝を退位させる権力があると主張し、自分が布告した宣言を破棄し得る者はだれもなく、一方他のすべての者の決定を取り消す権力が自分にはあると断言した。 GCJap 66.2
こうした絶対無謬を唱えた法王の暴君的性格を示す顕著な実例は、ドイツ皇帝ハインリヒ四世(ヘンリー四世)に対する処置である。ハインリヒ四世は、法王の権威をあえて無視したために、破門と廃位の宣告を受けた。法王の命令に力を得て彼に反逆した諸侯たちの、離反と威嚇に驚いたハインリヒは、法王と和解する必要を感じた。彼は王妃と忠実な従者とを伴って、法王の前に身を低めるため、真冬のアルプスを越えた。グレゴリーが留まっていた城に到着すると、王は護衛もなく外庭に案内され、その厳しい冬の寒さの中で、みすぼらしい衣を着、頭には何もかぶらず、はだしのまま、法王の前に出る許可を待った。彼が三日間断食 とざんげを続けた後、ようやく法王は彼に赦免を与えた。そしてそれさえも、皇帝が位に復して王権を行使する前に、法王の認可を仰がねばならないという条件つきのものであった。こうしてグレゴリーは、自分の勝利に意気揚々となり、王たちの誇りをはぐことが自分の義務であると誇った。 GCJap 66.3
この傲慢な法王の横暴な態度と、キリスト──ゆるしと平和をもたらすために、心の戸の外に立って、入ることを求めておられるキリスト、また弟子たちに、「あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない」(マタイ20章27節)と教えられたキリスト──の柔和と優しさとは、なんと異なっていることであろう。 GCJap 67.1