各時代の大争闘
日曜休業令とその影響
法王制が確立されるにつれて、日曜日尊重の運動が続けられた。一時は、人々は教会に出席しない時には畑仕事に従事し、第七日は依然として安息日とみなされていた。しかし、変更は着々と成し遂げられた。聖職にある者は、日曜日にはどんな民事紛争の判決をすることも禁じられた。その後まもなく、どんな階級の者でも、すべての人は、自由人は罰金、奴隷はむち打ちの刑罰をもって、通常の労働をやめさせられた。後に、金持ちはその財産の半分の没収をもって罰せられることが命令された。そしてついには、なお強情ならば、彼らを奴隷にするという法令が出た。下層階級の人々は、一生の間追放の刑罰を受けるのであった。 GCJap 666.1
奇跡も利用された。いろいろな不思議な話の一つとして、ある農夫が日曜日に畑を耕そうとして、鉄片ですきを磨いていたら、その鉄片が彼の手にしっかりとくっついたので、二年の間彼は「ひどい痛みと恥」をこらえて、それを身につけていたということが伝えられた。 GCJap 666.2
のちに法王は、教区司祭に、日曜日を犯す者たちを訓戒し、彼らが自分自身や隣人の上に大きな災害を招くことがないように教会へ行って祈りをささげるよう勧めることを命じた。教会会議は、日曜日に働いていた者たちが雷に打たれたから、この日は安息日に違いない、という論法を持ち出した。これは、その後も広く用いられ、新教徒さえ採用したものである。高位聖職者たちは、「この日を彼らがなおざりにすることを、神がどんなに嫌悪されるか明らかである」と言った。さらに、司祭や聖職者たち、王侯や貴族たち、そしてすべての忠実な人々は、「この日の栄誉を回復し、キリスト教のために、今後ますます熱心に遵守するよう、彼らは全力をあげて、努力し配慮すること」が要請された。 GCJap 666.3
会議の決議に基づく布告では不十分なことがわかると、教会は、人心に恐怖を与えて日曜日に労働をやめるように強制する法令を発布するよう、政府当局に懇請した。ローマで開かれた宗教会議においては、従来のすべての決定について、さらに大きな強制力と厳格さが再確認された。それらはまた教会法の中に加えられ、ほとんど全キリスト教国にわたって政府当局によって施行された。 GCJap 667.1