各時代の大争闘

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アメリカにおける宗教界の傾向

教会の制度と慣習に対して国家の支持を得るために目下米国で進行している運動において、プロテスタントはカトリック教徒の例にならっている。いやそればかりか、彼らは法王制が旧世界において失った至上権を、プロテスタント・アメリカにおいて再び得るための戸を開いているのである。そしてこの運動にもっと重大な意義を与えるものは、そこに企図されている主要な目的が日曜日遵守―─ローマ法王制に始まり、この教会がその権威のしるしとして主張する慣習―─の強制であるという事実である。プロテスタント諸教会にゆきわたり、法王制がかつて行った日曜日尊重の働きと同じことをするようプロテスタント教会を導いているものは、法王制の精神、すなわち、世俗的習慣への一致の精神、神の戒めよりも人間の言い伝えを尊重する精神である。 GCJap 664.2

もし読者が、まもなく起ころうとしている戦いにおいて用いられる手段を理解したければ、過去の時代に同じ目的のためにローマが用いた手段の記録をたどるだけでよい。法王制とプロテスタントが合同して、彼らの教義を拒む者をどのように扱うかを知りたいならば、ローマが安息日とその擁護者たちに対してあらわした精神を見ればよい。 GCJap 665.1

世俗の権力に支持された勅令、宗教会議、教会礼典などによって、異教の祭日がキリスト教界に高い地位を獲得していった。日曜日遵守を強いる最初の法令は、コンスタンティヌスによって制定された法律であった(紀元三二一年)。この法令は、町の住民には「この尊ぶべき太陽の日」に休むことを要求したが、農民には農業に従事することを許した。実質的には異教の法令であったけれども、それは皇帝がキリスト教を名目上受け入れた後、皇帝によって施行されたのである。 GCJap 665.2

勅令は神の権威に十分に代わり得るものとならなかったので、王侯の寵遇を求めた司教で、コンスタンティヌスの特別な友人であり、追従者であったエウセビウスは、キリストが安息日を日曜日に移されたという主張を持ち出した。この新しい教理を証明するのに、聖書のあかしは一つも示されなかった。エウセビウス自身も無意識のうちにその誤りを認め、この変更の真の創始者を指摘している。「安息日になすべき義務はどんなことでもすべて、われわれが主の日に移した」と彼は言っている。 GCJap 665.3

しかし、根拠がないにもかかわらず、日曜日についての議論は、人々に主の安息日を大胆に踏みにじらせた。世の尊敬を受けたいと願う者はすべて、この俗受けのする祭日を受け入れた。 GCJap 665.4