各時代の大争闘

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真の宗教の危機

キリストの教会にとって危機の時代であった。忠実な旗手はまことに少なかった。真理の証人たちもいなかったわけではないが、誤りと迷信が完全に勝利して、真の宗教は地上からぬぐい去られたように思われた時もあった。福音は見失われてしまった。しかし宗教の形式は増大し、人々は厳しい要求に苦しんだ。 GCJap 64.3

彼らは、法王を彼らの仲保者として仰ぐだけでなく、罪を贖うために自分自身の行いに頼らねばならないと教えられた。長い巡礼の旅、難行苦行、聖遺物崇拝、教会堂・寺院そして祭壇の建築、教会への大金納入―─これらの行為、またそれに類した多くの行為が、神の怒りを和らげ、神の恵みにあずかるために要求された。あたかも神が人間のように、ささいなことに怒り、あるいは贈り物や苦行によってなだめられるかのように。 GCJap 64.4

罪悪が一般に広く行われ、ローマ教会の指導者たちの中にさえ及んでいたが、しかし教会の勢力は着実に増加していくように見えた。八世紀の終わりごろ、カトリック教徒たちは、初期の教会においてもローマの司教は、現在有しているのと同じ宗教上の権力を持っ ていたと主張した。この主張を確立するためには、何かの手段を講じてそれを権威づける必要があった。そしてそれには、偽りの父が直ちに示唆を与えた。古文書が、修道士たちによって偽造された。これまで聞いたこともないような会議の布告が発見されて、法王が最も初期の時代から普遍的な至上権を持っていたことが確立された。そして、真理を拒否した教会は、これらの欺瞞をすぐさま承認した。 GCJap 64.5

真の土台の上に築いていたところの、ごく少数の忠実な建設者たちは、このようなくずに等しい偽りの教義が働きを妨害するために、困惑し妨げられた(コリント第一・3章10、11節参照)。ネヘミヤの時代にエルサレムの城壁を築いた者たちのように、ある者たちは、「荷を負う者の力は衰え、そのうえ、灰土がおびただしいので、われわれは城壁を築くことができない」と言うばかりになった(ネヘミヤ記4章10節)。迫害、不正、罪悪、その他サタンが、彼らの働きの前進を妨げるために考案したさまざまな妨害との絶え間ない闘いに疲れて、さすがの忠実な建設者たちの中にも失望に陥る者があった。そして自分たちの財産と生命を守るために、彼らは真の土台から離れていった。しかし、敵の攻撃にもくじけずに、「あなたがたは彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え」よと大胆に宣言する者もあった(同4章14節)。そして彼らは各自が腰に剣を帯びながら働きを推し進めたのであった(エペソ6章7節参照)。 GCJap 65.1

真理に対する同じ憎しみと反対の精神が、各時代の神の敵の心を満たしてきた。そして同じ警戒心と忠実さが神のしもべたちに要求されてきた。最初の弟子たちに言われたキリストの言葉は、終末に至るまでの弟子たちに言われたのである。「目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである」(マルコ13章37節)。 GCJap 65.2