各時代の大争闘
人は自ら運命を定める
神は、神の品性と神が罪を処理される方法とを、人間に宣言された。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず」(出エジプト記34章6、7節)。「主は……悪しき者をことごとく滅ぼされます」「罪を犯す者どもは共に滅ぼされ、悪しき者の子孫は断たれる」(詩篇145篇20節、37篇38節)。神の政府の権力と権威とが、反逆を鎮圧するために用いられる。しかし、あらゆる応報・処罰の執行は、恵み深く忍耐強い、慈悲に富んだお方としての神の品性と完全に調和するのである。 GCJap 626.1
神は、どんな人の意志または判断をも強制なさらない。神は、奴隷的服従をお喜びにならない。神は、神のみ手に造られた者たちが、愛するにふさわしいお方として神を愛するよう望まれる。神は、彼らが、神の知恵と正義と慈愛とをよく悟った上で、神に従うことを望まれる。そして、神のこうした性質について正しい理解を持つ者はみな、神の特性に感嘆して神に引きつけられ、神を愛するようになるのである。 GCJap 626.2
救い主が教え、模範を示された、思いやりと憐れみと愛の原則は、神のみこころと品性の写しである。キリストは、ご自分は天父から受けたものの他は何も教えないと宣言された。神の政府の原則は、「あなたの敵を愛せ」という救い主の教えと完全に調和している。神は悪人を処罰されるが、それは宇宙の幸福のためであり、刑罰が下される本人たちの幸福のためでさえあるのである。神は、神の政府の律法と神の品性の正しさとに調和させることができるなら、彼らを幸福にしたいと望まれる。神は彼らを、ご自分の愛のしるしで取り巻き、神の律法の知識を彼らに与え、憐れみの招きを発して彼らを追われる。しかし、彼らは、神の愛を軽んじ、神の律法を無効にし、神の憐れみを拒むのである。彼らは、絶えず神の賜物を受けながら、与え主である神のみ名を汚す。彼らは、神が彼らの罪を憎まれることを知って、神を憎むのである。神は、彼らの強情を長く忍ばれる。しかし、ついに、彼らの運命が決まる決定的な時が来る。その時、神は、このような反逆者たちをご自分の側に縛りつけられるであろうか。彼らに、神のみこころを行うように強制されるであろうか。 GCJap 627.1
サタンを指導者とし、その力に支配されてきた者は、神の前に出る用意がない。高慢、欺瞞、放蕩、残酷が、彼らの性質になってしまった。彼らは、天国に入って、この地上で軽蔑し憎んでいた人々と、永遠に住むことができるであろうか。真理は、偽りを言う人には決して好まれない。柔和は、自尊心や誇りを満足させない。純潔は、腐敗した人には受け入れられない。無我の愛は、利己的な者には、魅力あるものと思われない。この地上の利己的利益に全く心を奪われている者に、天は、どんな楽しみを与えることができるであろうか。 GCJap 627.2