各時代の大争闘

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神の正義と憐れみ

一生神に反逆していた者が、仮に急に天国に移されて、そこにいつもみなぎっている高尚な清い完全な状態を目撃したとしよう。どの人の心も愛に満たされ、どの顔も喜びに輝き、神と小羊をほめたたえる美しい音楽が聞こえ、み座に座しておられるお方の顔からは、贖われた者たちの上に絶えず光が照り輝いている。神に対して憎しみを抱き、真理と聖潔を憎んでいた者たちが、ここで、天の群れに加わって賛美の歌を歌うことができるであろうか。はたして彼らは、神と小羊の栄光に耐え得るであろうか。いや、それはできないのである。彼らには、天国のために準備をするように幾年もの恵みの期間が与えられていた。にもかかわらず、彼らは純潔を愛するように心の訓練をしなかった。彼らは、天国の言語を学ばなかったので、今となってはもう遅すぎるのである。神に反逆した生活が、彼らを天にふさわしくない者にしてしまった。天の純潔と聖潔と平和とは、彼らにとっては責め苦となるであろう。神の栄光は、焼き尽くす火となるであろう。彼らはその清い場所から逃れたいと願うであろう。彼らを贖うために死なれたお方の顔を避けるために、滅亡を歓迎するであろう。悪人の運命は、彼ら自身の選択によって決まるのである。彼らが天から除外されるのは、彼らが自ら進んでそうするのであり、神の正義と憐れみによるのである。 GCJap 628.1

大いなる日の炎は、ノアの洪水の水のように、悪人たちは直すことができないという、神の裁断を宣言する。彼らには、神の権威に服従する気持ちがない。彼らの意志は反逆に用いられてきた。そのために、死に臨んで、彼らの思想の流れを反対の方向に向け、背反から服従へ、憎しみから愛へと変えるには、もはや遅すぎるのである。 GCJap 628.2

神は、殺人者カインの生命を助けることによって、罪人を生かして勝手気ままな罪の生活を続けさせる結果がどうなるかという実例を、世界に示された。カインの教えと模範の影響によって、彼の子孫の大群衆は罪に誘われ、ついに「人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかり」になった。「時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた」(創世記6章5、11節)。 GCJap 629.1

神は、世界を憐れんで、ノアの時代の悪い住民たちを一掃された。神は、憐れみのうちに、ソドムの堕落した住民たちを滅ぼされた。悪を行う人々は、サタンの欺瞞の力によって、共鳴と賞賛をかちえ、こうして常に他の人々を反逆に引き入れている。カインの時代、ノアの時代、そして、アブラハムとロトの時代においてそうであった。われわれの時代においても同様である。神が、神の恵みを拒否する人々を最終的に滅ぼされるのは、宇宙に対する憐れみからである。 GCJap 629.2