各時代の大争闘
時と律法の変更
誤りを指摘するものが除かれたので、サタンは、思う存分に活躍した。法王権は「時と律法とを変えようと望む」と預言されていた(ダニエル書7章25節)。このことは、さっそく実行に移された。異教から改宗した人々に、偶像礼拝の代わりになるものを与え、こうして彼らの名ばかりのキリスト教受容を促進するために、聖画像や聖遺物崇拝が、キリスト教の礼拝の中に徐々に取り入れられた。ついに公会議の布告によって、この偶像礼拝制度が確立した。ローマ教会は、神を汚す活動の結びとして、僣越にも、偶像礼拝を禁じる第二条を神の律法から削除し、その欠けたところを補うために第一〇条を二つに分けたのである。 GCJap 60.1
異教に譲歩する精神は、なおいっそう神の権威を無視する道を開いた。サタンは、教会の清められていない指導者たちによって、第四条をも変更し、神が祝福し聖別された昔からの安息日(創世記2章2、3節参照)を廃そうとした。そしてその代わりに、異教徒が「太陽の神聖な日」として守っていた祭日を高めようとした。 GCJap 60.2
この変更は初めから公然と行われたのではなかった。最初の二、三世紀の間、すべてのキリスト者たちは真の安息日を守っていた。彼らは熱心に神をあがめ、神の律法は不変であると信じていたから、その戒めを熱心に清く守った。しかしサタンは、彼の代理者たちを用いて非常に巧妙に働き、その目的の達成をはかった。人々の注目を日曜日にひくために、それはキリストの復活を記念する祝日とされた。宗教的礼拝が日曜日に行われた。しかし、その日は娯楽の日とみなされてお り、安息日が従来どおり清く守られていた。 GCJap 60.3
サタンは、自分が成し遂げようとしている仕事に道を備えるために、キリストの来臨に先立って、ユダヤ人たちが安息日に苛酷な要求を増し加え、それを守ることを重荷にするようにさせていた。そしてサタンは、自分がそのようにして人々に安息日を誤解させておきながら、今度はそれを利用し、安息日はユダヤ人の制度だとしてそれを軽蔑した。キリスト者たちが、日曜日を楽しい祝祭日として祝う一方、サタンは彼らがユダヤ教に対する憎しみの表現として、安息日を断食の日、憂うつな悲しみの日とするようにしむけた。 GCJap 61.1
四世紀の初期、コンスタンティヌス帝は、日曜日をローマ帝国全土の公の祝日にするという布告を出した。太陽の日は、異教徒の国民に尊ばれ、またキリスト者たちからもあがめられた。それは、異教とキリスト教との相反する点を一致させようとする皇帝の政策であった。彼は、教会の司教たちから、こうするように勧められたのである。彼らは権力を渇望していたから、もしキリスト者と異教徒とが両方とも同じ日を守るならば、異教徒が名目だけでもキリスト教を信じるのを助長し、教会の権力と栄光を推し進めるものと考えた。しかし多くの敬虔なキリスト者たちは、次第に、日曜日にはいくぶんか神聖さがあるとみなすようになったものの、なお真の安息日を主の聖なる日とし、第四条の戒めに従って守っていた。 GCJap 61.2