各時代の大争闘
偽りの安息日
大欺瞞者は、まだ十分にはその目的を達成していなかった。彼は、キリスト教世界を彼の旗の下に集め、彼の代理人、すなわち、キリストの代表者であると主張する高慢な法王によって、力をふるおうと決心した。半分しか改宗していない異教徒たち、野心満々の司教たち、そして世俗を愛する教会人たちによって、彼は 自分の目的を成し遂げた。いくたびか公会議が開かれて、教会の指導者たちが全世界から集められた。そのほとんどの会議において、神が制定された安息日が少しずつ低められると共に、日曜日はそれに応じて高められていった。こうして異教の祝祭日が、ついには神聖な制度としてあがめられるようになり、その反面、聖書の安息日はユダヤ教の遺物であると宣言され、それを守る者たちはのろわるべきであると言われた。 GCJap 61.3
大背信者は、「すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して」自らをその上に高く上げることに成功した(テサロニケ第二・2章4節)。彼は、全人類を生きた真の神へと誤ることなく向ける、神の律法の唯一の戒めをあえて変更した。神は、第四条の戒めの中で、天と地の創造主として示されており、それによってすべての偽りの神々との区別が明らかにされている。第七日が、人間の休息の日として聖別されたのは、創造の業の記念としてであった。それは人間が、生ける神を、存在の根源、尊崇と礼拝の対象として、常に心に留めておくためであった。サタンは人々に、神への忠誠を尽くさせず、神の律法に従わせまいと努力している。それゆえに彼は、神が創造主であることを指し示す戒めを、特に攻撃するのである。 GCJap 62.1
今、プロテスタントの側では、キリストが日曜日に復活されたから日曜日がキリスト教徒の安息日になったと主張している。しかし、その聖書的証拠はない。キリストや使徒たちも、この日をそのように尊んではいない。日曜日をキリスト教の制度として遵守することは、すでにパウロの時代に活動しはじめた「不法の秘密の力」にその起源を持つ(テサロニケ第二・2章7節)。しかし主は、いつ、どこで、この法王権の子とも言うべき日曜日の制度を迎え入れられたのであろうか。聖書が認めていない変更に対して、どのような確かな理由をあげ得るであろうか。 GCJap 62.2