各時代の大争闘
非聖書的な法王至上権説
法王は全世界のキリストの教会の目に見える頭であって、世界各地の司教と牧師に対する至上権が与えられている、というのがローマ・カトリック教会の主要教義の一つである。そればかりではない。法王には、神の称号そのものが与えられている。彼は「主なる神、法王」と呼ばれ、誤ることがないとされてきた。彼は すべての人間が彼を尊敬することを要求する。サタンは試みの荒野において主張したのと同じことを、今日もなおローマ教会を通じて主張している。そして無数の人々が、心から彼に尊敬を払っている。 GCJap 58.3
しかし、神をおそれ敬う者は、キリストが、狡猾な敵の誘惑に対抗されたように「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」と言って、神に逆らうこうした主張に立ち向かうのである(ルカ4章8節)。神はみ言葉の中で、だれか人間を教会の頭にしたなどという暗示すら与えておられない。法王至上権説は、聖書の教えと全く相反するものである。法王は、横領による以外に、キリストの教会の上に権力をふるうことはできない。 GCJap 59.1
カトリック教徒は、プロテスタントを異端視し続け、真の教会から故意に分離したものであると言ってきた。しかしこうした非難は、むしろ彼らにこそ当てはまるのである。キリストの旗を捨てて、「聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰」から離れたのは、彼らであった(ユダ3節)。 GCJap 59.2
サタンは、聖書が人々に、彼の欺瞞を見分け、彼の力に対抗できるようにさせることをよく知っていた。世の救い主でさえ、み言葉によって、彼の攻撃を退けられた。キリストは攻撃されるたびに、永遠の真理の盾を用いて、「……と書いてある」と言われた。サタンのあらゆる誘惑に対し、キリストはみ言葉の知恵と力をもって対抗された。サタンが人々の上に権力をふるい、横領者的な法王権を打ち立てるには、彼らを聖書について無知にしておかねばならなかった。聖書は神を高め、有限な人間の真の立場を明らかにする。それゆえに、その聖なる真理を隠し、抑圧しなければならない。ローマ教会はこの論法をとった。数百年にわたって、聖書の配布が禁止された。人々は聖書を読むことも、それを家に持つことも禁じられた。そして節操のない司祭たちや司教たちが、自分たちの主張を支 持するためにその教えを解釈した。こうして法王は、地上における神の代表者、教会と国家に対する権威を与えられた者として、広く認められるようになった。 GCJap 59.3