各時代の大争闘

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天からの追放と地上での反逆

天における争闘が終わるそのまぎわまで、この横領者サタンは、自分が正しいと主張し続けた。この反逆の指導者は、すべての共鳴者たちとともに幸福な住み家から追放されなければならないことが布告された時、大胆にも創造主の律法に対する軽蔑を口に出した。彼は、天使たちは支配される必要はなく、自分自身の意志に従うべきで、この意志こそ、いつでも彼らを正しく導くものであるという主張を繰り返した。彼は、神の律法は彼らの自由を束縛するものであると言って攻撃し、このような律法を廃止することが自分の目的である、天の万軍はこの束縛から解放されて、もっと高貴なもっとすばらしい身分になるのだと断言した。 GCJap 575.3

サタンとその軍勢は、口をそろえて、自分たちの反逆のとがをすべてキリストのせいにし、もし自分たちが譴責されなかったら反逆はしなかったのだと言明した。このようにして反逆の頭サタンとそのすべての共鳴者たちは、神の統治を倒そうと無駄な努力をし、しかも、自分たちは圧制的な権力の、罪のない犠牲者であると言い張って、かたくなに、大胆に不服従を続けたため、ついに天から追放された。 GCJap 575.4

天で反逆を起こしたのと同じ精神が、今もなお地上で反逆を起こさせている。サタンは天使たちに対して用いたのと同じ政策を、人類に対して用いてきた。彼の精神は、今、不従順の子らを支配している。サタンと同じように、彼らは神の律法の拘束を打破しようとし、律法に違反することによって人々に自由を約束する。罪に対する譴責は、依然として憎悪と抵抗の精神を呼び起こす。神の警告の言葉が良心に訴えられると、サタンは、人々に自分は正しいのだと思わせ、彼らの罪の行為に他人の共鳴を求めさせる。彼らは自分の誤りを直さないで、かえって譴責者が問題の唯一の原因でもあるかのように、その譴責者に対して憤慨する。 GCJap 576.1

これが義人アベルの時代から今日に至るまで、罪をあえて責める者に対して示されてきた精神である。 GCJap 576.2

サタンは、天において行ったように、神のご品性を間違って伝えることによって、神を苛酷で圧制的なお方であると思わせ、人類を罪に誘った。そしてそれが成功すると、サタンは、神の不当な束縛が、彼自身の反逆を引き起こしたように、人類の堕落を引き起こしたのだと宣言した。 GCJap 576.3

しかし永遠なる神は、ご自分の品性について自らこう宣言しておられる。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず」(出エジプト記34章6、7節)。 GCJap 576.4

神は、サタンを天から追放することによって、ご自分の公義を宣言し、み座の栄えを保たれた。しかし、人類がこの背信的な精神の欺瞞に負けて罪を犯したとき、神は堕落した人類のためにご自分の独り子を死なせることによって、神の愛の証拠をお与えになった。この贖罪のうちに、神のご品性があらわされている。十字架という力強い証拠は、ルシファーが選んだ罪の道は決して神の統治の責任ではないことを、全宇宙に証明している。 GCJap 576.5