各時代の大争闘
日曜休業令の本質
ローマ教会は、その至上権の主張を撤回してはいない。そして、世界とプロテスタント諸教会は、聖書の安息日を拒否して、ローマ教会が造った安息日を受け入れる時に、事実上この主張を認めるのである。彼らは、その変更は伝承や教父たちの権威によるものであると主張するかもしれない。しかし、そうすることによって、彼らは、「聖書、しかも聖書のみが、プロテスタントの宗教である」という、彼らをローマから隔てている原則そのものを無視するのである。法王教徒は、彼らがこの事実に故意に目を閉じて、自分たちを欺いているのを見ることができる。日曜休業運動が世に迎えられるにつれて、法王教徒は、やがては全プロテスタント世界がローマの旗の下にくだることを確信して喜ぶのである。 GCJap 513.1
ローマ教徒は、「プロテスタントの日曜日遵守は、彼らが、それとは気づかずに、〔カトリック〕教会の権威に従っているのである」と宣言している。プロテスタント諸教会が、日曜日遵守を強要することは、法王制、すなわち獣を拝むことを強要することである。第四条の要求を知りながら、真の安息日の代わりに偽物を守ることを選ぶ者は、そうすることによって、それを命じた唯一の権威に敬意をあらわしているのである。しかし、宗教的義務を世俗の権力によって強制するという行為そのものによって、教会自身が獣の像を作るに至る。それゆえに、米国における日曜日遵守の強制は、獣とその像の礼拝の強制となるのである。 GCJap 513.2
しかし、過去においては、聖書の安息日を守っていると信じて、日曜日を守ってきたキリスト者たちがいた。また、日曜日は神が定められた安息日であると心から信じている真のキリスト者たちが、今も各教会におり、ローマ・カトリック教会も例外ではない。神は彼らの真剣な心と神の前での誠実さを受け入れられる。しかし、日曜日遵守が法律によって強いられ、真の安息日を守るべきことが世界に明らかにされるその時に、神の戒めを破って、単にローマの権威によるものにすぎないところの戒めに従う者は、それによって、神よりも法王教をあがめるのである。 GCJap 514.1
そのような人は、ローマに敬意を払い、ローマが定めた制度を強制する権力に敬意を払っている。彼は、獣とその像を拝んでいる。こうして、神がご自分の権威のしるしであると宣言された制度を拒んで、その代わりに、ローマがその至上権のしるしとして選んだものを尊重する時に、人々は、それによって、ローマに対する忠誠のしるし、すなわち「獣の刻印」を受けるのである。こうして、この問題が人々の前に明らかに示されて、神の戒めと人間の戒めのどちらかを選ばねばならなくなった時、それでも神の戒めを犯し続ける人々が、「獣の刻印」を受けるのである。 GCJap 514.2