各時代の大争闘

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安息日の変更

神を拝む者たちが、第四条を尊重することによって特に目立つ―─なぜならこれは、神の創造の力のしるしであり、神が人間に崇敬と服従を要求なさるその証拠だからである―─のに対し、獣を拝む人々は、創造主の記念を踏みにじり、ローマの制度を高めようと努めることによって目立つものとなる。法王制が最初にその高慢な主張をしたのは、日曜日のためであった。そして、最初に国家の権力の助けを求めたのは、日曜日を「主の日」として守ることを強制するためであった。しかし聖書は、主の日として、第一日ではなくて七日目をさしている。キリストは、「人の子は、安息日にもまた主なのである」と言われた。第四条の戒めには、「七日目はあなたの神、主の安息である」と言われている。そして、主は、預言者イザヤによって、その日を「わが聖日」と呼ばれた(マルコ2章28節、イザヤ書58章13節)。 GCJap 511.1

安息日を変更したのはキリストであるとよく言われるが、キリストご自身の言葉が、そうでないことを証明している。彼は、山上の垂訓の中で次のように言われた。「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう」(マタイ5章17~19節)。 GCJap 511.2

安息日の変更について聖書的根拠がないことは、プロテスタントが一般に認めている事実である。これは、米国トラクト協会と米国日曜学校同盟が発行した出版物の中に明らかに記されている。これらの書物の一つは、「安息日〔週の第一日、日曜日〕に関して、新約聖書には、なんら明白な命令もなければ、その遵守に関する明確な規則も記されていない」と認めている。 GCJap 512.1

他の者は次のように言っている。「キリストが死なれるまで、日の変更はなかった」。そして「記録によるかぎり、彼ら〔使徒たち〕は、……七日目の安息日を廃止して週の第一日を守るようにさせるような、どんな明白な命令をも与えてはいない」 GCJap 512.2

ローマ・カトリック教徒は、彼らの教会が安息日を変更したことを認め、プロテスタントが日曜日を守るのはカトリック教会の権威を認めることであるという。カトリック教会の教理問答には、第四条の戒めに従って守るべき日についての質問の答えとして、次のように書いてある。「古い律法の時代には、土曜日が聖日であった。しかし、教会は、イエス・キリストの教えと神の霊の指導の下に、日曜日を土曜日の代わりにした。それゆえに今、われわれは、七日目でなくて、第一日を聖なる日とする。日曜日が、今では、主の日である」 GCJap 512.3

カトリックの著者たちも、カトリック教会の権威のしるしとして、「安息日を日曜日に変更したという、まさにその行為」を挙げ、それは「プロテスタントも承認している。……彼らは日曜日を守ることによって祝祭日を制定し、人々を罪に定める教会の権威を認めているのである」と言っている。とするならば、安息日の変更は、ローマ教会の権威のしるし、あるいは刻印、すなわち「獣の刻印」でなくて何であろうか。 GCJap 512.4