各時代の大争闘
獣の刻印とは何か
二つの角を持った獣は、「また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである」(黙示録13章16、17節)。第三天使の警告は、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、神の怒りの杯……を飲」むと告げている。このメッセージの中にあげられている「獣」、それを礼拝するようにと二つの角を持った獣が強制するところの獣は、黙示録13章の最初の獣、すなわちひょうに似た獣―─法王制―─のことである。「獣の像」は、プロテスタント諸教会が自分たちの教義を強制するために公権力の助けを求める時に起きてくるところの、そうした背教のプロテスタント教会をあらわしている。ここで、さらに、「獣の刻印」が明らかにされなければならない。 GCJap 509.3
預言は、獣とその像とを拝することについて警告したあとで、「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒……がある」と宣言する。神の戒めを守る人々が、獣とその像とを拝み、その刻印を受ける者たちと、このように対照されていることから見ると、神を拝む者と獣を拝む者との間の区別は、一方は神の戒めを守り、他方はそれを犯すことにあるとわかる。 GCJap 510.1
獣の特徴、したがって、その像の特徴は、神の戒めを破ることである。ダニエルは、小さい角、すなわち法王制について、次のように言っている。「彼はまた時と律法とを変えようと望む」(ダニエル書7章25節)。そして、パウロは、この同じ権力を、神よりも自分を高める「不法の者」と呼んだ。一つの預言は他の預言を補足する。法王制は、神の律法を変更することによってのみ、自らを神よりも高くすることができたのである。だれであっても、こうして変更された律法を、それと知りつつ守るならば、律法を変更した権力に最高の栄誉を帰していることになる。法王制の律法に従うこのような行為は、神の代わりに法王に忠誠を誓うしるしとなるのである。 GCJap 510.2
法王制は、神の律法を変更しようとした。偶像礼拝を禁じる第二条を律法から除去し、第四条は、七日目のかわりに第一日を安息日として守ることを公認するように変更された。しかし、法王側の人々は、第二条を除去したことを、それは第一条に含まれているから不必要であり、われわれは神がわれわれに理解させたいと望んでおられるとおりに律法を与えたのであると主張する。これは、預言者が預言したところの変更ではない。預言されたその変更は、計画的で故意の変更である。すなわち「彼はまた時と律法とを変えようと望む」。第四条の変更こそ、まさしくこの預言の成就である。これに関して主張できる権威は、ただ教会の権威のみである。ここにおいて、法王権は、公然と自らを神よりも高めているのである。 GCJap 510.3