各時代の大争闘

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光と暗黒との戦い

使徒たちも教会内で、信心深い様子をしながらひそかに罪をいだいている人々に出会った。アナニヤとサッピラは、人を欺いた。彼らは、神のためにすべてを犠牲にしているように見せかけながら、欲のためにその一部を自分たちで保留していた。しかし真理のみ霊がこうした偽り者の本性を使徒たちに暴露し、神の刑罰が下って、教会の純潔を損うこうした汚点を教会から取り除いた。教会には真偽を見分けるキリストの霊があるというこの顕著な証拠は、偽善者たちや悪事を行う者たちに恐怖を与えた。彼らは、その習慣や品性が常にキリストを代表している者たちと、長くつながっていることはできなかった。ひとたびキリストの弟子たちに、試練と迫害が来た時、真理のためにすべてを喜んで捨てる者だけが、弟子になることを望んだのである。こうして、迫害が続くかぎり、教会は比較的純潔を保つことができた。しかし、迫害がやむと、それほど真剣でもなくそれほど献身もしていない改宗者たちが加わってきて、サタンが足場を得る道が開かれた。 GCJap 51.2

しかし、光の君と暗黒の君との間に一致はない。そして、その弟子たちの間にも一致はあり得ない。キリスト者たちが、異教から半分だけ改宗した人々と一つ になることに同意した時、彼らは真理からますます遠ざかる道に足を踏み入れたのであった。サタンは、多くのキリストの弟子たちを欺くことができたことを喜んだ。そして彼は、この人々をさらに十分に自分の支配下に治めて、彼らによって、神に忠誠を保つ人々を迫害させようとした。 GCJap 51.3

かつてキリスト教信仰の擁護者であった人々ほど、どのようにして真のキリスト教信仰を圧迫すべきかを知っている者はない。これら背教的なキリスト者たちは、半ば異教的な仲間たちと結合して、キリストの教理の最も重要な特徴を攻撃したのである。 GCJap 52.1

忠誠を保とうとする人々は、司祭服に隠れて教会の中に導入された欺瞞と憎むべきこととに対抗して、必死に戦わねばならなかった。聖書は、信仰の規準として受け入れられなかった。信仰の自由という教義は異端視され、その支持者は憎まれ追放された。 GCJap 52.2