各時代の大争闘
妥協精神の侵入
今や教会は恐るべき危機に陥った。これと比べるならば、牢獄や拷問、火や剣は祝福であった。キリスト者のある者たちは堅く立って、妥協することはできないと宣言した。しかし、ある者たちは、彼らの信仰のいくつかの特徴を捨てたり変更したりすることに、そしてキリスト教を部分的に受け入れていた者たちと結合することに賛成して、これは、彼らを完全な改宗に導く手段になるであろうと言った。それは、キリストに忠実に従う者たちにとって、深刻な苦悩の時であった。 GCJap 49.2
サタンは、見せかけのキリスト教という上衣をまとって、教会内に侵入し、信者たちの信仰を腐敗させ、彼らの心を真理の言葉から離れさせた。 GCJap 49.3
ついに、キリスト者の多くは、標準を下げることに 同意し、キリスト教と異教との間の結合が成立した。偶像礼拝者たちは、改宗したと言って教会に加わったものの、依然として偶像礼拝を続けており、礼拝の対象をイエスの像や、マリヤ、聖人たちの像に変えたにすぎなかった。こうして教会内に侵入した忌まわしい偶像礼拝のパン種は、その害を及ぼしていった。不健全な教義、迷信的礼典や偶像礼拝的儀式が、教会の信条と礼拝の中に取り入れられた。キリスト者たちが偶像礼拝者たちと結合したことによって、キリスト教は腐敗し、教会はその純潔と力を失った。しかしながら、こうした惑わしに欺かれない者たちもいくらかはいた。彼らは、真理の本源であられる神に依然として忠誠を尽くし、ただ神だけを礼拝した。 GCJap 49.4
キリストの弟子であると自称する人々の中に、常に二種類の人々がある。一方の人々は、救い主の生涯を研究して、自分の欠点を正し、模範にならおうと熱心に求めるが、もう一方の人々は、彼らの誤りを指摘する明白で実際的な真理を避けるのである。教会は、その最善の状態にあった時でさえ、真実で純潔で誠実な人々だけで成り立っていたのではなかった。救い主は、故意に罪にふける人々を教会に受け入れてはならないと教えられた。しかし彼は、品性に欠点のある人々をご自分に結びつけ、彼の教えと模範の利益を受けることを許された。それは彼らに、自分たちの誤りを認めてそれを正す機会を与えるためであった。十二使徒の中には裏切り者がいた。ユダは、彼の品性の欠陥のためではなくて、欠陥にもかかわらず受け入れられた。ユダが弟子たちの仲間に加えられたのは、彼がキリストの教訓と模範によって、キリスト者の品性がどのようなものであるかを知り、自分の過ちを認めて悔い改め、神の恵みの助けと、「真理に従うことによって」魂を清めるためであった。しかしユダは、このように恵み深く彼を照らした光の中を歩かなかった。罪にふけることによって、彼はサタンの誘惑を招いた。彼の 品性の悪い特徴が、主導権を握った。 GCJap 50.1
彼は、自分の心を暗黒の力の支配に従わせ、自分の欠点が譴責されると怒るようになり、こうして、主を裏切るという恐ろしい罪を犯すようになった。これと同じく、信心深いことを言いながら心に罪をいだいている者はみな、自分たちの罪の歩みを指摘して、心の平和を乱す者を憎むのである。彼らは、よい機会が来るならば、ユダのように、彼らのためを思って彼らを譴責した者を裏切るのである。 GCJap 51.1