各時代の大争闘
一般教会の反対
ウィリアム・ミラーは、思索と研究によって訓練された強固な精神力を持っていた。さらに彼は、知恵の源である神と結合することによって、天の知恵をも兼ね備えていた。高潔な品性、道徳的卓越などの評価においては、彼は、人々の尊敬と敬意を集めずにはおかぬ立派な人物であった。彼は、キリスト者の謙遜と自制力とともに、真に親切な心の持ち主であって、だれに対しても思いやりを持ち、優しくて、喜んで他の人々の意見に耳を傾け、彼らの議論を十分に検討した。彼は感情に走ったり興奮したりせずに、すべての説や教義を神のみ言葉によって試した。そして彼は、その健全な推理力と聖書の深い知識とによって誤りに反論し、虚偽を摘発することができた。 GCJap 386.1
それにもかかわらず、彼は彼の働きを、激しい反対を受けずに遂行することはできなかった。初期の宗教改革者の場合のように、彼が伝えた真理は、一般の宗教家たちに歓迎されなかった。彼らは、聖書によって自分たちの立場を支持することができないので、人間の教義や先祖たちの言い伝えに頼らなければならなかった。しかし、再臨の真理の説教者たちが受け入れた唯一のあかしは、神の言葉であった。彼らの標語は、「聖書、そして、ただ聖書のみ」であった。反対者たちは、聖書の根拠がないので、嘲笑と軽蔑の態度に出た。再臨を伝える人々を中傷するために、時間と資力と才能が用いられた。しかし、彼らの唯一の違反行為というのは、彼らが、主の再臨を喜びをもって待望し、清い生活を送り、主の出現に対する準備をするように人々に勧めているという、そのことであったのである。 GCJap 386.2
人々の心を再臨の問題から他にそらせようとする努力が熱心に行われた。キリストの再臨と世界の終末に関する預言を研究することは罪で、何か恥ずかしいことでもあるかのように扱われた。こうして一般の牧師は、神のみ言葉に対する信仰を掘り崩した。彼らの教えは、人々を無神論者にし、多くの者は、彼ら自身の不信仰な欲情のままに、ほしいままな生活をした。そうしておいて、悪の張本人たちは、それをみな再臨信徒のせいにしたのである。 GCJap 386.3
知的で熱心な多数の聴衆を引きつけていたにもかかわらず、ミラーの名は、あざけりや非難の的になる以外には、宗教新聞で触れられることはほとんどなかった。宗教の教師たちのとった態度に勢いづいた、軽薄で不信仰な人々は、無礼なあだ名や、下品で不敬な悪口を言い、彼と彼の働きに侮辱を加えようとした。安楽な家庭を離れて、都市から都市、町から町へと自費で旅をし、切迫する審判の厳粛な警告を世界に伝えるために絶えず労している白髪のミラーは、狂信者、うそつき、山師と言われて嘲笑された。 GCJap 387.1
彼に浴びせられた嘲笑、虚言、悪口には、世俗の新聞すら憤慨して抗議するに至った。「このように圧倒的な荘重さと恐るべき結果を伴う問題」を軽々しくののしることは、「ただ単に、それを宣布し擁護する者の心を愚弄するばかりでなくて、審判の日をあざ笑い、神ご自身を嘲笑し、神の審判廷の恐るべきことを軽蔑するのである」と世の人々が言うほどであった。 GCJap 387.2