各時代の大争闘
アメリカの岸辺で
この、いわゆる「巡礼者」(ピルグリム)たちが、勇敢にも長途の航海の危険を冒し、荒野の種々の困難と危険に耐え、そしてついに神の恵みによって、アメリカの岸に偉大な国家の基礎をすえたのは、良心の自由を得たいという願いからであった。しかし、これらの清教徒たちは、誠実で神をおそれる人々ではあったけれども、まだ宗教の自由の大原則を理解していなかった。彼らは、大きな犠牲を払って獲得した自由を、等しく他の者に与えようとはしなかった。「一七世紀の最も進歩的な思想家たちや道徳家たちでさえ、新約聖書より発している大原則、すなわち神以外にはだれも人間の信仰をさばくことはできないということを、正しく認識したものはほとんどいなかった」。人間の良心を支配し、異端を定義し、処罰する権を、神は教会にゆだねられたという教義は、法王教の誤謬に最も深く根ざす誤りの一つである。 GCJap 336.2
改革者たちは、ローマの教義を否定はしたが、その狭量な精神から完全に抜けきってはいなかった。法王権の長期にわたる支配下において、キリスト教会全体を覆った濃い暗黒は、まだ全部消え去ってはいなかった。マサチューセッツ湾の植民地における有力な牧師の一人は、次のように言った。「寛容であったことが世界を反キリスト教的にした。そして教会は、異端を罰しても何の害も受けなかった」。植民地開拓者たちは、教会員だけが政治に発言権を持つべきであるという規則を採用した。一種の国教が制定され、すべての住民は聖職者を支持するために献金することを要求された。そして、長官には異端を鎮圧する権が授けられた。こうして、世俗の権力が教会の手中にあった。やがて、こうした方法は、その必然的な結果である迫害を引き起こすことになった。 GCJap 337.1
植民地が創設されてから一一年後に、ロージャー・ウィリアムスがアメリカに来た。初期の清教徒たちのように、彼も宗教の自由を享受するために来た。しかし彼は、彼らとは異なって、当時まだ、ほとんどだれも気づいていなかったこと、すなわち、この自由は、その信条が何であろうと、すべての者にとって譲渡できない権利であることを認識していた。彼は、熱心な真理の探究者であった。そしてロビンソンと共に、神のみ言葉の真理がすべて与えられてしまったとは思っていなかった。ウィリアムスは、「近代のキリスト教世界において、良心の自由、法の前における意見の平等という教義に基づいて政府を制定した、最初の人物であった」。犯罪を抑止することは行政長官の義務であるが、人間の良心を支配してはならないと、彼は宣言した。彼は次のように言った。「公衆または行政長官は、人間と人間との間の義務を決定するが、彼らが神に対する人間の義務を規定しようとするならば、それは越権行為であって、安全ではあり得ない。なぜならば、もし長官にその権威があれば、朝令暮改の誤りを犯すことは明らかだからである。英国において、さまざまな国王や女王が行ったように、また、さまざまな法王やローマ教会の会議が行ったように、信仰は、非常な混乱に陥るであろう」 GCJap 337.2