各時代の大争闘
信教自由の闘士ロージャー・ウィリアムス
教会の礼拝には出席が要求されていて、行かない者は、罰金または投獄の罰を受けた。「ウィリアムスは、この法律に反対した。英国における最悪の法令は、教区教会に出席を強要したものであった。異なった信条の者を一致するように強制することは、彼らの生得の権利を公然と踏みにじることであると彼は考えた。非宗教的で、来ることを好まない人々を、公の礼拝に引きずってくることはただ偽善を要求しているように思われた。……『だれも自分の意志に反して、礼拝や教会維持を強制されるべきではない』と彼は述べた。彼の反対者たちは、彼の主義に驚いて、『働き人がその報酬を受けるのは当然ではないか』と叫んだ。すると彼は、『その通り。彼を雇った者たちからである』と答えた」 GCJap 338.1
ロージャー・ウィリアムスは忠実な牧師、そして、非凡な才能、不動の誠実さ、真の愛の持ち主として尊敬され愛された。しかし彼が、行政長官が教会の上に権をとることを断固として拒否し、宗教の自由を要求していることは、許しておくことができなかった。この新しい教義が行われるならば、「国家の基礎と政治をくつがえす」であろうと、人々は主張した。彼は、植民地からの追放の宣告を受けた。そして、ついに彼は、逮捕を免れるために寒い冬の吹雪の中を、まだ開かれていない森の中へと逃げ込まなければならなかった。 GCJap 338.2
「わたしは一四週間の間、パンも寝るところもなく、厳寒の季節をあちこちと激しく逃げまわった」と彼は言っている。しかし、「荒野で、カラスがわたしを養ってくれ」、そしてしばしば、木の幹の穴が彼の隠れ家となった。こうして彼は、雪と道のない森の中を苦労して逃げていき、ついに、インディアンの部族にかくまわれた。ここで彼は、彼らに福音の真理を教えながら、彼らの信頼と愛をかち得たのである。 GCJap 338.3
彼は、数か月にわたって転々と流浪して、ついに、ナラガンセト湾の岸に到着し、ここで、宗教の自由を完全に認めた、近世における最初の州の基礎を築いた。 GCJap 339.1
ロージャー・ウィリアムスの植民地の根本的原則は、「人間はだれでも、自分の良心に従って、神を礼拝する自由を持つべきである」ということであった。彼の小さなロード・アイランドという州は、迫害に苦しむ人々の避難所となり、次第に人口が増加して繁栄し、ついに、その基本的原則である政治的宗教的自由が、アメリカ共和国の礎石となった。 GCJap 339.2