各時代の大争闘
ローマ教と無神論
ローマは、王や支配階級の嫉妬心に訴えて、国民を奴隷として縛っておくように彼らを動かした。ローマはこうすれば国家が弱くなり、この方法で支配者と国民を両方ともローマの奴隷にしておけることをよく知っていた。ローマは、はるか将来を見通して、人間を思いのままに奴隷にするには心を束縛しなければならないこと、また、彼らがその束縛からどうしても逃れることができないようにするには、自由を与えないようにしなければならないことを知っていた。ローマの政策が引き起こした肉体的苦痛より幾千倍も恐ろしいことは、道徳的堕落であった。人々は聖書を奪われ、偏狭で利己的な教えを聞かせられ、無知と迷信に閉ざされていた。そして彼らは、悪習に陥り、全く自制ができなくなっていた。 GCJap 323.1
しかしこれらすべてのことの結果は、ローマが意図したものとは非常に異なったものであった。ローマの行ったことは、大衆を盲目的にローマの教義に服従させる代わりに、彼らを無神論者と革命論者にしてしまった。彼らはローマ・カトリック教を、僧侶の策略であるとして軽蔑した。彼らは、聖職者たちを、彼らを圧迫するものの一部とみなした。彼らが知っている唯一の神は、ローマの神であった。またその教えが、彼らの唯一の宗教であった。彼らは、ローマの貪欲と残酷は、聖書が結ぶ当然の実であると考え、そのようなものはいらぬと思った。 GCJap 323.2
ローマは、神の品性を誤って伝え、神の要求をゆがめていた。そこで人々は、聖書もその著者も、共に拒否してしまった。ローマは、聖書がそれを認めているかのように装いつつ、自分の教義に盲目的信仰を要求してきた。その反動として、ボルテールと彼の仲間たちは、聖書を全面的に拒否し、至るところに不信の害毒を広めた。ローマは人々を弾圧し、苦しめてきた。そして今度は、堕落し狂暴になった大衆が、ローマの暴虐をはねのけて、すべての束縛を投げ捨てた。彼らは、自分たちが長い間尊敬を払ってきた華麗な詐欺に憤激して、真理と虚偽の両方を拒絶した。そして、放縦を自由と取り違えて、悪徳の奴隷たちは自由を得たものと思って狂喜した。 GCJap 323.3
革命が始まった時、人々には王の譲歩のもとに、貴族と聖職者を合計した数以上の代表数が与えられた。こうして彼らは、政治の実権を握った。しかし彼らは、それを賢明に適度に用いる準備がなかった。彼らは、自分たちが苦しんできた圧迫を除くことに熱心で、社会の改造を断行しようとした。長い間虐待されてきた苦い思い出を持つところの憤激した群衆は、もはや耐えられないまでになった悲惨な状態を変革し、このような苦境に彼らを陥れたと思われる者たちに復讐しようと決意した。圧迫を受けた者たちは、暴政の下で学んだことを実行し、彼らを圧迫した者たちの圧迫者となった。 GCJap 324.1