各時代の大争闘
革命前夜
「ユグノー教徒の逃亡によって、フランスは全般的に衰退した。製造業の繁栄していた都市が衰えた。肥沃な地方が元の荒れ地に戻った。まれな進歩の期間のあとに、知的沈滞と道徳的退化が続いた。パリは巨大な救貧院のようになり、革命が起こった当時は、二〇万の貧民が王からの施しを請うていた。イエズス会だけが、衰微していく国内にあって繁栄し、教会と学校と牢獄とガレー船の上に、恐ろしい圧政を行っていた」 GCJap 321.1
福音は、フランスに、政治的社会的諸問題―─聖職者、国王、立法者たちの手に負えず、ついに国家を無政府状態と破滅に陥れたところの諸問題―─の解決をもたらすはずであった。しかし人々は、ローマの支配下にあって、自己犠牲と無我の愛という、救い主のすばらしい教訓を忘れていた。彼らは、他人の幸福のために自分を犠牲にすることから、かけ離れてしまっていた。金持ちが貧者を圧迫してもだれからも譴責されず、貧者は、その苦役と堕落からの救いを与えられなかった。富と権力を持つ者の利己心は、ますます露骨で圧制的になった。幾世紀にわたって、貴族の貪欲と放蕩は、農民に対する苛酷な搾取を行ってきた。金持ちは貧者をしいたげ、貧者は金持ちを憎んだ。 GCJap 321.2
多くの地方において地所は貴族が所有し、労働者階級は小作人に過ぎなかった。彼らは地主の言いなりであって、彼らの法外な要求に従わなければならなかった。教会と国家を支える負担は、中流と下層階級に負わされ、彼らには国家と聖職者から重税がかけられた。 GCJap 321.3
「貴族は快楽の追求を第一とし、圧迫者たちは農民たちが餓死しようといっこうにかまわなかった。……民衆はどんな場合でも、地主の利益だけを考えなければならなかった。農業労働者の生活は労働の連続で、救われる道のない悲惨な生活であった。彼らの苦情は、それを訴えることができたにしても、横柄な軽蔑的態度で扱われた。法廷は常に貴族の言い分を聞いて、農民の言い分を聞かなかった。裁判官が賄賂を受け取るのは、公然の秘密であった。このような全般的腐敗の体制の中では、貴族のほんの気まぐれが法としての力を持った。一方では世俗の権力が、そして他方では聖職者たちが、庶民から巻き上げた税金の、その半分も王室や教会の金庫には入らなかった。残りは遊興と放縦のために浪費されてしまった。こうして、同胞を窮乏に陥れた人々自身は税金を免れ、法律によって、あるいは習慣に従って、国家のすべての要職を占めていた。特権階級は、一五万人に達していた。そして、彼らを満ち足らせるために、幾百万の人々が、望みのないみじめな生活を余儀なくされていた」 GCJap 322.1
宮廷は、ぜいたくと放蕩にふけっていた。国民と支配者の間に信頼はなかった。政府の政策はみな、たくらみのある我欲に満ちたものであると、疑惑の目で見られた。革命が起こる前、五〇年以上にわたって、ルイ一五世が王位を占めていたが、彼は、そのような堕落した時代においてさえ、怠惰で軽薄、淫蕩な王として有名であった。腐敗し残酷な上流階級、窮乏に陥り無知な下層階級、国家の財政困難、国民の憤激などを見れば、預言者でなくても、恐ろしい暴動が起ころうとしていることは予想できた。王は、顧問官たちの警告に対して、「わたしの存命中は、現状のままで継続せよ。わたしの死後は、どうなってもかまわない」と答えるのが常であった。改革の必要を力説しても無駄であった。王は弊害を認めてはいたが、それを改める勇気も力もなかった。彼の怠惰で利己的な「あとは野となれ山となれ」という答えは、切迫したフランスの運命を、あまりにも正確に描写していた。 GCJap 322.2