各時代の大争闘
二人の証人
二人の証人について、預言者は、次のように言っている。「彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である」。また詩篇記者は、「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」と言った(黙示録11章4節、詩篇119篇105節)。二人の証人というのは、旧約と新約の聖書をあらわしている。両方とも、神の律法の起源とその永続性に関する重要な証言である。両者はまた、救いの計画の証人でもある。旧約聖書の型、犠牲、預言は、きたるべき救い主をあらかじめ示している。新約聖書の福音書と手紙とは、型と預言に示された通りに来られた救い主について語っている。 GCJap 308.1
「わたしは、わたしの二人の証人に、荒布を着て、一二六〇日のあいだ預言することを許そう」。この期間の大部分の間、神の証人は、人の目につかない状態にあった。法王権は、真理の言葉を人々から隠そうと努め、彼らの前に、その証言に反駁するために偽りの証人を立てた。聖書が、宗教界と俗界の権威によって禁止された時、その証言が曲解され、人々の心をそれから引き離すために、人間と悪鬼とが考え出すことのできるあらゆる努力がなされた時、聖書の聖なる真理を宣言する者たちが狩り立てられ、裏切られ、拷問され、牢獄に入れられ、信仰のために殉教し、あるいは山のとりでや地の洞窟に逃げなければならなかった時、―─その時忠実な証人たちは、荒布を着て預言したのである。しかも彼らは、一二六〇年の全期間を通じて、あかしを立て続けたのである。最も暗黒な時においても、神の言葉を愛し神の御名をあがめるのに熱心な、忠実な人々があった。これらの忠誠なしもべたちに、この全期間を通じて、神の真理を宣言する知恵と力と権威とが与えられた。 GCJap 308.2
「もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない」(黙示録11章5節)。神の言葉を踏みにじる者は、罰を受けずにはすまない。この恐ろしい宣告の意味は、黙示録の最後の章に示されている。「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる」(黙示録22章18、19節)。 GCJap 309.1
神が啓示または命令されたものを、人間がどのような方法によっても変更することがないようにと、神はこのような警告をお与えになった。この厳粛な警告的宣言は、人々に神の律法を軽視する影響を及ぼすすべての人に当てはまる。神の律法に従っても従わなくてもたいした問題でないと軽率なことを言う者は、この警告に震えおののかねばならない。 GCJap 309.2
神の啓示よりも自分の意見を重要視し、自分に都合のいいように、または世俗と妥協するために、聖書の明白な意味を変更しようとする者はみな、恐ろしい責任を自分で負っているのである。聖書と神の律法は、すべての人の品性をはかり、この誤つことのないテストの結果、欠けていると宣言されるすべての者を、罪に定めるのである。 GCJap 309.3
「彼らがそのあかしを終えると」。二人の証人が荒布を着て預言する期間は、一七九八年で終わった。彼らが人目につかずに働く期間が終わりに近づくと、「底知れぬ所からのぼって来る獣」といわれている権力が、彼らに戦いをいどむのであった。ヨーロッパの多くの国々において、教会と国家を支配した諸権力は、幾世紀にもわたって、法王権を通して、サタンに支配されていた。しかし、ここに、新たなサタン的権力があらわれたのである。 GCJap 309.4