各時代の大争闘

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第15章—聖書とフランス革命

恐るべき預言

宗教改革は、一六世紀に、聖書を人々に開いてみせ、ヨーロッパのあらゆる国々に入っていこうとした。ある国々では、それを天からの使者として喜んで迎えた。他の国々では、法王権が、その侵入を防ぐのに大いに成功し、聖書の知識の光とその高尚な感化力は、全くといっていいほど締め出された。ある国では、光が入ったにもかかわらず、暗黒はそれを理解しなかった。何世紀もの間、真理と誤謬とは覇を競った。ついに悪が勝利し、天の真理は追い出された。「そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々は……光よりもやみの方を愛したことである」(ヨハネ3章19節)。その国は、自ら選んだ道の結果を刈りとることになった。神の霊の抑制が、神の恵みの賜物を軽蔑した国民から取り去られた。悪は、成熟するままにされた。全世界は、故意に光を拒むことの結果を見た。 GCJap 306.1

フランスで幾世紀も続いた、聖書に対する闘争は、ついに革命へと発展した。この恐ろしい出来事は、ローマが聖書を圧迫した当然の結果にほかならなかった。革命は、世界がローマの政策の成り行きについて目撃したところの、最も著しい例であった。それは、ローマ教会が千年以上にわたって教えてきたことの結果の実例であった。 GCJap 306.2

法王至上権時代における聖書の禁止については、預言者たちによって預言されていた。また、黙示録の記者は、「不法の者」の支配のために、特にフランスに起こる恐ろしい結果をも指摘している。 GCJap 307.1

主の天使は、次のように言った。「『彼らは、四二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、一二六〇日のあいだ預言することを許そう。』……そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。 GCJap 307.2

彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。……地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた」(黙示録11章2~11節)。 GCJap 307.3

ここに、「四二か月」と「一二六〇日」という二つの期間があげられているが、これは同じもので、キリストの教会がローマの圧迫を受ける期間をあらわしている。一二六〇年の法王至上権時代は、紀元五三八年に始まったから、一七九八年に終わることになる。この時、フランスの軍隊がローマに侵入し、法王を捕虜にした。そして彼は配所で死んだ。その後、すぐ新法王が選ばれたけれども、法王制度は、もはや以前のような権力をふるうことはできなかった。 GCJap 307.4

教会の迫害は、一二六〇年の全期間を通じて続いたわけではなかった。神は、神の民を憐れんで、火のような試練の期間を短縮された。救い主は、教会にふりかかる「大きな患難」を預言して言われた。「もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう」(マタイ24章22節)。迫害は、宗教改革の影響を受けて、一七九八年より前に終わったのである。 GCJap 307.5