各時代の大争闘

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迫害と宣教

改革の教義がオランダほどに広く受け入れられたところは他になかった。また、ここほど改革主義を信じた者たちが恐ろしい迫害を受けた国も少ない。ドイツでは、カール五世が宗教改革を禁じ、その信者たちをみな火刑にしようとした。しかし、諸侯たちが立ち上がってその暴虐を防いだ。オランダにおいては、彼の権力はさらに大きく、迫害の命令が次々に発せられた。聖書を読むこと、聖書を聞いたり説教をしたりすること、また、それについて語ることさえ、火刑に値する罪であった。ひそかに神に祈ること、偶像を拝むのを拒否すること、あるいは詩篇を歌うことも死罪に値した。自分の誤りを捨てることを誓ってさえ、男子は剣で殺され、女子は生き埋めにされた。カールとフェリペ(フィリップ)二世の時代に殺された者は、幾千にのぼった。 GCJap 276.1

ある時、ミサに出ないで家庭で礼拝をしたという理由で、一家族全員が宗教裁判官の前に引き出された。ひそかに行っていたことについての取り調べに対し、一番下の息子は答えた。「わたしたちはひざまずいて、神がわたしたちの心を照らし、わたしたちの罪を赦してくださるようにと祈ります。わたしたちは、わたしたちの王様のために祈り、王様の治世が栄えて幸福であられるように祈ります。わたしたちは長官たちのために祈り、神が彼らを守ってくださるように祈ります」。裁判官の中には、非常に感動した者たちもいた。しかし、父親と息子たちの一人は、火刑の宣告を受けた。 GCJap 276.2

迫害が激しくなるにつれて、殉教者たちの信仰も熱してきた。男子だけでなくて、かよわい女性や年若い少女たちも、確固とした勇気をあらわした。「妻たちは、夫の火刑柱のそばに立って、夫が火に耐えている間、慰めの言葉をささやき、詩篇を歌って夫を励ました」「少女たちは、夜寝床に入るかのように、生きながら墓に横たわり、あるいは婚礼に行くかのように、最上の衣裳をまとって、絞首台や火刑台に進んでいった」 GCJap 276.3

多神教が福音を撲滅しようとした時代と同様に、キリスト者の血は種であった(テルトゥリアヌス「護教論」50節)。迫害は、真理の証人たちの数を増加させるだけであった。征服することのできない人民の決意に、たけり狂った王は、年々その残酷な行動を推し進めていったが、しかしむだであった。そして、高貴なオレンジ公ウィリアムの下における独立は、ついにオランダに、神を礼拝する自由をもたらしたのである。 GCJap 277.1