各時代の大争闘
改革者メノー・シモンズ
ルターの教えは、オランダでそれに適した土壌を見いだし、熱心で忠実な人々が福音の宣教に立ち上がった。オランダの州の一つから、メノー・シモンズがあらわれた。彼は、ローマ・カトリック教徒として教育を受け、司祭になったが、聖書のことは何も知らなかった。そして、異端に欺かれるといけないと思って、読もうとしなかった。彼が化体説(全質変化)について疑問を抱いた時、彼はそれをサタンの誘惑であると考え、祈りと告白によって、それからの解放を求めた。しかし、それは無駄であった。彼は、遊興の場に行って、良心の声を消そうとしたが、それも役には立たなかった。その後しばらくして、彼は新約聖書の研究に導かれ、これと、ルターの著書とが、彼に改革の信仰を受け入れさせた。その後まもなく、近くの村で、再洗礼を受けたために死刑に処せられる人が、首を切られるのを目撃した。このことから彼は、幼児洗礼に関して聖書を調べてみた。彼は、それを支持する証拠を聖書の中に見つけることはできなかった。かえって、バプテスマを受ける条件として、悔い改めと信仰が至るところで要求されているのを見た。 GCJap 274.3
メノーは、ローマ・カトリック教会を離れて、彼が信じた真理を教えるために一生をささげた。ドイツにもオランダにも、狂信的な人々が起こって、途方もない扇動的教義を主張し、秩序と風紀を乱し、暴力と反乱を引き起こしていた。メノーは、このような運動が必然的にもたらす恐ろしい結果を見て、狂信家たちの誤った教えと無暴な方法とに極力反対した。しかし、こうした狂信家たちに迷わされたが、やがてその有害な教義を捨ててしまった者が多くいた。また、昔からのキリスト者たちの子孫たち、すなわち、ワルド派の教えの実である人々も多く残っていた。メノーは、こうした人々の間で、熱心に働いて成功を収めた。 GCJap 275.1
彼は、妻と子供たちを連れて二五年間旅を続け、大きな困難と欠乏に耐え、しばしば生命の危険にさらされた。彼は、オランダと北ドイツを巡り、主として下層階級の間で働いたが、その感化は広範囲に及んだ。限られた教育しかなかったが、生まれつき雄弁であった彼は、揺るがぬ誠実さ、謙遜な精神と柔和な態度、そして真実で熱心な信仰の持ち主であって、自分が教えるところを生活に実践し、人々の信頼を受けた。彼の弟子たちは、散らされ、迫害された。彼らは、狂信的なミュンスター暴徒たちと混同されたために、非常に苦しめられた。しかし、彼の働きによって、多数の者が悔い改めた。 GCJap 275.2