各時代の大争闘
ファーレルの熱意
ルフェーブルの学生たちの中には、熱心に彼の言葉に耳を傾ける者が幾人かあった。そして、教師の声が沈黙したずっと後に、真理を宣言し続けるのであった。その一人は、ギヨーム・ファーレルであった。敬虔な GCJap 246.5
両親に育てられ、教会の教えを絶対的な信仰をもって受け入れるように教育された彼は、使徒パウロとともに、「わたしたちの宗教の最も厳格な派にしたがって、パリサイ人として生活をしていた」と言うことができた(使徒行伝26章5節)。彼は、熱心なカトリック教徒として、教会に反対するすべての者を滅ぼそうという熱意に燃えていた。「法王に反対する言葉を発する者には、わたしは恐ろしいおおかみのように牙をむき出した」と、後に彼は、当時を回顧して言った。彼は、熱心な聖人崇拝者であったので、ルフェーブルに従って、パリの教会を巡り、聖壇で礼拝をし、聖堂をささげもので飾った。しかし、こうしたことを行っても、心に平和をもたらすことはできなかった。彼は、罪の意識を逃れることができなかった。それは、あらゆる苦行によっても消えることがなかった。その時彼は、天からの声のように、改革者の、「救いは恵みである」という言葉を聞いたのである。「罪なきお方が罪せられて、犯罪人が赦される」「天の門を開き、黄泉の門を閉じるのは、キリストの十字架だけである」 GCJap 247.1
ファーレルは、喜んで真理を受け入れた。彼は、パウロのような悔い改めを経験して、言い伝えの奴隷から神の子の自由に入った。「貪欲なおおかみのような殺気立った心は去り、柔和で無邪気な小羊のようになった。心は全く法王から去って、イエス・キリストにささげられた」と彼は言っている。 GCJap 247.2
ルフェーブルは、学生間に光を広め続けたのであるが、ファーレルは、法王の事業のために持っていたのと同じ熱心さをキリストの事業にあらわし、公衆に真理を宣言するために出て行った。教会の高い地位にある人物、モーの司教も、その後まもなく彼らに加わった。ほかに、才能と学識において高い地位にあった教授たちも、福音の宣教に参加し、職人や農民の家庭から王宮に至るまで、あらゆる階級の中から支持者があらわれた。当時君臨していたフランソア(フランシ GCJap 247.3
ス)一世の皇妹も改革主義を受け入れた。王自身と母后も、一時これに好感を示した。そして、改革者たちは、大きな希望をもって、フランスを福音の側に勝ちとる日を待望した。 GCJap 248.1