各時代の大争闘

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フランスにおける先駆者

フランスにおいては、改革者としてルターの名が聞かれる以前に、すでに夜は明けようとしていた。光を捕らえた最初の人々の一人は、パリ大学の教授、博学で誠実で熱心なカトリック教徒、老ルフェーブルであった。彼は、古代文学の研究中に聖書に心をひかれ、その研究を学生に紹介した。 GCJap 245.2

ルフェーブルは、聖人たちを崇敬する念が厚く、教会の伝説の中に出ている聖人や殉教者たちの歴史を著そうとしていた。これは、非常な労力を要する働きであった。しかし、彼は、すでに相当のところまで進んだところで、聖書に有益な参考があるかもしれないと考えて、その目的で聖書の研究を始めた。たしかに聖書には、聖人たちのことが書かれていたが、しかしそれは、ローマの教会暦に描かれているようなものでは GCJap 245.3

なかった。天来の光が、洪水のように彼の心に流れ込んできた。驚きと嫌悪の念を抱いて、彼は自分のしようとした仕事をやめ、神の言葉の研究に没頭した。まもなく彼は、自分が聖書の中で見いだした尊い真理を教え始めた。 GCJap 246.1

一五一二年、まだ、ルターもツウィングリも改革の仕事を始めていなかった時に、ルフェーブルは次のように書いた。「信仰によって、われわれに義―─ただ恵みによって義として永遠の命に至らせる義―─をお与えになるのは、神である」。彼は、贖罪の神秘を瞑想して叫んだ。「ああ、これは、言葉で表現できない、なんと大きな交換であろう。罪なき方が罪せられ、罪人が自由にされる。祝福された者がのろいを受け、のろわれた者が祝福に入れられる。生命の君が死なれ、死せる者が生きる。栄光の君が暗黒に圧倒され、恥のほか何も知らぬ者が、栄光を着せられる」 GCJap 246.2

彼は、救いは、ただ神だけにその栄光を帰すべきであると教えるとともに、人間は服従すべきであることをも断言した。「もしあなたが、キリストの教会の一員であるならば、あなたは、彼の体の肢体である。 GCJap 246.3

もしあなたが彼の体に属しているならば、神の性質に満ちている。……ああ、もし人がこの特権を理解しさえすれば、彼らは、どんなに純潔で貞潔で聖潔な生活を送ることであろう。また、彼らの中にある栄光―─肉の目では見ることができない栄光―─と比較してみるなら、この世のすべての栄えはなんと卑しいものに思えることであろう」 GCJap 246.4