各時代の大争闘
歴史的に見たエルサレムの神殿
過越の祭りの二日前、キリストは、ユダヤの指導者たちの偽善を非難したあと、神殿に最後の別れを告げてから、もう一度弟子たちと共に、オリブ山に行き、都を見おろす傾斜面の青草の上にお座りになった。彼は、もう一度、都の城壁と塔と王宮とをごらんになった。もう一度、聖なる山を飾る美しい王冠のような、まぶしく輝く神殿をごらんになった。 GCJap 27.2
その時から千年ほど前に、詩篇記者は、イスラエルの聖なる家をご自分の住居となさった神の恵みをほめたたえた。「その幕屋はサレムにあり、そのすまいはシオンにある」。神は、「ユダの部族を選び、神の愛す るシオンの山を選ばれた。神はその聖所を高い天のように建て」られた(詩篇76篇2節、78篇68、69節)。最初の神殿は、イスラエルが歴史上最も隆盛をきわめた時代に建てられた。ダビデ王は、このために、莫大な財宝を集めた。そして、その設計は、神の霊感によってなされた(歴代志上28章12、19節参照)。 GCJap 27.3
イスラエルの王の中で最も賢明であったソロモンが、その工事を完成した。この神殿は、世界で最も壮麗な建物であった。しかし、主は、預言者ハガイによって、第二の神殿について、次のように言われた。「主の家の後の栄光は、前の栄光よりも大きい」「わたしはまた万国民を震う。万国民の財宝は、はいって来て、わたしは栄光をこの家に満たすと、万軍の主は言われる」(ハガイ書2章9、7節)。 GCJap 28.1
神殿は、ネブカデネザルに破壊されたあとで、キリスト誕生の約五〇〇年前に、長年にわたった捕囚生活から、荒廃した故郷に帰ってきた人々によって再建された。その時、人々の中には、ソロモンの神殿の栄光を見た老人たちがいて、新しい建物の基礎が以前のものと比べてはるかに劣っているのを嘆いた。こうした人々の気持ちを預言者は、「あなたがた残りの者のうち、以前の栄光に輝く主の家を見た者はだれか。あなたがたは今、この状態をどう思うか。これはあなたがたの目には、無にひとしいではないか」と、力をこめて言っている(ハガイ書2章3節、エズラ記3章12節参照)。この時、この後の家の栄光は、前の家の栄光より大きいという約束が与えられた。 GCJap 28.2
しかし、第二の神殿は、荘厳さにおいて、第一の神殿の比ではなかった。また、第一の神殿に与えられていた神の臨在の目に見えるしるしはなかった。その献堂を記念する超自然的力のあらわれもなかった。栄光の雲が新築の聖所を満たすのも見られなかった。祭壇の上の犠牲を焼きつくす天からの火もなかった。至聖所のケルビムの間に、シェキーナーは、もう宿ってい なかった。そこには、契約の箱も贖罪所もあかしの板もなかった。神に問う祭司に、主のみこころを告げる天からの声はなかった。 GCJap 28.3
何世紀もの間、ユダヤ人は、ハガイによって与えられた神の約束の成就を示そうと努めてきたが、無駄であった。しかし、誇りと不信が彼らの心を盲目にし、預言者の言葉の真の意味を理解させなかった。第二の神殿は、主の栄光の雲ではなくて、肉体をとってあらわれた神ご自身、満ちみちているいっさいの神の徳が宿っている方の生きた臨在によって、あがめられるのであった。ナザレの人イエスが神殿の庭で、教え、いやされた時、「万国民の財宝(万国の願うところのもの、文語訳)」が、本当に彼の神殿に来られたのである。キリストが来られたこと、ただそのことだけで第二の神殿は、第一の神殿の栄光をしのいだ。 GCJap 29.1
しかし、イスラエルは、天から与えられた贈り物を退けてしまった。その日、謙遜な教師イエスが、黄金の門から出られた時に、栄光は、永久に神殿から去ったのである。「見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう」という救い主の言葉は、すでに成就したのであった(マタイ23章38節)。 GCJap 29.2