各時代の大争闘
エルサレム滅亡の預言
弟子たちは、神殿の破壊に関するキリストの予告を聞いて、恐れと驚きに満たされ、彼の言葉の意味をもっとよく知りたいと願った。神殿の壮麗さを増すために、財宝と労力と建築上の技術とが、四〇年以上にわたって注ぎこまれていた。ヘロデ大王も、ローマとユダヤ両国の財宝を惜しみなく費やし、ローマ皇帝さえも贈り物をささげて神殿を壮麗にした。信じられないような巨大な白い大理石が、この目的のためにローマから回送され、建物の一部に用いられた。そして弟子たちは、これらの石に主の注意をひいて、「先生、ご らんなさい。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう」と言った(マルコ13章1節)。 GCJap 29.3
ところが、これに対して、イエスは厳粛で驚くべき答えをされた。「よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」(マタイ24章2節)。 GCJap 30.1
エルサレムの滅亡というと、弟子たちは、キリストが世界国家の王座につき、かたくななユダヤ人を罰し、国家をローマのくびきから解放するために、この世の栄光のうちに来られる時の出来事を連想した。主は彼らに、ご自分がもう一度こられることを語っておられたから、彼がエルサレムの滅亡のことを言われた時、彼らはその再臨のことを思った。そこで、彼らがオリブ山上で救い主のそばに集まった時に、「いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」と彼らは聞いた(マタイ24章3節)。 GCJap 30.2
未来のことは、憐れみのうちに、弟子たちから隠された。もしも、彼らがこの時、贖い主の苦難と死、そして都と神殿の破壊という二つの恐ろしい出来事を全部知ったならば、彼らは恐怖にうちひしがれたことであろう。キリストは、終末の前に起こる主要事件のあらましを彼らに示された。その時、彼の言葉は十分に理解されなかった。しかし、その意味は、神の民がそこに与えられている教訓を必要とする時に明らかにされるのであった。彼が言われた預言には、二重の意味があった。それは、エルサレムの滅亡を予告するとともに、最後の大いなる日の恐怖をも予表していた。 GCJap 30.3
イエスは、耳を傾けている弟子たちに、背信したイスラエルに下る刑罰、特に、メシヤを拒んで十字架につけることに対して下る懲罰報復を明らかにされた。恐るべき頂点に達する前に明白なしるしがあらわれる。恐怖すべき時が、突然、急速にやってくる。救い主は、弟子たちに次のように警告を発せられた。「預言者ダ ニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ」(マタイ24章15、16節、ルカ21章20、21節参照)。エルサレムの城外、数マイルにわたる聖地に、ローマ人の異教の軍旗が立てられる時、キリストに従う者たちは、安全を求めて逃げなければならなかった。警報が見えたならば、逃れることを望む者はためらってはならなかった。避難警報は、エルサレム城内と同様に、ユダヤ全土において、直ちに従うべきものであった。屋上にいる者は、どんなに大切な宝物であっても、それを取りに家の中に入ってはならなかった。畠やぶどう畑で働いていた者は、日中働いていた時に脱いでおいた上衣を取りに帰ってはならなかった。彼らは、一瞬でもためらってはならなかった。さもないと一般の人々と共に滅びにまき込まれてしまうのであった。 GCJap 30.4
エルサレムは、ヘロデ王の治世に大いに美化されたばかりでなく、塔、城壁、要害などが建てられ、それに地形が自然の要害となっていたので、難攻不落の城と思われていた。 GCJap 31.1
こうした時に、エルサレムの滅亡を公に予告する者は、洪水前のノアのように狂気じみた杞憂家と呼ばれたことであろう。しかし、キリストは、「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない」と言われた(マタイ24章35節)。エルサレムは、その罪のために刑罰の宣告を受けていたが、そのかたくなな不信によって滅亡を決定的にしたのであった。 GCJap 31.2