各時代の大争闘
世界の滅亡の象徴
キリストは、不信と反逆によってかたくなになり、急速に神の刑罰を受けようとしていた世界を、エルサレムが象徴しているのを見られた。堕落した人類の不幸に、キリストは深く心を痛め、あのように激しい苦悶の叫びをあげられたのであった。彼は、人間の悲惨と涙と流血とが物語る罪の記録を見られた。彼の心は、地上で悩み苦しむ者のために、無限の憐れみを感じられた。彼はなんとかしてこうしたすべての人々を救いたいと熱望されたのである。しかし、彼のみ手をもってしても、人間の不幸の潮は止めかねるように思われた。彼らの唯一の援助者であるキリストを求める者が、少ないからであった。彼は、人々に救いをもたらすために、死に至るまで自分の魂を注ぎ出そうとしておられたのに、生命を得るために彼のところに来る者は少ないのであった。 GCJap 26.1
天の君主が涙を流しておられる。無限の神のみ子が、み心を悩まし、悲嘆にくれて打ち伏された。この光景に全天は目を見張った。この光景は、罪がどんなに恐ろしいものであるかをわれわれに示し、また、無限の力を持たれた神でも、神の律法を破った結果から罪人を救うことがどんなに困難であるかを示している。イエスは、はるか最後の時代までを眺め、エルサレムの滅亡を招いたのと同様の欺瞞に、世界が陥っているのを見られた。ユダヤ人の大きな罪は、彼らがキリストを拒んだことであった。キリスト教会の大きな罪は、天地を支配する神の統治の基礎である神の律法の拒否ということである。主の戒めは、軽蔑され、無視されるのであった。罪に束縛され、サタンの奴隷となり、第二の死に定められた無数の者が、神のおとずれの時に、真理の言葉を聞こうとしないのである。それは、なんと恐ろしい盲目、なんと不思議な愚かさであろう。 GCJap 27.1