各時代の大争闘

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法王側の策略

宗教改革が勝利を収めたので、法王派はますます堅い決意をもって、その撲滅を謀るようになった。彼らはドイツにおいて、ルターの運動を迫害によってはさほど鎮圧することができなかったのを見て、改革それ自身の武器によって改革を迎え撃とうとした。彼らは、ツウィングリと討論を行う手はずを定め、ただその場所だけでなくて、討論の審査員も自分たちで決めて、必勝を期した。 GCJap 210.2

そして彼らは、ひとたびツウィングリを自分たちの手中に入れてしまえば、彼を逃さないようにしようとしていた。指導者を沈黙させるならば、運動は速やかに弾圧することができるのであった。しかし、この計画は、極秘のうちに行われていた。 GCJap 210.3

討論は、バーデンで行われることに決まった。しかし、ツウィングリはあらわれなかった。チューリヒの議会は、法王派の策略に気づくとともに、法王派の州において福音を信じた者たちが火刑に処せられたことに危険を感じ、彼らの牧師がこうした危険に身をさらすことを禁じたのである。彼は、チューリヒにおいてならば、ローマが派遣するすべての法王派と会見するつもりであった。しかし、真理のための殉教者の血が流されたばかりのバーデンへ行くことは、明らかに死にに行くことであった。そこで、エコランパデウスとハラーが改革派の代表として選ばれた。一方、有名なエック博士が、博学な学者や司教たちの支援を受けて、ローマを代表することになった。 GCJap 210.4

ツウィングリは会議に出席していなかったが、彼の感化はそこに及んでいた。書記はみな法王派によって選ばれ、他の者は筆記することを禁じられて、それを犯すと死刑であった。それにもかかわらず、ツウィングリはバーデンで論じられたことを毎日詳しく知らされた。討論に出席していた学生が、毎晩その日の議論を記録した。この記録を、他の二人の学生が、エコランパデウスの毎日の手紙とともに、チューリヒのツウィングリのところに届けた。ツウィングリはそれに答えて、助言や指示を与えた。彼の手紙は夜書かれ、学生たちは、朝それを携えてバーデンに戻ってきた。町の門番の目を逃れるために、使者たちは頭に鶏のかごを載せ、何の妨げも受けずに行き来できた。 GCJap 211.1

こうしてツウィングリは、狡猾な敵との戦いにあたることができた。「彼は、瞑想、眠らぬ夜、また、バーデンに送った助言によって、敵たちの間で自分が討論するより、もっと多くのことを行った」とミコニウスは言っている。 GCJap 211.2