各時代の大争闘

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改革事業の進展

ツウィングリはチューリヒにおいて、免罪符の販売人に痛烈に反対を唱えた。サムソンが町に近づいた時、議会からの使者が、彼にそのまま通り過ぎるように通告した。彼は結局、策略を用いて町に入りはしたが、一枚の免罪符も売ることができずに退去させられた。やがて彼はスイスを去った。 GCJap 207.2

一五一九年、スイス全国に流行した大疫病によって、改革事業に大きな刺激が与えられた。すなわち、人々がこのために死に直面した時、つい先ごろ買ったばかりの免罪符がどんなにむなしく価値のないものであるかを、多くの者は感じたのであった。そして彼らは、より確かな信仰の基礎を得たいと熱望した。チューリヒにいたツウィングリも、疫病に倒れた。彼は、助かる望みがなかったほど衰弱し、彼は死んだといううわさが広く伝えられた。こうした試練の時にあっても、彼の希望と勇気は揺るがなかった。彼は信仰をもって、カルバリーの十字架を見つめ、罪に対する十分な贖いの供え物に信頼した。彼は死の門から帰ってくると、以前にまさる大きな熱情をもって、福音を宣べ伝えた。彼の言葉には、異常な力があった。人々は、瀕死の床から立ち上がってきた敬愛する牧師を、喜びをもって迎えた。彼ら自身も、病人や死にそうな人々の看護をしていたので、これまでになく福音の価値を感じた。 GCJap 207.3

ツウィングリは、福音の真理をいっそう明らかに理解し、彼自身が、その新生の力をより十分に経験したのであった。彼が扱った問題は、人間の堕落と贖罪の計画であった。「アダムにあって、われわれは、みな死んだもの、堕落して、罪に定められたものである」と彼は言った。「キリストは、……われわれのために、永遠の贖いを買いとられた。……彼の受難は、……永遠の犠牲で、永遠にいやす力がある。それは、堅く揺るがぬ信仰をもって信頼するすべての者のために、神の義を永遠に満足させる」。しかし人間には、キリストの恵みにあずかったからといって、罪を続ける自由はないということを、彼ははっきりと教えた。 GCJap 208.1

「神に対する信仰があるところはどこでも、神がおられる。そして、神が宿られるところはどこでも、人々によきわざを勧め促す熱心さが存在するのである」 GCJap 208.2

ツウィングリの説教に対する興味は、非常なもので、大聖堂は、彼の説教を聞きにやってきた群衆で満ちあふれた。彼は、彼らが理解できる程度に従って、少しずつ真理を語った。彼らを驚かし偏見を抱かせるような点については、最初に語らないように気をつけた。キリストの教えに彼らの心を引きつけ、キリストの愛によって彼らの心を和らげ、彼らの前にキリストの模範を示すことが、彼の仕事であった。彼らが福音の原則を受け入れるならば、迷信的信仰や習慣は、必然的に捨て去られるのである。 GCJap 208.3