各時代の大争闘
福音主義と法王主義の抗争
最初、彼の働きは非常に歓迎されたが、しばらくして反対が起こった。修道士たちが彼の働きを妨害し、彼の教えを非難した。多くの者が、彼をあざけり侮蔑した。無礼な態度をとり、威嚇する者もあった。しかし、ツウィングリはそれらをみな忍耐して、「もし、われわれが、悪人をキリストに導こうとするならば、多くのことに目を閉じなければならない」と言った。 GCJap 205.2
ちょうどそのころ、改革事業に一段と力を添える者があらわれた。ルシアンという人が、バーゼルにいる改革を信じる友人につかわされて、ルターの著書をたずさえてチューリヒに来たのである。その友人は、これらの書籍の販売が、光をまき散らす強力な手段であろうと言った。 GCJap 205.3
「本人が慎重で機敏であるかどうかを確かめた上で、彼にルターの著書、特に主の祈りの注解を、スイス全国の都市から都市、町から町、村から村、そして家から家へ配布させられたい。知られれば知られるほど、買い手は多くあらわれるであろう」と彼はツウィングリに書いた。こうして、光は伝えられていった。 GCJap 206.1
神が無知と迷信のかせを打ち砕こうとしておられた時に、サタンは、人々を暗黒に閉じこめ、いっそう堅く束縛しようとして、全力をあげて働いていた。あちらこちらで人々が立ち上がり、キリストの血による赦しと義とを説いた時に、ローマはますます強力に、キリスト教国全土に販路を広げ、金銭による赦しを提供した。 GCJap 206.2
どの罪にも値段がついていた。そして、教会の金庫が満たされてさえおれば、人々はどんな犯罪でも犯すことが許されたのである。こうして、二つの運動が進められた。一方は、金銭による罪の赦しであったが、他方は、キリストによる赦しであった。ローマは罪を公認し、それを教会の財源にした。改革者たちは罪を非難し、キリストをその代償、また救出者として指し示した。 GCJap 206.3
ドイツにおける免罪符の販売は、ドミニコ会修道士たちにゆだねられ、悪名高きテッツェルによって行われていた。スイスでは、イタリアの修道士サムソンの指揮のもとにフランシスコ会修道士たちの手によって販売されていた。サムソンは、すでにドイツとスイスから莫大な金額を得て、法王の金庫を満たし、教会のためによく働いていた。今や彼は、スイスを巡回し、多くの群衆を引きつけ、貧しい農民のわずかな収入を奪い、富裕な階級からは巨額の献金を搾取していた。しかし改革の影響は、売買を止めることはできなかったが、すでにその収入を減少させていた。サムソンが、 GCJap 206.4
スイス入国直後に、免罪符をもって近隣の町に到着したのは、ツウィングリがまだアインジーデルンにいる時であった。彼の任務について知らされたツウィングリは、さっそく彼に反対するために出かけた。この二人は相会さなかったが、ツウィングリは巧みにこの修道士の欺瞞をあばいたので、サムソンは他の地方に去らなければならなかった。 GCJap 207.1