国と指導者
第3章 繁栄の落とし穴
ソロモンが天の律法を高めていた間、神は彼とともにおられた。そして、彼にはイスラエルを公平と憐れみをもって治める知恵が与えられていた。最初、富と世的栄誉が与えられたとき、彼は謙遜な気持ちを失わず彼の影響は広範囲に及んだ。「ソロモンはユフラテ川からペリシテびとの地と、エジプトの境に至るまでの諸国を治めた」。「彼は……周囲至る所に平安を得た。ソロモンの一生の間、ユダとイスラエルは……安らかにおのおの自分たちのぶどうの木の下と、いちじくの木の下に住んだ」(列王紀上4:21、24、25)。 PK 413.2
しかし、彼の生涯は大いなる約束に輝く朝が過ぎた時に、背教によって暗くなった。エデデア、「主に愛された者」(サムエル下12:25、英文欄外注参照)と呼ばれた者、神の誉れを受け、著しい神の恵みの証拠が与えられて、彼の知恵と義とが世界的に名声を博し、イスラエルの神に栄えを帰すように他の人々を導いた者が、主の礼拝を捨てて異教徒の偶像の前にひざまずいたのである。 PK 413.3
ソロモンが王位につく幾百年も前に、主はイスラエルの王として選ばれる人々を襲う危険を予見して、彼らを導く教えをモーセにお与えになった。イスラエルの王位につく者は「レビびとである祭司の保管する書物から、この律法の写しを1つの書物に書きしるさせ」るようにという指示が与えられた。主は言われた。「世に生きながらえる日の間、常にそれを自分のもとに置いて読み、こうしてその神、主を恐れることを学び、この律法のすべての言葉と、これらの定めとを守って行わなければならない。そうすれば彼の心が同胞を見くだして、高ぶることなく、また戒めを離れて、右にも左にも曲ることなく、その子孫と共にイスラエルにおいて、長くその位にとどまることができるであろう」(申命記17:18~20)。 PK 413.4
主は、この教えと関連して、王として油を注がれる者は、「妻を多く持って心を、迷わしてはならない。また自分のために金銀を多くたくわえてはならない」という特別の注意をお与えになった(同17:17)。 PK 413.5
ソロモンはこうした警告を熟知していて、しばらくの間はそれに心を留めていた。彼はシナイ山において与えられた律法に従って生き、治めることを彼の何よりの願いとしていた。彼の王国の国事の扱い方は、彼の時代の諸国、すなわち、神を恐れない国々、またその王たちが神の聖なる律法を足の下にふみにじっていた国々の習慣と著しく異なっていた。 PK 413.6
ソロモンはイスラエルの南に位する強力な王国との関係を強化しようとして、禁じられた所に足をふみいれた。サタンは服従すればどんな結果が伴うかを知っていた。ソロモンが知恵と慈悲と真心をもって治めた初期の輝かしい時代に、サタンは陰険な方法で主義に対する忠誠心をソロモンに失わせ、彼を神から引き離そうとした。敵がこの点で成功したことは、次の記録で明らかである。「ソロモン王はエジプトの王パロと縁を結び、パロの娘をめとってダビテの町に連れてき」た(列王紀上3:1)。 PK 413.7
この結婚は神の律法の教えには反していたけれども、人間的見地からすれば祝福になったように思われた。なぜならばソロモンの異教徒の妻は改心して、彼に加わって真の神の礼拝をしたからである。さらにパロはゲゼルを占領し、「その町に住んでいたカナンびとを殺し、これをソロモンの妻である自分の娘に与えて婚姻の贈り物としたので」大いにイスラエルに貢献したのである(同9:16)。ソロモンはこの町 を再建した。こうして、彼の王国が地中海沿岸において、大いに強化されたことは明らかである。しかし、異教国と同盟を結び、偶像教徒の王女と結婚の契りを結んだことにより、ソロモンは神が神の民の純潔を保つためにお設けになった賢明な規定を、軽率にも無視したのである。彼のエジプト人の妻が改心するだろうという希望は、この罪に対しては誠に薄弱な口実でしかなかった。 PK 413.8
神はその慈悲深い恵みによって、しばらくの間この恐ろしい過ちをご支配なさった。とにかく、王は賢明な行動をとることによって、彼が無分別に引き起こした悪の影響力の大部分を阻止することができたのであった。しかし、ソロモンは彼の栄光と力との根源を見失い始めていた。 PK 414.1
心の傾向が理性よりも優勢になり、自己を過信するようになったとき、彼は主のみこころを自分自身の方法で行おうとした。彼は周囲の国々と政治的、通商的同盟を結ぶことは、これらの国々に真の神の知識を伝えることであると判断した。そして、相次いで、諸国と神聖ではない同盟を結んだ。これらの同盟は異教国の王女との結婚によって固められることがしばしばであった。周りの国民の習慣をとりいれるために主の命令は破棄された。 PK 414.2
ソロモンは彼の知恵と模範の力が、彼の妻たちを偶像礼拝から真の神の礼拝に導き、こうして結ばれた同盟によって周囲の国々はイスラエルと親密になるだろうと、安易に考えていた。しかしそれはむなしい望みであった。ソロモンが、自分は異教徒の影響に十分抵抗できると誤って判断したことは、致命的であった。また、自分は神の律法を無視したとしても、他の人々はその聖なる戒めを尊んで従うだろうという希望を彼に抱かせた欺瞞もまた、致命的なものであった。 PK 414.3
王の異邦諸国との同盟と通商関係は、彼に名声と誉れとこの世の富をもたらした。彼はオフルから金、タルシシからはおびただしい銀を持ってくることができた。「王は銀と金を石のようにエルサレムに多くし、香柏を平野のいちじく桑のように多くした」(歴代志下1:15)。ソロモンの時代に、ますます多くの人々が富を持ち、それに付随したあらゆる誘惑にさらされた。しかし、品性の精金はその色があせ損なわれた。 PK 414.4
ソロモンは気がつかないうちに徐々に背信していって、神から遠くさまよい出た。彼はほとんど無意識のうちに、徐々に神の導きと祝福に頼ることをやめて、自分自身の力に頼り始めた。彼はイスラエルを特選の民としたところの神へのゆるがぬ服従をしだいに怠り、ますます熱心に周囲の国々の習慣に同調していった。彼は成功と栄誉ある地位に付随した誘惑に負けて、繁栄の源であられる神を忘れた。彼は権力と威光とにおいて、他のあらゆる国々をしのこうという野望を抱いて、これまでは神の栄光のために用いられた神の賜物を、利己的目的のために悪用するようになった。援助すべき貧者たちのため、また、清い生活の原則を全世界に普及するために大切に確保しておかなければならない資金が、野心的事業のために利己的に流用された。 PK 414.5
王は外面的虚飾において他の国々をしのこうという圧倒的野望に心を奪われて、品性の美と完全を得ることの必要を見過ごした。彼は世界の前で自己に栄光を帰すことを追求して、彼の名誉と誠実さとを犠牲にした。多くの国々との通商によって得た莫大な収入に、重税による収入が追加された。こうして、誇り、野心、浪費、放縦は残酷と強要という実を結んだのである。彼の治世の初期に、人々を扱う時に彼が抱いていた、良心的で同情に満ちた精神は変わってしまった。彼は、最も賢明で最も恵み深かった王から、暴君に堕落してしまった。かつては、情け深く神を恐れる国民の指導者であった彼が、圧政的な独裁者になった。ぜいたくな宮廷の費川をまかなうために、税金が次から次へと徴集された。 PK 414.6
国民は苦情を訴え出した。かつて人々が、彼らの王に対して抱いた尊敬と称賛は、不平と憎悪に変わった。 PK 414.7
主はイスラエルを治める者が肉の腕に頼ることがないように、彼らを保護するために、自分たちのために馬を増加してはならないという警告を発しておら れたのである。しかし、この命令を全く無視して、「ソロモンが馬を輸入したのはエジプト…からであった」、「また人々はエジプトおよび諸国から馬をソロモンのために輸入した」。「ソロモンは戦車と騎兵とを集めたが、戦車1400両、騎兵12000あった。ソロモンはこれを戦車の町とエルサレムの王のもとに置いた」(同1:16、9:28、列王紀上10:26)。 PK 414.8
王はますます、贅択、放縦、世俗の支持などを偉大さのしるしであると考えるようになった。美しく魅力的な女たちが、エジプト、フェニキヤ、エドム、モアズその他多くの所から集められた。このような女たちの数は数百人に上った。彼らの宗教は偶像礼拝であって、残酷で下劣な儀式を行うように教育されていた。王は彼らの美しさに心を奪われて、神に対する義務と王国に対する義務とを怠った。 PK 415.1
彼の妻たちは彼に強い影響を及ぼし、次第に彼らの礼拝に彼を参加させた。ソロモンは背信に対する防壁として、神がお与えになった教えを無視した。そして、今、彼は偽りの神々の礼拝に心を奪われてしまった。 PK 415.2
「ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである」(列王紀上11:4、5)。 PK 415.3
ソロモンは、主の麗しい神殿が建っていたモリアの山の反対側にあるオリブ山の南の頂上に、偶像礼拝の殿堂として堂々たる建物を建設した。彼は妻たちを喜ばせるために、巨大な偶像や、木や石の不格好な像をミルトスやオリブの木立の中に置いた。「モアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレク」という異邦の神々の祭壇の前で、異教の最も下劣な儀式が行われていた(同11:7)。 PK 415.4
ソロモンの歩いた道はその確かな報いをもたらした。彼が偶像礼拝者たちと交わって神から離反したことは、彼の滅亡であった。彼は神への忠誠を捨て去った時に、自分自身を統御することができなくなった。彼の道徳的力はなくなった。彼の鋭敏な感覚はにぶり、彼の良心は麻痺した。その治世の初期において、大いなる知恵と同情をもって、無力な赤子をその不幸な母親に取りもどした彼が(同3:16~28参照)、はなはだしく堕落して、生きた子供を犠牲として献げる偶像の建立に同意するに至った。青年時代には分別と理解が与えられ、その力強い壮年時代には、「人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある」と霊感によって書いた彼が、後年、純潔から遠くかけ離れて、ケモシとアシタロテの礼拝に関連したみだらで忌まわしい儀式を支持するに至った。神殿の奉献のときに、「あなたがたは…われわれの神、主に対して、心は全く真実で」なければならないと人々に言った(同8:61)彼自身が、彼自身の言葉をその心と生活において拒否して、それに違反する者となったのである。彼は放縦を自由と勘違いした。彼は光とやみ、善と悪、純潔と不純、キリストとベリアルとを一致させようと試みたが、彼はなんと大きな価を払ったことであろう。 PK 415.5
ソロモンは世界の最大の王の1人から道楽者となり、他の者たちの手先となり、奴隷となった。かつては、気高く雄々しかった彼の品性は、無気力になり柔弱になった。彼は生ける神に対する信仰を失って、無神論的疑惑を抱くようになった。不信は彼の幸福を損ない、原則を弱め、生活を堕落させた。彼の治世の初期の正義と雅量は、専制政治と圧政に変わった。人間の性質はなんともろく哀れなものだろう。神は、白分たちが神に依存していることを感じなくなった人々のためには、ほとんど何もおできにならない。 PK 415.6
こうした背教の時代に、イスラエルは霊的にますます堕落していった。彼らの王がサタンの手下たちと結託したのであるから、どうしてそうならずにおれたであろうか。敵はこうした手下たちを用いて、真の礼拝と偽りの礼拝に関して、イスラエルの人々の心を混乱させようとした。そして、彼らはやすやすとその餌食になった。他の国々との通商によって、彼らは神を愛さない人々と密接に交わるようになり、彼ら自身の 神に対する愛も大いに低下した。高く聖なる神のこ品性についての、彼らの鋭敏な感覚も麻痺した。彼らは服従の道を歩むことを拒み、義の敵に忠誠をつくすようになった。偶像礼拝者との結婚は一般の習慣となり、イスラエルの人々は、急速に偶像礼拝に対する嫌悪感を失っていった。一夫多妻主義は黙認された。偶像教徒の母親は異教の儀式を守るように子供たちを育てた。ある人々の生活においては、神によって制定された純粋な礼拝の代わりに、最も堕落した偶像礼拝が行われた。 PK 415.7
キリスト者は独自の立場を保ち、世俗とその精神と、その影響とから離れていなければならない。神はこの世において、われわれを十分に守って下さることができるが、われわれは世のものであってはならない。神の愛は不確実で移り変わるものではない。神は無限の配慮をもって、神の子供たちを常に守っておられる。しかし、神はわれわれが一心をもって忠誠をつくすことをお求めになる。「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」(マタイ6:24)。 PK 416.1
ソロモンは驚くべき知恵を与えられたが、世が彼を神から引き難した。今日の人々も彼より強くはない。彼らもソロモンを陥れた影響に負けやすいのである。神がソロモンに危険の警告をお与えになったのと同じように、今日も、世と親しんで、魂を危険に陥れないように神の民に警告を発しておられるのである。「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、……汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。そしてわたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」と神は訴えておられる(Ⅱコリント6:17、18)。 PK 416.2
繁栄のただ中に危険が潜んでいた。いつの時代においても、富と栄誉には、謙遜と霊性を失う危険が伴っていたのである。運ぶのが難しいのは空のコップではない。注意深くバランスを保たなければならないのは、ふちまで満たされたコッフである。苦難と逆境は悲しみをもたらすであろうが、霊的生活に最も危険なのは繁栄である。人間は常に神のみこころに従い、真理によって清められているのでなければ、繁栄の時に、生まれながら持っている自己信頼の傾向が必ず出てくるものである。 PK 416.3
人々が屈辱の谷間で神の教えを仰ぎ、1歩1歩神の導きに依存している時は、比較的安全である、しかし、高い塔の上のようなところに立ち、その地位のゆえに大きな知恵の持ち主であるかのように思われる時に、その人々は大いなる危険にさらされているのである。彼らは神に寄り頼まない隈り必ず倒れるのである。 PK 416.4
誇りと野心を抱くときに、人は人生において必ず失敗する。というのは、誇りは必要を感じないので、天の無限の祝福に対して心を閉ざしてしまうからである。自分に栄光を帰することを求める者は、自分が神の恵みに欠けていることを見出すであろう。われわれは神の力によって、真の富と最も満足感のある喜びを味わうことができるのである。すべてをキリストのために献げて、キリストのためにすべてをなす人は、「主の祝福は人を富ませる。主はこれになんの悲しみをも加えない」という約束が成就されるのを知るであろう(箴言10:22)。 PK 416.5
救い主は恵みを静かに注ぎ、魂から不安と汚れた野心を追放し、敵意を愛に変え、不信を確信に変えて下さるのである。彼が人に向かって「わたしについてきなさい」と言われる時に、世俗の魅惑的魔力はその力を失ってしまうのである。彼の声の響きとともに、貧欲心と野心は心から逃げ去って、人々は解放されて立ち上がり、彼に従うのである。 PK 416.6