国と指導者

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第4章 権力者が倒れるとき

ソロモンを濫費と圧制に陥れた主な理由のうち、際だっていたのは、彼が自己犠牲の精神を維持し、促進することをしなかったことである。 PK 417.1

モーセがシナイ山のふもとで、「彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである」という神の命令を人々に告げた時に、イスラエルの人々は、それに答えてそれにふさわしい献げ物を持ってきた。「すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者は」献げ物を持ってきた(出エジプト25:8、35:21)。聖所を建てるためには、広範囲にわたる大準備が必要であった。最も尊く高価な材料が大量に必要であったが、主は心からの献げ物だけをお受け入れになった。「すべて、心から喜んでする者から、わたしにささげる物を受け取りなさい」とモーセは繰り返して会衆に命じた(同25:2)。神に対する献身と犠牲の精神とは、至高者であられる神の住居を準備するための第一の必要な条件であった。 PK 417.2

ダビデが神殿の建設の責任をソロモンにゆだねた時に、自己犠牲に対する同様の呼びかけが行われた。ダビデは集まった群衆に向かって、「だれかきょう、主にその身をささげる者のように喜んでささげ物をするだろうか」とたずねた(歴代志上29:5)。献身と心からの奉仕に対するこの呼びかけは、神殿の建設に当たる者が常に心に留めていなければならないものであった。 PK 417.3

荒野の幕屋の建設に当たっては、神からの特別の技能と知恵とが、選ばれた人々に与えられた。「モーセはイスラエルの人々に言った、『見よ、主はユダの部族に属する……ベザレルを名ざして召し、彼に神の霊を満たして、知恵と悟りと知識と諸種の工作に長ぜしめ、……また人轍えうる力を、彼の心に授けられた。彼とダンの部族に属する……アホリアブとが、それである。主は彼らに知恵の心を満たして、諸種の工作をさせられた。すなわち彫刻、浮き織…縫取り、また機織など縄の工作をさせ……られた。ベザレルとアホリアブおよびすべて心に知恵ある者、すなわち主が知恵と悟りとを授け……られた』」(出エジプト35:30~36:1)。神ご自身が選ばれた働き人に天使たちが協力した。 PK 417.4

これらの働き人の子孫は、彼らの先祖たちに与えられた技能の大部分を受け継いだ。ユダとダン族のこれらの人々は、しばらくの間、謙遜で、無我の精神を保っていた。しかし彼らは知らず知らずのうちに神を見失って、無我の精神をもって神に奉仕しようとしなくなってしまった。彼らは、芸術的細工師として、優れた技能を持っていたので、彼らの働きに対して高い給料を要求した。ある時には、彼らの要求は容れられたが、彼らはまわりの国々で仕事を見つけることが多くなった。彼らのりっぱな先祖の心にあふれた気高い自己犠牲の精神の代わりに、彼らは貧欲心を抱いてますます多くのものを手に入れようとした。彼らは自分たちの利己的願望を満足させるために、神がお与えになった技能を、異教徒の王たちのために用い、創造主のみ名を汚す工事を完成するために彼らの才能を役立てたのである。 PK 417.5

ソロモンがモリア山上の神殿建設工事の監督を探したのは、このような人々の間からであった。聖なる建造物の各部に関する明細な指示が書き出されて王に委託された。そして、王は献身した援助者たちが与えられるように、信頼をもって神に助けを仰ぐことができたはずであった。この人々には要求された働きを正確になすための特別の技能が与えられたはずであった。しかし、ソロモンは、神に対する信仰を働かせるこの機会を見失った。ソロモンは、ツロの王に人をつかわして、「金、銀、青銅、鉄の細工および紫糸、緋糸、青糸の織物にくわしく、また彫刻の術に巧みな工人ひとりをわたしに送って、……ユダとエルサレムのわたしの工人たちと一緒に働かせてください」と頼んだ(歴代志下2:7)。 PK 417.6

フェニキアの王はそれに答えて、「ダンの子孫である女を母とし、ツロの人を父とし」たヒラムを送って きた(同2:14)。ヒラムの母は、神が数百年前、幕屋を建設するために、特別の知恵をお与えになったアホリアブの子孫であった。 PK 417.7

こうして、無我の精神に動かされて神に奉仕をしようとした者ではない人が、ソロモンの工人たちの頭に立てられたのである。彼はこの世の神、すなわち富に仕えていた。彼の性格のあらゆる点にまで利己主義が染み渡っていた。 PK 418.1

ヒラムは特別の技能を持っていたので、高額の給料を要求した。彼が抱いていた誤った考えが徐々に彼の同僚たちに受け入れられた。彼らが、毎日ヒラムとともに働いた時に、彼らは彼の給料を自分たちの給料と比較するようになって、彼らの働きの神聖さを見失い始めた。自己犠牲の精神は失せ去り、その代わりに貧欲心が起こってきた。その結果は高い給料の要求となり、それが容れられたのである。 PK 418.2

このようにして引き起こされた有害な影響が、主の働きのあらゆる分野に行き渡り、王国全体に広がった。彼らが高給を要求して与えられたことは、多くの人々にぜいたくと浪費にふける機会を与えた。金持ちは貧者を圧迫した。自己犠牲の精神はほとんど失われてしまった。かつては世界最大の賢者の1人に数えられていた者の恐るべき背信の主な原因の1つは、このような影響が、広く行き渡った結果だと思われる。 PK 418.3

荒野の幕屋を建てた人々と、ソロモンの神殿を建設した人々とは、その精神と動機が著しく異なっていたことは重大な教訓を教えている。神殿を建設した働き人たちが抱いていた利己主義は、今日においても同様に自己中心主義となって、世界にみなぎっている。貧欲の精神、高い地位や高い給料を求める精神は旺盛である。幕屋を建てた人々の心からの奉仕と、喜んで自己を犠牲にする精神はめったに見当たらない。しかしこれが、イエスに従う者たちを動かす唯一の精神でなければならない。われわれの主は、彼の弟子たちがどのように働くべきかについて、模範を示された。彼は「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」とお命じになった人々に、その奉仕の報酬として、一定の額を提供するということはなさらなかった(マタイ4:19)。彼らはイエスの克己と犠牲にあずからなければならなかった。 PK 418.4

われわれは受ける給料のために働くべきではない。われわれを神のために働かせる動機の中には、利己心に類似したものは何1つあってはならない。無我の献身と犠牲の精神が、過去におけると同様に未来においても、常に神に喜ばれる奉仕の最初の必要条件である。われわれの主、また教師であられるイエスは、彼の働きの中に、ひとすじの利己心も織り込まれることをご計画にならなかった。われわれは完全な神が、地上の幕屋の建設者たちに要求された気転と技能、正確さと知恵とをわれわれの仕事の中に働かせなければならない。しかし、われわれはわれわれのすべての働きにおいて、どんなに偉大な才能であっても、または、どんなに驚くべき奉仕であっても、自己が、焼きつくされるべき生きた犠牲として、祭壇の上に置かれたときにのみ、神に受け入れられるものであることを覚えていなければならない。 PK 418.5

ついに、イスラエルの王を堕落させたところのもう1つの正しい原則からの離反は、彼か、神にのみ属する栄光を自分に帰するという誘惑に負けたことである。 PK 418.6

ソロモンが神殿建設の働きを委ねられた日からその完成に至るまで、彼の公に宣言していた目的は、「イスラエルの神、主の名のために家を建てること」であった(歴代志下6:7)。この目的は、神殿が奉献された時に集まったイスラエルの軍勢の前で十分に認められた。王は、主が「わたしの名をそこに置く」と言われたのを、彼の祈りの中で感謝したのである(列王紀上8:29)。 PK 418.7

ソロモンの奉献の祈りの中で、最も感動的な部分の1つは、諸国の間に広く伝えられた神のことを聞こうと思って遠国から来る、異邦人のための神への嘆願である。王は嘆願して言った。「それは彼らがあなたの大いなる名と、強い手と、伸べた腕とについて聞き及ぶからです」。ソロモンは、これらのすべての 異邦の礼拝者のために祈った。「あなたは…天で聞き、すべて異邦人があなたに呼び求めることをかなえさせてください。そうすれば、地のすべての民は、あなたの民イスラエルのように、あなたの名を知り、あなたを恐れ、またわたしが建てたこの宮があなたの名によって呼ばれることを知るにいたるでしょう」(同8:42、43)。 PK 418.8

式の後でソロモンは、イスラエルの人々に、神に対して忠実であるように勧めた。「そうすれば、地のすべての民は主が神であることと、他に神のないことを知るに至るであろう」と彼は言った(同8:60)。 PK 419.1

ソロモンよりも偉大なお方が神殿を設計なさったのであった。そこに、神の知恵と栄光があらわされた。この事実を知らなかった人々は、その設計家であり、建設者であるソロモンを賞賛したのは当然のことであった。しかし、王はその構想または建設に関する栄誉を自分に帰することをしなかった。 PK 419.2

シバの女王が彼を訪問したときに、ソロモンはそのような状態であった。彼女は、彼の知恵と彼が建てた壮麗な神殿のことを聞いて、「難問をもってソロモンを試みようと」した。そして、彼の有名な工事を自分の目で見ようとした。彼女は多くの従者を連れ「香料と、たくさんの金と宝石とをらくだに負わせて」はるばるエルサレムにやって来た。「彼女はソロモンのもとにきて、その心にあることをことごとく彼に告げた」。彼女は自然界の神秘について彼と語った。そして、ソロモンは自然界の神、偉大な創造者、いと高き天に住んで、万物を支配しておられる神について、彼女に教えた。「ソロモンはそのすべての問に答えた。王が知らないで彼女に説明のできないことは1つもなかった」(同10:1~3、歴代志下9:1、2)。 PK 419.3

「シバの女王はソロモンのもろもろの知恵と、ソロモンが建てた宮殿、……を見て、全く気を奪われてしまった」。「わたしが国であなたの事と、あなたの知恵について聞いたことは真実でありました。しかしわたしがきて、目に見るまでは、その言葉を信じませんでしたが、今見るとその半分もわたしは知らされていなかったので魂あなたの知恵と繁栄はわたしが聞いたうわさにまさっています」。「常にあなたの前に立って、あなたの知恵を聞く家来たちはさいわいです」と彼女は言った(列王紀上10:4~8、歴代志下9:3~6)。 PK 419.4

シバの女王は、その訪問の終わりごろになると、ソロモンから彼の知恵と繁栄の源について十分の教えを受けたので、人間を高めるのではなくて、「あなたの神、主はほむべきかな。主はあなたを喜び、あなたをイスラエルの位にのぼらせられました。 PK 419.5

主は永久にイスラエルを愛せられるゆえ、あなたを王として公道と正義とを行わせられるのです」と叫ばずにはおられなかった(列王紀上10:9)。すべての国民にこのような印象が与えられることが、神のご計画であった。そして、「地のすべての王は神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとしてソロモンに謁見を求めた」(歴代志下9:23)。そのとき、ソロモンはしばらくの間ではあるが、彼らに天と地の創造主、宇宙の支配者、全知であられる神を敬虔深くさし示して神に栄誉を帰したのである。 PK 419.6

もしソロモンが、謙遜に人々の注意を自分から引き離して、彼に知恵と富と栄誉とをお与えになった神に向けたならば、彼の経歴はどんなものになっていたことだろう。霊感による筆は彼の美徳を記録するとともに、また彼の堕落をも忠実にあかししているのである。ソロモンは偉大さの頂点に達し、幸運という賜物にとり囲まれて目がくらみ、バランスを失って落ちたのである。彼は絶えず世界の人々からほめそやされて、ついに、その甘言に負けないでいることができなかった。彼はその与え主であられる神に栄光を帰すために、彼に託された知恵を自慢するようになった。彼は「イスラエルの神、主の名」の栄光のために設計され、建築された建物のその壮麗無比なことに対して、最も賞賛に価する者は自分であると人々が言うのを、ついに許すに至った。 PK 419.7

このようなわけで、主の神殿は諸国の間で、「ソロモンの神殿」として知られるようになった。「位の高い人よりも、さらに高い者」であられる神に属する栄光を、人間が自分に帰してしまった(伝道の書5:8)。 「わたしが建てたこの宮が、あなたの名によって呼ばれる」(歴代志下6:33)とソロモンが宣言した神殿が、今日においてさえ、主の神殿ではなくて、「ソロモンの神殿」と一般に呼ばれているのである。 PK 419.8

天から授かった賜物に対して、人々から栄誉を受けてそれを自分に帰してしまうことほど、人間の弱さを示すものはほかにない。真のキリスト者は、何事においても神を、最初であり最後であり、そして最上のものとするのである。 PK 420.1

どのような野心的動機も彼の神に対する愛を冷却させることはない。彼は着実に忍耐強く、彼の父なる神に栄光が帰せられるように努力するのである。われわれが忠実に神のみ名を高めている時に、われわれの衝動は神の統御のもとにあるのである。そして、われわれは霊的、知的能力を啓発することができるのである。 PK 420.2

主イエスは天の父なる神のみ名を常に高められた。彼は弟子たちに「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように」と祈ることをお教えになった(マタイ6:9)。そして、彼らは「栄えは、とこしえにあなたのものだからです」と認めることを忘れてはならなかった(同6:13新改訳)。大いなる医師イエスは人々の注意をご自分から、彼の力の源にお向けになったので、驚嘆した「群衆は、口の利けない人が話すようになり、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を賛美した」(同15:31)。キリストは、十字架におかかりになるすぐ前に献げられた驚くべき祈りのなかで、次のように言われた。「わたしは……地上であなたの栄光をあらわしました」。「あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい」。「正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、あなたがわたしをおつかわしになったことを知っています。そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」(ヨハネ17:4、1、25、26)。 PK 420.3

「主はこう言われる、『知恵ある人はその知恵を誇ってはならない。力ある人はそのカを誇ってはならない。富める者はその富を誇ってはならない。誇る者はこれを誇とせよ。すなわち、さとくあって、わたしを知っていること、わたしが主であって、地に、いつくしみと公平と正義を行っている者であることを知ることがそれである。わたしはこれらの事を喜ぶと、主は言われる』」(エレミヤ9:23、24)。 PK 420.4

「わたしは……神の名をほめたたえ、 PK 420.5

感謝をもって神をあがめます」。 PK 420.6

「われらの主なる神よ、あなたこそは、 PK 420.7

栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた」。 PK 420.8

「わが神、主よ、わたしは心をつくしてあなたに感謝し、 PK 420.9

とこしえに、み名をあがめるでしょう」。 PK 420.10

「わたしと共に主をあがめよ。 PK 420.11

われらは共にみ名をほめたたえよう」。 PK 420.12

(詩篇69:30、黙示録4:11、詩篇86:12、34:3) PK 420.13

犠牲の精神を捨て去って、自己賞揚の精神を起こさせる要素が取り入れられた時に、イスラエルに対する神の計画がさらにはなはだしく歪められることになった。神は神の民が世界の光となるように計画なさったのであった。生活の実際行動にあらわされた神の律法の栄光が、彼らから輝き出なければならなかった。こうした計画を遂行するために、神は選民が地上の諸国の中の戦略的位置を占めるようになさったのである。 PK 420.14

ソロモンの時代に、イスラエル王国は北はハマテから南はエジプト、また、地中海からユフラテ川にまで及んだ。この地域の中を昔ながらの通商路が数多く通っていた。そして、遠国からの隊商が絶えず行き来していた。こうして、ソロモンとその国民には、万国の人々に、王の王の品性をあらわし、彼らに神をあがめて従うように教える機会が与えられていた。この知識は全世界に伝えられるべきであった。犠牲の献げ物の教えによって、キリストは国々の前で高めら れなければならなかった。それは生きようと望むものがみな生きることができるためであった。 PK 420.15

ソロモンはまわりの国々に対する燈台として立てられた国家の首長の地位におかれていたので、神と神の真理を知らない人々に光を照らすための大運動を組織して、それを指導するために、神から与えられた知恵と影響力とを用いなければならなかった。そうするときに、多くの人々が神の戒めに忠誠をつくすようになり、イスラエルは異教徒の悪習慣から保護され、栄光の主は大いにあがめられたことであろう。ところが、ソロモンはこの大いなる目的を見失ってしまった。彼は彼の領地を絶えず通過し、主要な町々に滞在する人々に光を照らすすばらしい機会を活用しなかったのである。 PK 421.1

神がソロモンとすべての真のイスラエル人の心に植えつけられた伝道の精神は、商業主義の精神に取って換えられた。多くの国々との接触によって与えられた機会は、自己の勢力を増強するために用いられた。ソロモンは通商路に要塞を築いて、彼の政治的地位を強化しようとした。彼は、エジプトとシリヤ間の道に沿ってヨッパの近くにある、ゲゼルを建て直した。また、エルサレムの西方にあって、ユダヤの中心部からゲゼルと海岸へ出る公道の要所を占めているベテホロン、ダマスコからエジプトへ通じる隊商路に位するメギド、東方の隊商路に沿っている「荒野にタデモル」などを建てた(歴代志下8:4)。こりした町々はみな、防備が厳重に固められた。「エドムの地、紅海の岸の……エジオン・ゲベルで数隻の船を造った」ことによって、糖の奥にある港の商業的利益が開発された。ツロ出身の訓練を受けた水兵たちが、「ソロモンのしもべと共に」それらの船を繰縦して「オフルへ行って、そこから金……をもってきた」。また、「たくさんのびゃくだんの木と宝石と鰍できた」(同8:18、列王紀上9:26~28、10:11)。 PK 421.2

王と多くの国民の収入は大いに増加したが、そのためになんと大きな犠牲を払ったことであろう。神の言葉を託された人々が貧欲で先を見ることができなかったために、旅の道に群がる無数の群衆に主のことを知らせなかった。 PK 421.3

キリストがこの地上におられた時に歩まれた道は、ソロモンの道とは著しく異なったものであった。救い主は「いっさいの権威」を持っておられたが、この力を自己の勢力を伸ばすためにお用いになったことはない。地上の征服とか世俗的偉大さとかいった夢によって、彼の人類に対する完全な奉仕がそこなわれたことはなかった。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と彼は言われた(マタイ8:20)。 PK 421.4

この時代の召しにこたえて、大いなる働き人であられる主の奉仕に加わったものは、彼の方法をよく研究するとよい。彼は旅の大通りにおいて発見する機会を大いに活用されたのである。 PK 421.5

彼はあちらこちら旅をなさったその合間は、「自分の町」として知られていたカペナウムにお住みになった(同9:1)。そこはダマスコからエルサレム、またエジプト、地中海へと通じる道に位していたので、救い主の働きの中心としては好適地であった。多くの国々から来る人々がその町を通り、休息のために滞在した。そこで、イエスはあらゆる国、あらゆる階級の人々とお会いになった。こうして、彼の教えは他の国々と多くの家庭の人々に伝えられたのである。このような方法によって、メシヤを予告した預言に関する興味がわき起こり、救い主に人々の注意が向けられ、彼の任務が世界の前に示された。 PK 421.6

このわれわれの時代においては、あらゆる階級の男女と多くの国民とに接する機会が、イスラエルの時代よりはるかに多いのである。交通の路線はおびただしく増加しているのである。 PK 421.7

今日の至高者の使命者たちは、キリストのように世界のあらゆる所から来る群衆に接することができる、これらの主要道路に位置を占めていなければならない。彼らは主のように神の中に自己を隠して、福音の種をまき、他の人々に聖書の尊い真理を示さなければならない。それらは、人々の思いと心の中に根をおろし、芽生えて永遠の命に至るのである。 PK 421.8

王も国民も彼らが達成するように召された、大いなる口的から離反していた時のイスラエルの失敗の教訓は、実に意義深いのである。彼らが弱く、失敗した点において、今日の神のイスラエル、すなわち、キリストの真の教会を構成する天の代表者たちは、強くなければならない。なぜならば、人間に委ねられた働きを完結することと、最後の報復の日の到来を告げる任務が彼らに委ねられているからである。しかし、ソロモンが国を治めていた時代にイスラエルを襲ったのと同じ勢力に、今日も当面しなければならない。すべての義の敵の軍勢は根強く陣をしいている。勝利はただ神の力によってのみ得ることができる。 PK 422.1

われわれの当面する争闘は、自己犠牲の精神を働かせて、自己に頼らず、ただ神のみに依存すること、また、人々を救うためにあらゆる機会を賢明に活用することなどを要求している。神の教会が罪過の暗黒のなかにある世界に対して、キリストの自己犠牲の精神に飾られた聖なる美を示し、人間をあがめるのではなくて神をあがめ、福音の祝福を大いに必要としている人々に対して愛と不屈の奉仕をなしつつ、一致して前進するときに、彼らには主の祝福が伴うのである。 PK 422.2