国と指導者

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第2章 エルサレム神殿の建設

主の神殿を建設しようとダビデが長く心に抱いていた計画は、ソロモンによって賢明に実行に移された。エルサレムは、7年にわたって、選ばれた敷地の地ならしをする者、巨大な城壁を築く者、広大な基礎づくりをする者、「大きい高価な石を切り出」す者、レバノンの森林から運んできた木材を整えて、壮麗な聖所を建設する者など、忙しく働く職人たちで満たされた(列王紀上5:17)。 PK 407.8

幾千の人々が木材と石材の準備に努力を傾けると同時に、神殿の備品の製作もツロのヒラムの指導の下に着実に進んでいた。彼は「知恵のある工人、……金銀、青銅、鉄、石、木の細工および紫糸、青糸、亜麻糸、緋糸の織物にくわし」い人であった(歴代志下2:13、14)。 PK 407.9

こうして、モリアの山の上で建物が音もなく建てられ、「石切り場で切り整えた石をもって造ったので、建てている間は宮のうちには、つちも、おのも、その他の鉄器もその音が聞えなかった」。美しい備品、す なわち「神の宮のすべての器物」は、ダビデがその子に指示した型に従って、完成された(列王紀上6:7、歴代志下4:19)。これらの中には「金と精金」で造られた香壇、供えのパンを載せる机、燭台とそのともしび皿、そして、聖所の祭司の務めに関する器具がみな含まれていた(歴代志下4:21)。燔祭の壇、12の牛に支えられた大洗盤、小型の洗盤その他多くの青銅の器具を「王はヨルダンの低地で、スコテとゼレダの間の粘土の地でこれを鋳た」(同4:17)。これらの器具は、不足することがないように、豊富に準備されたのである。 PK 407.10

ソロモンと彼の協力者たちが神と神の礼拝のために建てた広大な建物は、実に、美を極め、その華麗さは、ほかに比べるものがなかった。壮麗な入口と広い庭に囲まれて、宝石に飾られ、彫刻をほどこした香柏、みがき上げた金をはりつめた神殿は、各時代を通じて神の型に従って、「金、銀、宝石」にたとえられた材料によって、「宮の建物のために刻まれる」地上の神の生ける教会を代表するのに、まことにふさわしいものであった(Ⅰコリント3:12、詩篇144:12)。 PK 408.1

キリストは、この霊的神殿の「隅のかしら石である。このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長」するのである(エペソ2:20、21)。 PK 408.2

ダビデ王が計画し、その子ソロモンが建築に当たった神殿がついに完成した。「ソロモンは主の家……について、しようと計画したすべての事を首尾よくなし遂げた」(歴代志下7:11)。ダビデが切に望んだとおりに、今、モリアの山の頂に位するこの宮が、「人のためではなく、主なる神のため」の住居となるためには、それを公に、主と主の礼拝に献げる厳粛な儀式が行われなければならなかった(歴代志上29:1)。 PK 408.3

神殿が建てられた場所は、昔から神聖な場所とされていた。信仰の父アブラハムが、主の命令に従って、彼の一人子を喜んで献げる精神をあらわしたのは、ここであった。神は、ここで、アブラハムに神の祝福の契約を更新された。それには、至高者のみ子の犠牲によって、人類が救済されるという輝かしいメシヤの約束が含まれていた(創世記22:9、16~18参照)。また、ダビデが滅ぼす天使の復讐のつるぎをとどめるために、燔祭と酬恩祭を献げ、神がそれに天から火を下して答えられたのも、ここであった(歴代志上21章参照)。そして、主の礼拝者たちは、もう1度ここで神のみ前に出て、神に対する彼らの忠誠の誓いを更新するのであった。 PK 408.4

奉献式のために選ばれた時は最も好都合な7月であった。それは全国各地から人々がエルサレムに集まって来て、仮庵の祭りを祝う時であった。この祭りは特に喜ばしい時であった。収穫の仕事は終わり、新しい年の労苦はまだ始まっていなかったので、人々は苦労から解放されて、この時の神聖で喜ばしい雰囲気にひたることができたのである。 PK 408.5

定められた時に、大勢のイスラエルの人々は立派な装いをした多くの外国の代表者たちとともに神殿の庭に集まった。それはまれにしか見ることができない華麗な光景であった。ソロモンは、イスラエルの長老たちや民の中の最も有力な人々とともに、町の別のところからもどってきた。そこに契約の箱が移されていたのであった。ギベオンの頂にあった昔の聖所から、「会見の幕屋と、幕屋にあるすべて聖なる器」が移されたのである(歴代志下5:5)。 PK 408.6

そして、イスラエルの民の荒野の放浪とカナンの征服における初期のでき事の懐かしい思い出の品が移動式の建造物のかわりに建てられた壮麗な建物の中に、永久に保存されることになった。 PK 408.7

十戒が神の指によって書かれた2枚の石の板を納めた聖なる箱を神殿に持ってきたということは、ソロモンが父ダビデの模範に従ったのであった。彼は6歩進むごとに犠牲を献げた。歌と音楽と荘厳な儀式のうちに、「祭司たちは主の契約の箱をその場所にかつぎ入れ、宮の本殿である至聖所のうちに……置いた」(同5:7)。彼らは至聖所から出て来て、彼らに定められた位置についた。歌をうたう人々、すなわち、レビ人たちは、亜麻布を着、シンバルと、立琴 と、琴をとって祭壇の東に立ち、120人の祭司は彼らと一緒に立ってラッパを吹いた(同5:12参照)。 PK 408.8

「(ラッパ吹く者と歌うたう者とは、ひとりのように声を合わせて主をほめ、感謝した)、そして彼らがラッパと、シンバルとその他の楽器をもって声をふりあげ、主をほめて『主は恵みあり、そのあわれみはとこしえに絶えることがない』と言ったとき、雲はその宮すなわち主の宮に満ちた。祭司たちは雲のゆえに立って勤めをすることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである」(同5:13、14)。 PK 409.1

ソロモンは、この雲の意義を悟って、次のように言った。「主はみずから濃き雲の中に住まおうと言われた。しかしわたしはあなたのために高き家、とこしえのみすまいを建てた」(同6:1、2)。 PK 409.2

「主は王となられた。 PK 409.3

もろもろの民はおののけ。 PK 409.4

主はケルビムの上に座せられる。 PK 409.5

地は震えよ PK 409.6

主はシオンにおられて大いなる神、 PK 409.7

主はもろもろの民の上に高くいらせられる。 PK 409.8

彼らはあなたの大いなる恐るべきみ名を PK 409.9

ほめたたえるであろう。 PK 409.10

主は聖でいらせられる。…… PK 409.11

われらの神、主をあがめ、 PK 409.12

その足台のもとで拝みまつれ。 PK 409.13

主は聖でいらせられる」 PK 409.14

(詩篇99:1~5) PK 409.15

神殿の「庭のまん中に」、「長さ5キュビト、幅5キュビト、高さ3キュビトの青銅の台」が設けられた。ソロモンはその上に立って、両手をあげて、彼の前にいるおびただしい群衆を祝福した。「その時イスラエルの全会衆は立っていた」(歴代志下6:13、3)。 PK 409.16

ソロモンは叫んだ、「イスラエルの神、主はほむべきかな。主は口をもってわが父ダビデに約束されたことを、その手をもってなし遂げられた。…わが名を置くために、ただエルサレムだけを選ばれた」(同6:4~6)。 PK 409.17

それから、ソロモンは、その台の上でひざまずき、すべての人々が聞いているところで、奉献の祈りをささげた。会衆が顔を地につけてひざまずいている時に、王は両手を天にあげて嘆願した。「イスラエルの神、主よ、天にも地にも、あなたのような神はありません。あなたは契約を守られ、心をつくしてあなたの前に歩むあなたのしもべらに、いつくしみを施」されます。 PK 409.18

「しかし神は、はたして人と共に地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません。わたしの建てたこの家などなおさらです。しかしわが神、主よ、しもべの祈と願いを顧みて、しもべがあなたの前にささげる叫びと祈をお聞きください。どうぞ、あなたの目を昼も夜もこの家に、すなわち、あなたの名をそこに置くと言われた所に向かってお開きください。どうぞ、しもべがこの所に向かってささげる祈をお聞きください。どうぞ、しもべと、あなたの民イスラエルがこの所に向かって祈る時に、その願いをお聞きください。あなたのすみかである天から聞き、聞いておゆるしください。…… PK 409.19

もしあなたの民イスラエルが、あなたに対して罪を犯したために、敵の前に敗れた時、あなたに立ち返って、あなたの名をあがめ、この宮であなたの前に祈り願うならば、あなたは天から聞き、あなたの民イスラエルの罪をゆるして、あなたが彼らとその先祖に与えられた地に彼らを帰らせてください。 PK 409.20

もし彼らがあなたに罪を犯したために、天が閉ざされて、雨がなく、あなたが彼らを苦しめられるとき、彼らがこの所に向かって祈り、あなたの名をあがめ、その罪を離れるならば、あなたは天にあって聞き、あなたのしもべ、あなたの民イスラエルの罪をゆるして、彼らに歩むべき良い道を教え、あなたの民に嗣業として賜わった地に雨を降らせてください。 PK 409.21

もし国に飢饉があるか、もしくは疫病、立ち枯れ、腐り穂、いなご、青虫があるか、または敵のために町の門の中に攻め囲まれることがあるか、どんな災害、どんな病気があっても、もし、1人か、あるいはあなたの民イスラエルが皆おのおのその心の悩みを知っ て、この宮に向かい、手を伸べるならば、どんな祈、どんな願いでも、あなたはそのすみかである天から聞いてゆるし、おのおのの人に、その心を知っておられるゆえ、そのすべての道にしたがって報いてください。……あなたがわれわれの先祖たちに賜わった地に、彼らの生きながらえる日の間、常にあなたを恐れさせ、あなたの道に歩ませてください。 PK 409.22

またあなたの民イスラエルの者でなく、他国人で、あなたの大いなる名と、強い手と、伸べた腕のために遠い国から来て、この宮に向かって祈るならば、あなたは、あなたのすみかである天から聞き、すべて他国人があなたに呼び求めるようにしてください。そうすれば地のすべての民はあなたの民イスラエルのように、あなたの名を知り、あなたを恐れ、またわたしが建てたこの宮が、あなたの名によって呼ばれることを知るにいたるでしょう。 PK 410.1

あなたの民が敵と戦うために、あなたがつかわされる道によって出るとき、もし彼らがあなたの選ばれたこの町と、わたしがあなたの名のために建てたこの宮に向かってあなたに祈るならば、あなたは天から彼らの祈と願いとを聞いて彼らをお助けください。 PK 410.2

彼らがあなたに対して罪を犯すことがあって、——罪を犯さない人はないゆえ、——あなたが彼らを怒って、敵にわたし、敵が彼らを捕虜として遠い地あるいは近い地に引いて行くとき、もし、彼らが捕われて行った地で、みずから省みて悔い、その捕われの地であなたに願い、『われわれは罪を犯し、よこしまな事をし、悪を行いました』と言い、その捕われの地で心をつくし、精神をつくしてあなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖に与えられた地、あなたが選ばれた町、わたしがあなたの名のために建てたこの宮に向かって祈るならば、あなたのすみかである天から、彼らの祈と願いとを聞いて彼らを助け、あなたに向かって罪を犯したあなたの民をおゆるしください。 PK 410.3

わが神よ、どうぞ、この所でささげる祈にあなたの目を開き、あなたの耳を傾けてください。主なる神よ、今あなたと、あなたの力の箱が立って、あなたの安息所におはいりください。主なる神よ、どうぞあなたの祭司たちに救の衣を着せ、あなたの聖徒たちに恵みを喜ばせてください。主なる神よ、どうぞあなたの油そそがれた者の顔を退けないでください。あなたのしもベダビデに示されたいつくしみを覚えて下さい」(歴代志下6:14~42)。 PK 410.4

ソロモンが祈り終わったとき、「夫から火が下って燔祭と犠牲を焼き、主の栄光が宮に満ちた」。「主の栄光が主の宮に満ちたので」、祭司たちは神殿に入ることができなかった。「イスラエルの人々はみな…主の栄光が宮に臨んだのを見て、敷石の上で地にひれ伏して拝し、主に感謝して言った、『主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない』」(歴代志下7:1~3)。 PK 410.5

そして、王と民は主の前に犠牲をささげた。「こうして王と民は皆神の宮をささげた」(同7:5)。「ハマテの入口からエジプトの川に至るまで」、王国の各地から集まった「非常に大きな会衆」と言われている群衆が、7日の間、喜ばしい祭りを行った。喜びに満ちた群衆は、その次の週に、仮庵の祭りを祝った。再献身と喜びの期間が終わった時に、人々は「主がダビデ、ソロモンおよびその民イスラエルに施された恵みのために喜び、かつ心に楽しんで去った」(同7:8、10)。 PK 410.6

王は、神と神のご用のためにすべてを献げ、神の聖なるみ名を賛美するように民を励ますために彼のなしうる限りのことをしたのである。そして、イスラエルの王の治世の初期に、ギベオンにおけると同様に、ここでもう1度、彼が神に受け入れられ、祝福されるというしるしが与えられた。主は夜の幻のなかで彼に現れて、次のように言われた。「わたしはあなたの祈を聞き、この所をわたしのために選んで、犠牲をささげる家とした。わたしが天を閉じて雨をなくし、またはわたしがいなごに命じて地の物を食わせ、または疫病を民の中に送るとき、わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす、今この所にささげられる祈にわたしの目を開き、耳を傾け る。今わたしはわたしの名をながくここにとどめるために、この宮を選び、かつ聖別した。わたしの目とわたしの心は常にここにある」(同7:12~16)。 PK 410.7

イスラエルが神に忠実であったならば、この栄光に満ちた建物は、神の選民に対する神の特別な恵みの永遠のしるしとして、永遠に存続するのであった。「また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は——わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」と神は言われた(イザヤ56:6、7)。 PK 411.1

こうした嘉納の確証に関連して、主は義務の道を非常に明瞭に王の前に示された。「あなたがもし父ダビデの歩んだようにわたしの前に歩み、わたしが命じたとおりにすべて行って、わたしの定めとおきてとを守るならば、わたしはあなたの父ダビデに契約して『イスラエルを治める人はあなたに欠けることがない』と言ったとおりに、あなたの王の位を堅くする」(歴代志下7:17、18)。 PK 411.2

もしソロモンが謙遜に主に仕えることを続けていったならば、彼の治世全体は、すでに彼の父ダビデの治世と彼の賢明な言葉や彼の初期の治世の壮大な事業によって、非常な好感を抱いていた周囲の国々に強力な好影響を及ぼしたことであろう。神は、繁栄と世俗的栄誉に伴う恐るべき誘惑を予見して、ソロモンに背信の害悪に対する警告を発し、恐るべき罪の結果を予告されたのである。もしイスラエルの人々が、「その先祖たちの神、主を捨てて」頑強に偶像礼拝を続けるならば、今、奉献されたばかりの美しい神殿さえも、「もろもろの民のうちにことわざとし、笑い草とする」と神は言われたのである(同7:22、20)。 PK 411.3

ソロモンは、イスラエルのための彼の祈りが聞かれたという天からの言葉に力づけられ、大いに励まされて、彼の治世の最も輝かしい時代にはいったのである。「地のすべての王は神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとして」彼の謁見を求めた(歴代志下9:23)。彼の統治の方法や、困難な問題の扱い方について、教えを受けるために来る者も多かった。 PK 411.4

こうした人々がソロモンを訪ねて来た時に、彼は神が万物の創造主であることを教えた。そして、彼らはイスラエルの神と人類に対する神の愛について、はっきりした考えをもって彼らの故郷へ帰ったのである。彼らは今、自然界のみわざの中に、神の愛の表現と神のこ品性の啓示をながめた。そして、多くの者は神を彼らの神として礼拝するようになったのである。 PK 411.5

ソロモンが国事の責任を負った時に、神の前で、「わたしは小さい子供である」(列王紀上3:7)と認めた彼の謙遜、彼の神に対する著しい愛、神的事物に対する深い崇敬の念、また、彼が自己に信頼せず、万物の創造主であられる無限の神を高めたことなど、われわれが見習う価値のあるこれらの品性の特質はみな、神殿の完成を祝う儀式が行われ、彼が謙遜な嘆願者の姿勢をとってひざまずき、彼の奉献の祈りをささげた時に、あらわされたのであった。今日、キリストの弟子たちは、神を恐れかしこむ精神を失わないように、気をつけていなければならない。 PK 411.6

聖書は人々がどのようにして彼らの造り主に近づくべきか、すなわち、仲保者であられるおかたを信じて、謙遜と畏敬の念をもって近づくべきことを教えている。詩篇記者は言った。 PK 411.7

「主は大いなる神、 PK 411.8

すべての神にまさって大いなる王だからである。 PK 411.9

……

さあ、われらは拝み、ひれ伏し、 PK 411.10

われらの造り主、主のみ前にひざまずこう」 PK 411.11

(詩篇95:3~6) PK 411.12

公的と私的の礼拝の両方において、われわれが神に嘆願する時には、神のみ前にひざまずくのが、われわれの特権である。われわれの模範であられるイエスは「ひざまずいて、祈って言われた」(ルカ22: 41)。弟子たちについても、彼らは「ひざまずいて祈った」と記されている(使徒行伝9:40)。パウロは、われわれの主イエス・キリストの父なる神に「ひざをかがめ」ると言った(エペソ3:14)。エズラはイスラエルの罪を神に告白したときに、ひざまずいた(エズラ9:5参照)。ダニエルは「1日に3度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した」(ダニエル6:10)。 PK 411.13

神に真の崇敬の念を抱くということは、神の無限の偉大さと神の臨在を自覚することによるのである。すべての者は見えない神に対して、こうした思いを心から抱かなければならない。祈りの時間と場所は神聖である。なぜならば、神がそこにおられるからである。そして、崇敬の念が態度とふるまいにあらわされる時に、その感じはさらに深まるのである。「そのみ名は聖にして、おそれおおい」と詩篇記者は言っている(詩篇111:9)。そのみ名を語るとき、天使たちは彼らの顔をおおうのである。もしそうであるならば、堕落した罪深いわれわれは、どんな崇敬の念をもって、それを、われわれの口にしなければならないことであろう。 PK 412.1

神の特別の臨在があらわされた場所は、どんなに重要視すべきであるかを示す次のみ言葉を老いも若きもともによく考える必要がある。神は、燃えるしばのところで、「足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」とモーセに言われた(出エジプト3:5)。ヤコブは天使たちの幻を見たあとで、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった。……これは神の家である。これは天の門だ」と叫んだ(創世記28:16、17)。 PK 412.2

奉献の儀式のなかで語られた言葉によって、ソロモンは臨席した人々の心の中から、創造主に関する迷信を除去しようと努めた。それは異教徒の心を暗くしていたものであった。天の神は、異教徒の神々とはちがって、手で造った神殿に閉じ込めておくことはできない。・しかし神は、神の民が神の礼拝のために奉献された宮に集まる時に、聖霊によって彼らにお会いになるのである。 PK 412.3

パウロは幾世紀も後になって、その同じ真理を次のように教えた。「この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、……こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえずれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれ一人一人から遠く離れておいでになるのではない。われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」(使徒行伝17:24~28)。 PK 412.4

「主をおのが神とする国はさいわいである。 PK 412.5

主がその嗣業として選ばれた民はさいわいである。 PK 412.6

主は天から見おろされ、 PK 412.7

すべての人の子らを見、 PK 412.8

そのおられる所から PK 412.9

地に住むすべての人をながめられる」 PK 412.10

「主はその玉座を天に堅くすえられ、 PK 412.11

そのまつりごとはすべての物を統べ治める」 PK 412.12

「神よ、あなたの道は聖である。 PK 412.13

われらの神のように大いなる神はだれか。 PK 412.14

あなたは、くすしきみわざを行われる神である。 PK 412.15

あなたは、もろもろの民の間に、その大能をあらわ」す。 PK 412.16

(詩篇33:12~14、103:19、77:13、14) PK 412.17

神は、手で造った神殿にお住みにはならないが、神の臨在によって神の民の集会を尊ばれる。神は、彼らが神を求め、罪を認め、互いのために祈るために集まる時に、聖霊によって彼らに会うと約束されたのである。しかし、神を礼拝するために集まる者}よすべての悪事を捨て去らなければならない。彼らが、霊とまこととをもって、聖なる装いをして神を拝むのでなければ、彼らが集まるのは無益である。このような人々について主は、次のように言われる。「この民ば 口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている」(マタイ15:8)。神を礼拝する者は、「霊とまこととをもって礼拝」しなければならない。「父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである」(ヨハネ4:23)。 PK 412.18

「主はその聖なる宮にいます、全地はそのみ前に沈黙せよ」(ハバクク2:20)。 PK 413.1