人類のあけぼの
第72章 アブサロムの反逆
本章は、サムエル記下13~19章に基づく PP 379.3
預言者ナタンのたとえを聞いたダビテは、何気なく、「4倍にして償わなければならない」と言い、自分自身に宣告を下すことになった(サムエル記下12:6)。彼は、自分自身の宣告どおりに罰せられるのであった。彼の4人のむすこたちは、死ななければならなかった。そして、その死の1つ1つは、父の罪の結果起こるのであった。 PP 379.4
ダビデは、長子アムノンの不面目な犯罪を罰しも譴責もせずに見過ごした。律法は、姦淫を犯す者に死の宣告を下していた。それに、アムノンの人間性にもとった犯罪は、彼を二重に罪深いものにした。しかし、ダビデは、自分自身の罪に心を責められていたので、犯罪者を罰することができなかった。このように非道な扱いを受けた妹の兄で保護者であったアブサロムは、丸2年の間、報復の計画を心に秘めて、最後に決定的打撃を加えようとしていた。近親姦を犯したアムノンは、王子たちの宴会で酒に酔っているところを、彼の兄弟の命令によって殺された。 PP 379.5
ダビデは、二重の罰が与えられた。恐ろしい知らせが王に伝えられた。「『アブサロムは王の子たちをことごとく殺して、ひとりも残っている者がない』……王は立ち、その着物を裂いて、地に伏した。そのかたわらに立っていた家来たちも皆その着物を裂いた」(同13:30、31)。王子たちは、驚いてエルサレムに帰り、事件の真相を彼らの父に話した。アムノンだけが殺されていたのである。「王の子たちはきて声をあげて泣いた。王もその家来たちも皆、非常にはげしく泣いた」(同13:36)。しかし、アブサロムは、彼の母方の祖父、ゲシュルの王、タルマイのもとに逃亡した。 PP 379.6
アムノンは、ダビデの他の王子たちと同様に、かってなことをするままに放任されていた。彼は、神の要求が何であろうと、彼のすべての欲求を満たそうとしていた。神は、彼が大きな罪を犯したにもかかわらず、彼を長く忍ばれた。彼は、2年の間、悔い改める機会が与えられていた。しかし、彼は、罪の生活を続け、罪あるままで殺されて、恐ろしい審判にあずかる身となった。 PP 379.7
ダビデは、アムノンの犯罪を罰する義務を怠った。そして、王であり父であるダビデの怠慢と、王子の頑迷さのゆえに、主は、事件が当然の経過をたどるのを許し、アブサロムを制止されなかった。両親または支配者が、罪悪を罰する義務を怠るならば、神ご自身がその事件の処理に当たられる。こうして、悪の 勢力を抑えていた神の制止力がいくぶんか除かれて、罪をもって罪を罰するような出来事が起こるのである。 PP 379.8
ダビデが、アムノンを不当に扱って放縦を許した悪影響は、これで終わったのではなかった。というのは、アブサロムの父に対する離反が、ここから始まったからである。彼がゲシュルへのがれたあとで、ダビデは、むすこの犯罪に何かの罰を与える必要を感じて、彼が帰ってくることを禁じた。そして、これは、王がすでにかかわっている不可避の害悪を少なくするどころか、それを増大させる傾向があった。活気と野心に満ちてはいるが、無節操なアブサロムは、追放されて国事に参加できなくなると、やがて危険な策動に熱中したのである。 PP 380.1
ヨアブは、2年の期間が終わったので、父と子との和解をはかろうと試みた。そのために、彼は、賢い女として評判の高いテコアの女の援助を得ることにした。彼女は、ヨアブの指示に従って、自分が寡婦であることと、2人のむすこが、彼女の唯一の慰めであり支えであったとダビデに言った。この2人が争い、1人は、ついにもう1人を殺した。ところが、全家族は、兄弟を打ち殺した者を報復者に引き渡せと要求した。「こうして彼らは残っているわたしの炭火を消して、わたしの夫の名をも、跡継をも、地のおもてにとどめないようにしようとしています」と母親は言った(同14:7)。王は、この訴えを聞いて心を動かし、むすこに王の保護が与えられることを、彼女に約束した。 PP 380.2
彼女は、むすこの身の安全に関する約束を、何度も王から与えられたあとで、王が、追放の身にある者を呼びもどされないために、自分を罪ある者とされていると言って、王が寛大な処置を取ることを嘆願した。「わたしたちはみな死ななければなりません。地にこぼれた水の再び集めることのできないのと同じです。しかし神は、追放された者が捨てられないように、てだてを設ける人の命を取ることはなさいません」(同14:14)。ヨアブのような粗野な軍人が、神の罪人に対する愛を、このように憐れみ深く感動的に描いたということは、イスラエルの人々が、贖罪の大真理をよく知っていた著しい証拠である。彼自身、神の憐れみの必要を感じた王は、この訴えを拒むことができなかった。「行って、若者アプサロムを連れ帰るがよい」と、王はヨアブに命じた(同14:21)。 PP 380.3
アブサロムは、エルサレムに帰ることを許された。しかし、宮廷に現れることも、父に会うことも許されなかった。ダビデは、子供たちに放縦な生活をさせた悪い結果に気づき始めていた。彼は、この美しい才能あるむすこを深く愛してはいたが、アブサロムと国民とに対する教訓として、このような犯罪に対する憎悪を示さねばならないと考えた。アブサロムは、自分の家で2年を過ごし、宮廷からは追放されていた、彼は妹といっしょにいた。そして、それは、彼女のこうむった取りかえしのつかない不当な扱いを常に思い起こさせた。国民一般の評価するところから見れば、王子は、犯罪者ではなくて、英雄であった。そこで、彼は、それをよいことにして人々の心を自分に引きつけようとした。彼の容貌は、彼を見るすべての者が感嘆するほどに美しかった。「さて全イスラエルのうちにアブサロムのように、美しさのためほめられた人はなかった。その足の裏から頭の頂まで彼には傷がなかった」(同14:25)。アブサロムのように、野心家で衝動的で激しやすい性質の人間を、2年間も閉じこめておいて自己の非運を嘆かせることは、王にとって賢明ではなかった。そして、エルサレムに帰ることを許しながら、彼が王の前に出ることをダビデが拒んだために、人々の同情が彼に集まった。 PP 380.4
ダビデは、自分自身が神の律法を犯したことを深く脳裏に刻まれていたために、道徳的まひ状態に陥ったものと思われる。彼は、罪を犯す以前は、勇敢で決断力に富んでいたのに、今は弱く、優柔不断になっていた。彼の人々に及ぼす影響も弱まった。そしてこうしたことは、すべて親不孝な王子の策動に有利であった。 PP 380.5
アブサロムは、ヨアブを介して、もう1度父の前に出ることを許された。しかし、表面の和解は成立したように思われたものの、彼の野心的策動は続いた。彼 は、戦車と馬、および自分の前に駆ける者50人を備えて、自分が王であるかのようにふるまった。そして、王は、次第に人を避け、孤独を好むようになる一方において、アブサロムはなんとかして人心を獲得しようと努めた。 PP 380.6
ダビデの無関心と決断の欠如は、彼の家来たちにも影響を及ぼし、裁判の執行はなおざりにされ、遅々としてはかどらなかった。アブサロムは、巧みに人々の不満を利用した。この気高い容貌の男は、毎日、多くの嘆願者たちが、苦情の解決を求めて群がる町の門に姿を現した。アブサロムは、彼らの中に混じって、彼らの苦情を聞き、彼らの苦難に同情し、政府の無能を嘆いた。こうして、イスラエルのある人の話を聞いて、王子は答えた。「あなたの要求は良く、また正しい。しかしあなたのことを聞くべき人は王がまだ立てていない」。彼は言葉を続けて言った。「『ああ、わたしがこの地のさばきびとであったならばよいのに。そうすれば訴え、または申立てのあるものは、皆わたしの所にきて、わたしはこれに公平なさばきを行うことができるのだが』。そして人が彼に敬礼しようとして近づくと、彼は手を伸べ、その人を抱きかかえて口づけした」(同15:3~5)。 PP 381.1
王子の巧みな暗示に刺激されて、政府に対する不満が高まった。すべての人々が、アブサロムを賞賛した。彼は、人々から、王位の継承者だと思われていた。人々は彼をこの高い地位に適した人物として誇りに思っていた。そして、彼を王位につけようとする希望が燃え上がった。「こうしてアブサロムはイスラエルの人々の心を自分のものとした」(同15:6)。それにもかかわらず、むすこを盲目的に愛していた王は、なんの疑念もいだかなかった。アブサロムが王子らしくふるまっていることは、ダビデの宮廷に対する栄誉であり、アブサロムが和解を喜んでいる表現であるとダビデは考えていた。 PP 381.2
人々の心は、次の事件のために準備されていた。アブサロムは反逆の策を練るために、ひそかに特使を各部族に送っていた。そして今、宗教的礼拝という口実の陰に、彼の反逆的謀略が隠されていた。彼が以前に追放されていたときに行った誓いをヘブロンで果たさなければならないことになっていた。アブサロムは王に言った。「どうぞわたしを行かせ、ヘブロンで、かつて主に立てた誓いを果させてください。それは、しもべがスリヤのゲシュルにいた時、誓いを立てて、『もし主がほんとうにわたしをエルサレムに連れ帰ってくださるならば、わたしは主に礼拝をささげます』と言ったからです」(同15:7、8)。甘い父親は、むすこの敬神深さに心を慰められ、彼を祝福して去らせた。反逆の機は熟した。アブサロムの欺瞞行為の頂点は、王の目をくらますだけでなく、人々の信頼をかち得て、神によって選ばれた王に彼らを反逆させることであった。 PP 381.3
アブサロムは、ヘブロンに向かって出発し、「200人の招かれた者がエルサレムからアブサロムと共に行った。彼らは何心なく行き、何事をも知らなかった」(同15:11)。この人々は、王子に対する彼らの愛が、彼らをダビデ王に反逆させるようになることは少しも知らずに、アブサロムと共に行った。アブサロムは、すぐに、ダビデの議官の1人で、知者として著名で、その意見は神の言葉と同様に安全で賢明なものと思われていたアヒトペルを呼んだ。アヒトペルは、共謀者たちに加わった。そして、彼の支持を得て、アブサロムの陰謀は確実に勝利するものと思われ、イスラエルの全国から多くの有力者が、彼の旗下に集まった。反逆のラッパが鳴ったとき、全国に散らばっていた王子の斥候たちは、アブサロムが王になったという知らせを広めたので、多くの者が彼のところに集まった。 PP 381.4
一方、警報は、エルサレムと王に伝えられた。ダビデは、反逆が王座のすぐそばから起こったのを見て驚いた。彼が愛し信頼していた王子が、彼の王位を奪い、彼の命をも取ろうとしていたことは疑いなかった。ダビデは、この大危機にあたって、これまで長く彼をおおっていた陰うつな気持ちを払いのけて、彼の若いときの精神をもって、この恐ろしい緊急事態に当面する準備をした。アブサロムは、わずか20マイル離れたヘブロンで、彼の軍勢を結集していた。反 逆軍は、間もなくエルサレムの門に迫ってくるのであった。 PP 381.5
ダビデは、王宮から「うるわしく、全地の喜びであり、大いなる王の都である」彼の都をながめた(詩篇48:2)。ここで、大虐殺と破壊が行われることを考えて、彼は身震いした。今でもなお、王に忠誠を誓っている国民の援助を求めて、彼の都を防衛すべきであろうか。エルサレムで多くの血が流されることを許してよいであろうか。彼は決心した。選ばれた都を、戦争の惨事に陥れてはならなかった。彼は、エルサレムを去ろうと思った。そして、人々に彼を支持する機会を与えて、彼らの忠誠をためそうと思った。この大危機に当たって、神が彼に与えられた権威を維持することが、神と民とに対する彼の義務であった。戦いの結果は、神に任せようと彼は思ったのである。 PP 382.1
ダビデは、恥辱と悲しみのうちに、エルサレムの門を出た。彼は、愛した王子の謀反によって、王位と王宮と神の箱とから追われているのであった。人々は、葬列のように長く悲しい行列を作って従った。王の護衛をつとめたケレテ人と、ペレテ人と、イッタイの指揮下にあったガテから来た600人のガテ人とが王に従った。しかしダビデは、彼独特の無我の精神から、彼の保護を求めて集まっていたこれらの異邦人が、彼の不幸に巻き込まれることを承知しなかった。彼らが彼のために、こうした犠牲を喜んで払おうとするのに、彼は驚いた。そして、王は、ガテ人イッタイに言った。「どうしてあなたもまた、われわれと共に行くのですか。あなたは帰って王と共にいなさい。あなたは外国人で、また自分の国から追放された者だからです。あなたは、きのう来たばかりです。わたしは自分の行く所を知らずに行くのに、どうしてきょう、あなたを、われわれと共にさまよわせてよいでしょう。あなたは帰りなさい。あなたの兄弟たちも連れて帰りなさい。どうぞ主が恵みと真実をあなたに示してくださるように」(サムエル記下15:19、20)。 PP 382.2
イッタイは王に答えた。「主は生きておられる。わが君、王は生きておられる。わが君、王のおられる所に、死ぬも生きるも、しもべもまたそこにおります」(同15:21)。この人々は、異教から主の礼拝に改宗したのであった。そして、彼らは、ここで、神と王とに対してりっぱに忠誠を尽くしたのである。ダビデは、一見、没落していく彼に対する彼らの忠誠を感謝して受け入れ、キデロンの谷を渡って荒野へ進んでいくのであった。 PP 382.3
ふたたび行列はとまった。聖なる衣服をまとった一団が近づいてきた。「見よ、ザドクおよび彼と共にいるすべてのレビびともまた、神の契約の箱をかいてきた」(同15:24)。ダビデの従者たちは、これを吉兆とみなした。彼らは、その神聖な象徴が来たことによって、彼らの救済と最後の勝利が約束されたものと考えた。それは、人々を勇気づけて、王の側につかせることであろう。それが、エルサレムを去ったことは、アブサロムの従者たちを恐怖に陥れることであろう。 PP 382.4
箱を見たとき、ダビデの心は、しばし、喜びと希望にうちふるえた。しかし、彼は、すぐに別のことを考えた、彼は、神の民の指導者として選ばれた者として、厳粛な責任を負わせられていた。イスラエルの王は、自分一個の利益でなくて、神の栄光と神の民の幸福を念頭におかなければならなかった。ケルビムの間に住まれる神は、エルサレムについて、「これは……わが安息、所である」と言われたのである(詩篇132:14)。祭司も王も、神の許しを得ないで、そこから神の臨在の象徴を移動させる権威はなかった。そして、ダビデは、彼の心と生活とが、神の戒めと調和していなければならないことを知っていた。さもなければ、箱は、勝利でなくて、災害をもたらすものとなるのであった。彼は、あの大きな罪をいつも思い出していた。彼は、この謀反が神の正当な罰であると考えた。彼の家から離れない剣のさやが払われたのであった。彼は戦いの結果がどうなるかは知らなかった。彼は、天の王のみこころを表現した神聖な律法を国の都から移してはならなかった。それは、国家の憲法であり繁栄の基礎であった。 PP 382.5
彼は、ザドクに命じた。「神の箱を町にかきもどすがよい。もしわたしが主の前に恵みを得るならば、主 はわたしを連れ帰って、わたしにその箱とそのすまいとを見させてくださるであろう。しかしもし主が、『わたしはおまえを喜ばない』とそう言われるのであれば、どうぞ主が良しと思われることをわたしにしてくださるように。わたしはここにおります」(サムエル記下15:25、26)。 PP 382.6
ダビデはまた言った。「見よ、あなたもアビヤタルも、ふたりの子たち、すなわちあなたの子アヒマアズとアビヤタルの子ヨナタンを連れて、安らかに町に帰りなさい。わたしはあなたがたから言葉があって知らせをうけるまで、荒野の渡し場にとどまります」(同15:27、28)。祭司たちは、都にいて、反逆者たちの動向や策略をさぐり、それを彼らのむすこのアヒマアズとヨナタンによって、ひそかに王に知らせてよい奉仕をすることができるのであった。 PP 383.1
祭司たちが、エルサレムに引き返したとき、去っていく一団は、一段と暗い陰におおわれた。彼らの王は、亡命者であり、彼ら自身は神の箱にさえ捨てられた追放の身であった。将来は恐怖と不吉な前兆で暗かった。「ダビデはオリブ山の坂道を登ったが、登る時に泣き、その頭をおおい、はだしで行った。彼と共にいる民もみな頭をおおって登り、泣きながら登った。時に、『アヒトペルがアブサロムと共謀した者のうちにいる』とダビデに告げる人があった」(同15:30、31)。ダビデは、この不幸の中で、もう一度自分自身の罪の結果を認めさせられた。最も有能で狡猾猪な政治家アヒトペルの離反は、ダビデが、彼の孫バテシバに悪を行って家族をはずかしめたことに対する報復心から起こったものであった。 PP 383.2
「ダビデは言った、『主よ、どうぞアヒトペルの計略を愚かなものにしてください』」(同15:31)。山の頂上に着いたとき、王は、首をたれて祈り、心の重荷を神にゆだね、心を低くして神の憐れみを嘆願した。彼の祈りは、すぐに聞かれたように思われた。賢明で有能な議官のアルキ人ホシャイは、ダビデの忠実な友であったが、今、上着を裂き頭に土をかぶり、王位を追われている亡命中の王と、運命を共にするためにやってきた。ダビデは、あたかも天からの知らせを受けたかのように、この忠実で誠実な人が都の会議において、王の利益を計るために必要な人であることを悟った。ホシャイは、ダビデの要請によって、エルサレムに帰り、アブサロムのために仕えることを申し出て、アヒトペルの狡猾な策略を破ろうとするのであった。 PP 383.3
王と彼の従者たちには、暗黒の中でこうした一条の光が与えられたのである。彼らは、オリブ山の東側の坂を下って進み、岩石の多い荒廃した荒野、けわしい峡谷、岩石と絶壁の小道を通って、ヨルダン川に向かった。「ダビデ王がバホリムにきた時、サウルの家の一族の者がひとりそこから出てきた。その名をシメイといい、ゲラの子である。彼は出てきながら絶えずのろった。そして彼はダビデとダビデ王のもろもろの家来に向かって石を投げた。その時、民と勇士たちはみな王の左右にいた。シメイはのろう時にこう言った、『血を流す人よ、よこしまな人よ、立ち去れ、立ち去れ。あなたが代って王となったサウルの家の血をすべて主があなたに報いられたのだ。主は王国をあなたの子アブサロムの手に渡された。見よ、あなたは血を流す人だから、災に会うのだ』」(同16:5~8)。 PP 383.4
シメイは、ダビデが栄えていたときには、自分が不忠な家来であることを言葉や行為によっては示さなかった。しかし、王が苦難にあった時に、このベニヤミン人は、彼の本性を現した。彼は、王座のダビデをあがめたが、恥辱のうちにある彼をのろった。彼は、卑しい利己的性質の人であったので、他人も自分と同じであると考え、サタンに扇動されて、神が懲らしめておられる者に恨みを晴らした。他人が苦難にあっているのを見て、喜び、あざけったり苦しめたりする精神は、サタンの精神である。 PP 383.5
シメイのダビデに対する非難は全くいつわりで、根拠のない、悪意から出た中傷であった。ダビデは、サウルまた彼の家に何の悪事もしていなかった。サウルが、彼の手中に陥り、殺すことができた時にも、彼は、ただサウルの衣のすそを切っただけであった。そして、彼は、主が油を注がれた者に、こうした無礼を 行ったことさえ申しわけなく思ったのである。 PP 383.6
ダビデは、彼自身が、野の獣のように追われていたときでさえ、人命を尊重した著しい例があるのである。ある日、彼が、アドラムのほら穴に隠れていたとき、彼は、平和で自由だった少年時代のことを思い出して叫んだ。「だれかベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をわたしに飲ませてくれるとよいのだが」(同23:15)。そのとき、ベツレヘムは、ペリシテ人の手中にあった。しかし、ダビデの軍勢の3勇士は、敵の守備を突き破って、ベツレヘムの水を、ダビデのもとに持ってきた。ダビデは、それを飲むことができなかった。「わたしは断じて飲むことをいたしません。いのちをかけて行った人々の血を、どうしてわたしは飲むことができましょう」と彼は叫んだ(同23:17)。そして、彼は、その水を、神への捧げ物として、うやうやしく地に注いだのである。ダビデは、軍人であってその生涯の大半は、戦場で費やされた。しかし、そうした苦しい体験をしたすべての者の中で、ダビデほど、その苛酷で背徳的影響に染まなかった者はない。 PP 384.1
ダビデの指揮官中、最も勇敢で彼のおいであったアビシャイは、シメイのあざけりの言葉をだまって聞いていることができず、「この死んだ犬がどうしてわが主、王をのろってよかろうか。わたしに、行って彼の首を取らせてください」と叫んだ(同16:9)。しかし、王は彼に言った。「わが子がわたしの命を求めている。今、このベニヤミンびととしてはなおさらだ。彼を許してのろわせておきなさい。主が彼に命じられたのだ。主はわたしの悩みを顧みてくださるかもしれない。また主はきょう彼ののろいにかえて、わたしに善を報いてくださるかも知れない」(同16:11、12)。 PP 384.2
ダビデは、激しく良心に責められ、恥じ入るばかりであった。彼の忠実な家来たちは、彼の突然の不運を不思議に思ったけれども、それは王にとって、何の不思議でもなかった。彼は、こうしたことの起こる予感がときどきあったのである。彼は、神が彼の罪を長く忍び、彼が当然受けるべき報いを延ばされたのを怪しんだのである。そして、今、急いで、悲しみのうちにはだしで、王衣の代わりに荒布をまとって町からのがれ、家来たちの嘆きの声が山々にこだましている時に、彼は、彼の愛する都のことを考えた。そして、そこは、彼が罪を犯した場所でもあったが、彼は、神の恵みと忍耐を思い起こして、希望が全然ないわけではないと考えるのであった。彼は、主が、なおも彼を恵み深くあしらってくださることを感じたのである。 PP 384.3
ダビデが堕落したことを引用して、自分の罪の申しわけをする悪者たちが多い。しかし、ダビデのような悔い改めと謙遜を表す者がなんと少ないことであろう。彼が表したような忍耐と堅忍不抜の精神をもって譴責と刑罰とに耐える者は、なんと少ないことであろう。彼は、自分の罪を告白したのであった。そして、長年神の忠実なしもべとしての務めをしようと努めてきた。彼は、王国の建設のために活躍し、彼の治世のもとに王国は、これまでになかったほどの勢力を得て繁栄したのであった。彼は、神の家の建設のために豊富な資材を集めたのであったが、今、彼の一生の努力が水泡に帰してしまうのであろうか。長年の献身的努力の結果、天才と献身と政治的手腕をもってなしとげた業績などが、神の栄光もイスラエルの繁栄も考えない無鉄砲な反逆児の手に渡ってしまわねばならぬのであろうか。こうした大きな苦難の中で、ダビデが神に向かってつぶやいても、当然のことのように思われる。 PP 384.4
しかし、ダビデは彼の苦難の原因が、自分の罪にあることを認めた。預言者ミカの言葉が、ダビデの心を奮いたたせた精神を表している。「たといわたしが暗やみの中にすわるとも、主はわが光となられる。主はわが訴えを取りあげ、わたしのためにさばきを行われるまで、わたしは主の怒りを負わなければならない主に対して罪を犯したからである」(ミカ7:8、9)。主は、ダビデをお捨てにならなかった。ダビデは、残酷きわまる取り扱いと嘲笑の中で、謙遜、無我、寛大服従を示したのである。この経験は、彼の一生の経験の中で、最も高貴なものの1つであった。イスラエルの王が、一見、屈辱のどん底に沈んだこの時ほど、彼が天の神の前に偉大であったことはなかった。 PP 384.5
もし、神がダビデの罪を譴責せず、彼が神の戒めを犯しているにもかかわらず、平和と繁栄のうちに王座を占めていたとするならば、懐疑論者や無神論者は、ダビデの生涯を引用して、それを口実にして聖書の宗教を非難したことであろう。しかし、主は、ダビデにこうした経験をお与えになって、主は、罪を黙認することも赦すこともできないことを示された。われわれは、ダビデの生涯によって、神が罪を処理される時に持っておられる大目的を悟り、どのように悲惨な刑罰の中にも神の恵みと憐れみに満ちたみ心の動きをたどることができるのである。神は、ダビテがむちの下を通るのを許されたが、彼を滅ぼされなかった。炉は、滅ぼすためではなくて清めるためであった。主は言われる。「もし彼らがわが定めを犯し、わが戒めを守らないならば、わたしはつえをもって彼らのとがを罰し、むちをもって彼らの不義を罰する。しかし、わたしはわがいつくしみを彼から取り去ることなく、わがまことにそむくことはない」(詩篇89:31~33)。 PP 385.1
ダビデが、エルサレムを去って問もなく、アブサロムと彼の軍勢が侵入し、戦いを交えないでイスラエルの要塞を手に入れた。まず初めに、新しい王を迎えた者の中に、ホシャイがいた。すると王子は、父の旧友であり、議官であった彼を得て、驚き満足した。アブサロムは、必ず成功するものと考えた。これまでの彼の策略は、順調に進んだ。そして、彼は、王座を強固にし、国民の信任を得ようと熱望していたので、ホシャイを宮廷に歓迎した。 PP 385.2
アブサロムは、すでに大軍に囲まれていたが、その大半は、戦いに不慣れな人々であった。彼らは、まだ、戦ったことがなかった。アヒトペルは、ダビデの側が絶望状態に陥っていないことを熟知していた。国民の大部分は、なお彼に忠誠を誓っていた。ダビデ王は、彼に忠実な歴戦の勇士に囲まれており、彼の軍勢は有能で経験豊かな将軍の指揮下にあった。新しい王に対する最初の熱烈な支持に続いて反動が起こることを、アヒトペルは知っていた。謀反が失敗に終われば、アブサロムは、父と和解することができるであろう。そうなった場合、彼の議官の長であったアヒトペルが、謀反を起こした最高の責任者とされ、最も重い罰が与えられるであろう。アブサロムの後退を防止するため、アヒトペルは、全国民の前で和解を不可能にすることを行うように彼に勧めた。この狡猾で無節操な政治家は、憎むべき悪賢さを持って、謀反に近親相姦の罪を加えることをアブサロムに促した。彼は、東方諸国の習慣に従って、全イスラエルの目前で、父の側女たちを自分のものにすることにより、父の王位についたことを宣言するのであった。こうして、アブサロムはこのいまわしい提言に従った。このようにして、預言者がダビデに語った言葉は実現した。「見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を起すであろう。わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。……あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである」(サムエル記下12:11、12)。これは神が、これらの事を彼らに行わせられたのではなかった。神は、ダビデの罪の結果、それを止める力を働かせられなかったのである。 PP 385.3
アヒトペルは、彼の知恵をほめそやされていたが、神からの教えを受けていなかった。「主を恐れることは知恵のもとである」(箴言9:10)。アヒトペルは、これを持っていなかった。さもなければ、近親相姦の犯罪によって、反逆を成功させようとは思わなかったことであろう。腐敗した心の人々は、彼らの策略をくじく神の摂理の支配がないかのように、悪をたくらんでいる。しかし、「天に座する者は笑い、主は彼らをあざけられるであろう」(詩篇2:4)。主は言われる。「わたしの勧めに従わず、すべての戒めを軽んじたゆえ、自分の行いの実を食らい、自分の計りごとに飽きる。思慮のない者の不従順はおのれを殺し、愚かな者の安楽はおのれを滅ぼす」(箴言1:30~32)。 PP 385.4
アヒトペルは、まず自己の安全を確保する計画が成功を収めたので、すぐにダビデに対抗して行動する必要をアブサロムに勧告した。「わたしに1万2千の人を選び出させてください。わたしは立って、今夜ダビデのあとを追い、彼が疲れて手が弱くなってい るところを襲って、彼をあわてさせましょう。そして彼と共にいる民がみな逃げるとき、わたしは王ひとりを撃ち取り、すべての民を……あなたに帰らせましょう」(サムエル記下17:1~3)。この計画は、王の議官たちに承認された。もし、この通りに行われたならば、主がダビテを助けるために直接介入なさらないかぎり、彼は殺されてしまったことであろう。しかし、名声高いアヒトペル以上に知恵のあるおかたが、事件を導いておられた。「それは主がアブサロムに災を下そうとして、アヒトペルの良い計りごとを破ることを定められたからである」(同17:14)。 PP 385.5
ホシャイは、会議に呼ばれていなかった。彼は、スパイだと疑われてはいけないから、求められもしないのに顔を出すことをしなかった。しかし、父の議官の判断を尊重していたアブサロムは、会議のあとでアヒトペルの計画を彼に話した。ホシャイは、その提案が実行されるならば、ダビデは敗北してしまうことを認めた。それで彼は言った。「『このたびアヒトペルが授けた計りごとは良くありません』。ホシャイはまた言った、『ごぞんじのように、あなたの父とその従者たちとは勇士です。その上彼らは、野で子を奪われた熊のように、ひどく怒っています。また、あなたの父はいくさびとですから、民と共に宿らないでしょう。彼は今でも穴の中か、どこかほかの所にかくれています』」(同17:7~9)。彼は、もしアブサロムの軍勢がダビデを追うならば、王を捕らえることはできないと言った。そして、もし彼らが撃退されれば、彼らは失望に陥り、アブサロムの運動は大きな損害を受けるだろうと言った。「それはイスラエルのすべての人が、あなたの父の勇士であること、また彼と共にいる者が、勇ましい人々であることを知っているからです」(同17:10)。そして、ホシャイは、彼の虚栄と利己心と誇示愛好心に訴える計画を提案した。「ところでわたしの計りごとは、イスラエルをダンからベエルシバまで、海辺の砂のように多くあなたのもとに集めて、あなたみずから戦いに臨むことです。こうしてわれわれは彼の見つかる場所で彼を襲い、つゆが地におりるように彼の上に下る。そして彼および彼と共にいるすべての人をひとりも残さないでしょう。もし彼がいずれかの町に退くならば、全イスラエルはその町になわをかけ、われわれはそれを谷に引き倒して、そこに一つの小石も見られないようにするでしょう」(同17:11~13)。「アブサロムとイスラエルの人々はみな、『アルキびとホシャイの計りごとは、アヒトペルの計りごとよりもよい』と言った」(同17:14)。 PP 386.1
しかし、これに欺かれないものが、1人いた。彼は、アブサロムのこの計画が致命的誤りで、ついにどうなるかをはっきりと予想した。アヒトペルは、反逆の企てが失敗に終わったのを知った。そして彼は、王子の運命がどうなろうと、王子に最大の犯罪を犯すようにそそのかした議官には、助かる望みがないことを悟った。アヒトペルは、アブサロムに反逆を勧めたのであった。彼は、王子に最も憎むべき罪を犯して、父をはずかしめるように勧めたのであった彼は、ダビデを殺すように助言して、その計画を実行しようとしていた。彼は、自分自身が王と和解する最後の可能性を断ち切ったのであった。ところが、今、アブサロムさえ、彼を捨てて他の者を選んだのであった。アヒトペルは、嫉妬と怒りと絶望のうちに、「立って自分の町に行き、その家に帰った。そして家の人に遺言してみずからくびれて死」んだ(同17:23)。豊かな才能に恵まれていながら、神の勧告に従わなかった者の知恵は、こうした結果に終わったのである。サタンは甘言によって、人を誘惑する。しかし、ついには、「罪の支払う報酬は死である」ことをすべての者は知るのである(ローマ6:23)。 PP 386.2
ホシャイは、心の落ち着かないダビデが、彼の勧告を聞くかどうかわからなかったので、すぐにヨルダンの向こうに逃げるように彼に警告を発した。ホシャイは、祭司たちに次のように言った。これは、また彼らのむすこたちによって先方に伝えられるのであった「アヒトペルはアブサロムとイスラエルの長老たちのためにこういう計りごとをした。またわたしはこういり計りごとをした。それゆえ、……『今夜、荒野の渡し場に宿らないで、必ず渡って行きなさい。さもないと王および共にいる民はみな、滅ぼされるでしより』」 (サムエル記下17:15、16)。 PP 386.3
若者たちは敵に怪しまれて追跡されたが、無事にこの危険な任務をなしとげた。ダビデは、1日目の逃亡のために、疲労と悲哀でやつれきっているところへ王子が彼の生命をとろうとしているから、その晩のうちにヨルダンを渡らなければならないという知らせを受けた。 PP 387.1
この恐ろしい危機に当面して、悲惨な目にあっている父であり王である彼の気持ちは、どんなものであっただろう。王は、「勇気もあ」るいくさ人で、彼の命令は、そのまま法律であった(サムエル上16:18)。彼は、愛し、甘やかし、愚かにも信頼していた王子には裏切られ、名誉と忠誠という最も堅いきずなで結ばれていた家来たちには不当に扱われて見捨てられた。ダビデは、彼の心の思いを、どのような言葉で吐露しているであろうか。ダビデは、彼の最悪の試練の時に、神に信頼していた。そして、彼は歌った。 PP 387.2
「主よ、わたしに敵する者のいかに多いことでしょう。 PP 387.3
わたしに逆らって立つ者が多く、 PP 387.4
『彼には神の助けがない』と、 PP 387.5
わたしについて言う者が多いのです。 PP 387.6
しかし主よ、あなたはわたしを囲む盾、わが栄え、 PP 387.7
わたしの頭を、もたげてくださるかたです。 PP 387.8
わたしが声をあげて主に呼ばわると、 PP 387.9
主は聖なる山からわたしに答えられる。 PP 387.10
わたしはふして眠り、また目をさます。 PP 387.11
主がわたしをささえられるからだ。 PP 387.12
わたしを囲んで立ち構える PP 387.13
ちよろずの民をもわたしは恐れない。…… PP 387.14
救は主のものです。 PP 387.15
どうかあなたの祝福が PP 387.16
あなたの民の上にありますように」 PP 387.17
(詩篇3:1~8) PP 387.18
ダビデと彼の一団、すなわち、軍人たちや政治家たち、老人も青年も、女子も小さい子供たちも、皆、暗い夜のうちに深い急流を渡った。「夜明けには、ヨルダンを渡らない者はひとりもなかった」(サムエル記下17:22)。 PP 387.19
ダビデと彼の軍勢は、イシボセテの都であったマハナイムに退いた。ここは、戦争のときに退くのに都合のよい山々に囲まれた堅固な要塞であった。その地方は産物が豊かで、人々はダビデに好意を持っていた。多くの支持者が、ここで彼に加わる一方、富裕な部族の人々が、食糧その他の必要な物資を多く贈り物として持ってきた。 PP 387.20
ホシャイの勧告は、ダビデに逃亡の機会を与えて、その目的を達した。しかし、向こう見ずで血気にはやった王子を長くとめておくことはできなかった。間もなく、彼は、父のあとを追った。「またアブサロムは自分と共にいるイスラエルのすべての人々と一緒にヨルダンを渡った」(同17:24)。アブサロムは、ダビデの姉妹アビガイルの子アマサを、彼の軍勢の将にした。彼の軍勢は、大きかった。しかし、父の熟練した兵隊たちに立ち向かうには、訓練もなく準備も不十分であった。 PP 387.21
ダビデは、彼の軍勢を3つの部隊に分け、ヨアズアビシャイ、ガテ人イッタイに委ねた。ダビデは、一隊を自分で率いて戦場に出るつもりであったが、それに対して、軍の指揮官たちや議官たち、また人々が、猛烈に反対した。彼らは言った。 PP 387.22
「『あなたは出てはなりません。それはわれわれがどんなに逃げても、彼らはわれわれに心をとめず、われわれの半ばが死んでも、われわれに心をとめないからです。しかしあなたはわれわれの1万に等しいのです。それゆえあなたは町の中からわれわれを助けてくださる方がよろしい』。王は彼らに言った、『あなたがたの最も良いと思うことをわたしはしましょう』」(同18:3、4)。 PP 387.23
反逆軍の長い戦線は、町の城壁から一目で見えた。王位を奪ったアブサロムに従った大軍に比べると、ダビデの軍勢は、ほんの一握りのように思われた。しかし、王が敵の軍勢をながめた時に、まず考えたことは、この戦いに王冠あるいは彼自身の命がかかっているということではなかった。父の心は、反逆した 王子に対する愛と憐れみに満ちていた。軍隊が、町の門を出て行った時に、ダビデは、彼の忠実な兵隊たちを励まし、イスラエルの神が勝利をお与えになることを信じて行くように命じた。しかし、ここでも彼は、アブサロムへの愛を抑えることができなかった。ヨアブは、彼の第1分隊を率いて王の前を通った。この百戦の将は、誇らかな頭を下げて、王の最後の言葉を聞こうとした。王は、ふるえる声で、「わたしのため、若者アブサロムをおだやかに扱うように」と言った(同18:5)。アビシャイとイッタイも、「わたしのため、若者アブサロムをおだやかに扱うように」と同じ命令を受けた。しかし、王の嘆願は、王が、王国や王位に忠実な家来たちよりもアブサロムを愛しているという印象を与え、人道にそむいた王子に対する軍勢の怒りを激化したに過ぎなかった。 PP 387.24
戦場は、ヨルダン川の近くの森であった。アブサロムの大軍も、ここでは、ただ邪魔になるだけであった。この訓練のない軍隊は、森の茂みや沼地で混乱し、統制がとれなくなった。「イスラエルの民はその所でダビデの家来たちの前に敗れた。その日その所に戦死者が多く、2万に及んだ」(同18:7)。アブサロムは、戦いに敗れたのを知って逃げようとしたところ、彼の頭が茂った木の枝にひっかかってラバは彼の下を通りぬけて行ってしまった。彼は宙づりになってどうすることもできず、敵のいいえじきになった。1人の兵隊が、こういう状態の彼を見つけたが、王を悲しませることを恐れて、王子に害を加えず、彼の見たことをヨアブに報告した。ヨアブは、なんのためらいも感じなかった。彼は、アブサロムを助け、2度もダビデとの和解を成立させたのであったが、彼の信頼は、無暴にも裏切られてしまった。ヨアブの仲介によって得た有利な地位がアブサロムになかったならば、この恐ろしい反逆は起こり得なかったのである。今ヨアブは、こうしたすべての災いの張本人を1撃のもとに倒すことができるのであった。「そこで、ヨアブは……手に三筋の投げやりを取り、……アブサロムの心臓にこれを突き通した。……人々はアブサロムを取って、森の中の大きな穴に投げいれ、その上にひじょうに大きい石塚を積み上げた」(同18:14~17)。 PP 388.1
こうして、イスラエルの反逆の扇動苦たちは倒れたアヒトペルは自害していた。イスラエルが誇った美しい容貌の王子アブサロムは、若い盛りに倒されて、その死体は穴に投げ込まれ、石塚でおおわれて永遠の恥辱のしるしとなった。アブサロムは、生きていたころ、自分のために王の谷に高価な記念碑を建てたが、彼の墓の唯一の記念は、荒野の中の石塚であった。 PP 388.2
反逆の指導者が殺されたので、ヨアブはラッパを鳴らして、逃亡する軍隊を追跡中の彼の軍を呼び集めた。そして、王に、このことを知らせるために、すぐに使者が送られた。 PP 388.3
城壁の上の見張りの者が、戦場のほうを見ていると、1人の人が走ってくるのが見えた、間もなく2番目の人も見えた。最初の人が近づいたので、見張りの者は門のかたわらに待っていた王に言った。「『まっ先に走って来る人はザドクの子アヒマアズのようです』。王は言った、『彼は良い人だ。良いおとずれを持ってくるであろう』。時にアヒマアズは呼ばわって王に言った、『平安でいらせられますように』。そして王の前に地にひれ伏して言った、『あなたの神、主はほむべきかな。主は王、わが君に敵して手をあげた人々を引き渡されました』」。「若者アブサロムは平安ですか」という王の切実な問いに、アヒマアズは、あいまいに答えた(同18:27~29)。 PP 388.4
2番目の使者が来て叫んだ。「わが君、王が良いおとずれをお受けくださるよう。主はきょう、すべてあなたに敵して立った者どもの手から、あなたを救い出されたのです」(同18:31)。父は再び、「若者アブサロムは平安ですか」と夢中でたずねた。使者は、悲しい知らせを隠し切れずに答えた。「王、わが君の敵、およびすべてあなたに敵して立ち、害をしようとする者は、あの若者のようになりますように」(同18:32)。これでじゆうぶんであった。ダビデは、もう何も聞かなかった。彼は、頭をうなだれて、「門の上のへやに上って泣いた。彼は行きながらこのように言った、『わが子アブサロムよ。わが子、わが子アブ サロムよ。ああ、わたしが代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ』」(同18:33)。 PP 388.5
勝ち誇った軍隊は戦場を引き上げ、町の門に近づいた。彼らの勝利の叫びは山々に反響した。しかし、彼らが町の門に入ると、叫びは静まり、彼らの旗は勢いがなくなり、彼らは、征服者というよりは、敗北者のようにうなだれて歩いていった。というのは、王が彼らを出迎えず門の上の部屋で、「わが子アブサロムよ。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、わたしが代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ」と泣いていたからである(同18:33)。 PP 389.1
「こうしてその日の勝利はすべての民の悲しみとなった。それはその日、民が、『王はその子のために悲しんでいる』と人の言うのを聞いたからである。そして民はその日、戦いに逃げて恥じている民がひそかに、はいるように、ひそかに町にはいった」(同19:2、3)。 PP 389.2
ヨアブは憤慨した。神は、勝ち誇って喜ぶ理由をお与えになったのであった。イスラエルに起こった最大の反逆が鎮圧されたのである。それにもかかわらずこの大勝利は、幾千の勇士の命を犠牲にした犯罪者のための弔いとなったのである。粗暴で、無遠慮な大将は、王のもとに来て、臆せず言った。「あなたは、きょう、あなたの命と、あなたのむすこ娘たち……の命を救ったすべての家来の顔をはずかしめられました。それはあなたが自分を憎む者を愛し、自分を愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、軍の長たちをも、しもべたちをも顧みないことを示されました。きょう、わたしは知りました。もし、アブサロムが生きていて、われわれが皆きょう死んでいたら、あなたの目にかなったでしょう。今立って出て行って、しもべたちにねんごろに語ってください。わたしは主をさして誓います。もしあなたが出られないならば、今夜あなたと共にとどまる者はひとりもないでしょう。これはあなたが若い時から今までにこうむられたすべての災よりも、あなたにとって悪いでしょう」(同19:5~7)。 PP 389.3
これは、悲嘆にくれた王にとって、きびしく残酷とさえ思われる譴責であったが、ダビデは怒らなかった。彼は、大将の言うことが正しいのを認めて、門におりて行き、彼の前を通る勇敢な兵隊たちに、勇気と賞賛の言葉をかけて、彼らを迎えたのである。 PP 389.4