人類のあけぼの
第73章 ダビデの晩年
本章は、サムエル記下24章、列王紀上1章、歴代志上21、28、29章に基づく PP 389.5
アブサロムが倒れたからといって、王国がすぐに平和になったわけではなかった。国家の一部が長い間、反逆に荷担していたので、ダビデは、各部族からの招待がなければ、首都に帰ってふたたび権力の座につこうとしなかった。アブサロム敗北後の混乱の中で、すぐに王を呼びもどそうとする動きはなかった。それで、ついに、ユダの部族が、ふたたび王を迎えようとしたところ、他の部族がそれをねたんで、反革命が起こった。しかし、これは急速に鎮圧されて、イスラエルは、平和をとりもどした。 PP 389.6
ダビデの生涯は、権力、富、世的栄誉が、魂にどんな危険を及ぼすかを最も印象的に示した例の1つである。これらは、人々が最も熱心に追求しているものである。こうした試練に耐えられる準備として、彼以上の経験が与えられた者は少ない。ダビデが少年時代に、羊飼いとして、心を低くして忍耐強く働き、群れを優しく世話することを学んだこと、山の中で、1人で自然と交わり、音楽と詩の才能が啓発され、創造主について瞑想したこと、荒野の生活の長い訓練によって、勇気、堅忍不抜の精神、忍耐、神への信仰が養成されたことなどは、イスラエルの王位につく準備として、主が定められたものであった。ダビデは、神の愛についての尊い経験が与えられ、聖霊を豊かに受けた。彼は、サウルの生涯を見て、単なる人間の知恵は全く無価値なものであることをさとった。それにもかかわらず、世的繁栄と栄誉によって、ダビデ の品性は弱められ、いくども誘惑に負けてしまった。 PP 389.7
異教徒との交わりは、彼らの風習をまね、世的偉大さを望む心を起こさせた。イスラエルは、主の民として、尊敬されるべきであった。しかし、誇りと自己過信が増大するにつれて、イスラエルは、こうした点で傑出することで満足しなくなった。彼らは、他の諸国家間における地位のことを重大視していた。この精神は、誘惑を避けられないものにした。ダビデは諸外国の征服を拡張するために適齢に達した者をすべて徴兵しで軍隊を拡充することを決意した。そのためには、人口調査が必要であった。王にこうしたことを行わせたのは、誇りと野心とであった。人口調査は、ダビデが王位についたときの王国の微弱な状態と、彼の治世下の力と繁栄との相違を示すことになるのであった。これは、すでに王も民も共に持っていた大きな自己過信を、さらに助長するものであった。聖書は、「時にサタンが起ってイスラエルに敵し、ダビデを動かしてイスラエルを数えさせようとした」と言っている(歴代志上21:1)。ダビデの治世下のイスラエルの繁栄は、王の能力や軍隊の力によるものではなくて、神の祝福によるものであった。しかし、王国の軍事力の増強は、イスラエルが、主の能力にたよらず、軍隊にたよっているという印象を周囲の国々に与えるのであった。 PP 390.1
イスラエルの人々は、国家の偉大さを誇ってはいたが、ダビデの軍事力増強計画には反対であった。徴兵計画には大きな不満が起こった。その結果、これまで調査に当たった祭司や司たちの代わりに、軍人を用いることが必要になった。この企ての目的は、神政政治の原則に正反対のものであった。これまで無法者であったヨアブでさえ、抗議した。彼は言った。「『それがどのくらいあっても、どうか主がその民を100倍に増されるように。しかし王わが主よ、彼らは皆あなたのしもべではありませんか。どうしてわが主はこの事を求められるのですか。どうしてイスラエルに罪を得させられるのですか』。しかし王の言葉がヨアブに勝ったので、ヨアブは出て行って、イスラエルをあまねく行き巡り、エルサレムに帰って来た」(同21:3、4)。ダビデが自分の罪をさとった時に、人口調査は終わっていなかった。彼は、自責の念にかられて、「わたしはこの事を行って大いに罪を犯しました。しかし今どうか、しもべの罪を除いてください。わたしは非常に愚かなことをいたしました」と言った(同21:8)。 PP 390.2
翌朝、預言者ガデが来て、ダビデに言った。「主はこう仰せられます、『あなたは選びなさい。すなわち3年のききんか、あるいは3月の間、あなたのあだの前に敗れて、敵のつるぎに追いつかれるか、あるいは3日の間、主のつるぎすなわち疫病がこの国にあって、主の使がイスラエルの全領域にわたって滅ぼすことをするか』。いま、わたしがどういう答をわたしをつかわしたものになすべきか決めなさい」(同21:11、12)。 PP 390.3
王は、答えて言った。「わたしは非常に悩んでいるが、主のあわれみは大きいゆえ、わたしを主の手に陥らせてください。しかしわたしを人の手に陥らせないでください」(同21:13)。 PP 390.4
地は疫病に悩まされ、イスラエルの人々のうち、7万人が倒れた。疫病は、まだエルサレムには入っていなかった。「ダビデが目をあげて見ると、主の使が地と天の間に立って、手に抜いたつるぎをもち、エルサレムの上にさし伸べていたので、ダビデと長老たちは荒布を着て、ひれ伏した」(同21:16)。王は、イスラエルのために神に訴えた。「民を数えよと命じたのはわたしではありませんか。罪を犯し、悪い事をしたのはわたしです。しかしこれらの羊は何をしましたか。わが神、主よ、どうぞあなたの手をわたしと、わたしの父の家にむけてください。しかし災をあなたの民に下さないでください」(同21:17)。 PP 390.5
人々は、人口調査に不満をいだいた、しかし、彼ら自身も、ダビデにこうした行為を行わせたのと同じ罪を心にいだいていた。主は、アブサロムの罪によってダビデに罰を与えられたように、ダビデの誤りによって、イスラエルの罪を罰せられた。 PP 390.6
破壊の天使は、エルサレムの外でとまった。彼は、モリア山の「エブスびとオルナンの打ち場」に立った (同21:18)。ダビデは、預言者に導かれて山に行き、そこで主のために祭壇を築き、「燔祭と酬恩祭をささげて、主を呼んだ。主は燔祭の祭壇の上に天から火を下して答えられた」(同21:26)。「そこで主はその地のために祈を聞かれたので、災がイスラエルに下ることはとどまった」(サムエル記下24:25)。 PP 390.7
祭壇が築かれた場所は、その後、聖地とみなされることになったが、オルナンは、これを王に贈り物として捧げることを申し出た。しかし、王は、これを受け取ることを断わり、「『わたしはじゅうぶんな代価を払ってこれを買います。わたしは主のためにあなたのものを取ることをしません。また、費えなしに燔祭をささげることをいたしません』。それでダビデはその所のために金600シケルをはかって、オルナンに払った」(歴代志上21:24、25)。アブラハムが、その子を捧げるために祭壇を築いた記念すべきこの地、そして、今この大救済によって清められた地が、後に、ソロモンの神殿の建築されるところに選ばれたのである。 PP 391.1
もう1つの暗雲が、ダビデの晩年をおおうことになっていた。ダビデは、70歳になった。若い時の苦労ときびしい放浪の生活、数多くの戦争、後年の心労と苦悩などが生命の泉をからした。彼の頭は、はっきりして、しっかりしてはいたが、衰弱と老齢のため、引きこもりがちになり、王国の事情にもうとくなった。そこへ、ふたたび、王座のすぐ近くから反逆が起こった。またもやダビデの子供を甘やかした結果がここにあらわれた。王位を奪おうとして立ち上がったのは、「非常に姿の良い人」で、堂々としてはいたが、節操に欠け、放縦なアドニヤであった。彼は、若い時に、なんの制限も受けず、「彼の父は彼が生れてこのかた1度も『なぜ、そのような事をするのか』と言って彼をたしなめたことがなかった」(列王紀上1:6)。彼は、今、ソロモンを王位に任命された神の権威に反逆したのである。ソロモンは、素質においても、宗教性においてもともに兄よりは、イスラエルの王になる資格が備わっていた。神の選択が明示されたにもかかわらずアドニヤにも同情者がないことはなかった。ヨアブは、多くの犯罪を犯したが、これまで王に忠誠を尽くしてきた。ところが、今彼は、ソロモンに対抗した陰謀に加わった。そして、祭司のアビヤタルもまた加わった。 PP 391.2
反逆の機は熟した。謀反人らは、町のすぐ外で大きな祝宴を開き、アドニヤを王であると宣言した。しかし、彼らの計画は、祭司ザドク、預言者ナタン、ソロモンの母のバテシバなど、少数ではあるが忠実な人々の迅速な行動によって阻止された、彼らは、王に事のなり行きを説明し、神の命によってソロモンが王位を継承すべきことを王に思い起こさせた。ダビデはすぐに退位して、ソロモンに王位を譲った。ソロモンは、さっそく油を注がれて王であることを宣言された。陰謀は粉砕された。その主要人物は死刑に処せられた。アビヤタルの命は、その職務と、前にダビデに忠誠を尽くしたことを考慮して助けられた。しかし、彼は大祭司の職を奪われ、それはザドクの子孫に与えられた。ヨアブとアドニヤも一時刑を免れたが、ダビデの死後、彼らは罪の罰を受けた。ダビデの子に対する宣告の執行によって、4倍の刑罰がここに完了し、父の罪を神がどんなに憎まれたかを示したのであった。 PP 391.3
ダビデは、その治世の最初から、主の神殿を建築することを彼の念願の1つにしていた。彼は、この計画を実行することが許されなかったけれども、そのために非常な熱心さと誠意を示した。彼は、金、銀、しまめのう、色のついた石、大理石、貴重な材木など、高価な材料を多量に準備した。彼は、こうした貴重な材料を人の手に委ねなければならなかった。神の臨在の象徴である箱のために、他の者が家を建てなければならなかった。 PP 391.4
王は、自分の最後の時が近いのを知って、イスラエルの長官たち、王国の各地からの代表者たちを集めて、この遺産を委託することにした。彼は、彼の遺言を彼らに伝えて、大いなる事業の完成のために、彼らの賛同と支持を得たいと望んだ。彼は、からだが衰弱していたので、この譲渡に当たって、その場に臨席することはできまいと思われていた。しかし、彼 は神の霊に感じ、平常の熱と力以上の活気に満ちて、人々に最後の演説をすることができた。彼は、自分が神殿を建てようと願ったけれども、主の命令によって、その事業はソロモンに委ねられることを語った。神は、お約束になった。「おまえの子ソロモンがわが家およびわが庭を造るであろう。わたしは彼を選んでわが子となしたからである。わたしは彼の父となる。彼がもし今日のように、わが戒めとわがおきてを固く守って行うならば、わたしはその国をいつまでも堅くするであろう」(歴代志上28:6、7)。ダビデは言った。「それゆえいま、主の会衆なる全イスラエルの目の前およびわれわれの神の聞かれる所であなたがたに勧める。あなたがたはその神、主のすべての戒めを守り、これを求めなさい。そうすればあなたがたはこの良き地を所有し、これをあなたがたの後の子孫に長く嗣業として伝えることができる」(同28:8)。 PP 391.5
ダビデは、神を離れる者の道がどんなに苦しいものかを、自分自身の経験からよく知っていた。彼は自分が破った律法の罪の宣告を実感し、罪の実を刈り取っていた。であるから、彼は、イスラエルの指導者たちには、神に忠実に仕えること、そして、ソロモンには、神の律法に従うことをまごころから切に望み、ダビデ自身の権威を弱め、彼の生涯をみじめにし、神のみ栄えを汚したこうした罪を避けるように訴えるのであった。高い地位につくソロモンを必ず襲ってくる誘惑に勝つためには、心を低くして常に主に信頼し、絶えず目をさましていなければならないことを、ダビデは知っていた。こうした目立つところの人物をサタンは特に攻撃してくるのである。すでに王位の後継者と認められているむすこに向かって、ダビテは言った。「わが子ソロモンよ、あなたの父の神を知り、全き心をもって喜び勇んで彼に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いを悟られるからである。あなたがもし彼を求めるならば会うことができる。しかしあなたがもしかれを捨てるならば彼は長くあなたを捨てられるであろう。それであなたは慎みなさい。主はあなたを選んで聖所とすべき家を建てさせようとされるのだから心を強くしてこれを行いなさい」(同28:9、10)。 PP 392.1
ダビデは、霊感によって示されたとおりに、神殿の各部の計画、いろいろな務めに用いる器物など、神殿建築の細かい指示をソロモンに与えた。ソロモンは、まだ年が若かった。そして、神殿の建築と神の民の統治の重責が負わされて、しりごみするのであった。ダビデは、むすこに言った。「あなたは心を強くし、勇んでこれを行いなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。主なる神、わたしの神があなたとともにおられるからである。主はあなたを離れず、あなたを捨てず」(同28:20)。 PP 392.2
ダビデは、ふたたび会衆に訴えた。「わが子ソロモンは神がただひとりを選ばれた者であるが、まだ若くて経験がなく、この事業は大きい。この宮は人のためではなく、主なる神のためだからである。そこでわたしは力をつくして神の宮のために備えた」(同29:1、2)。彼は、続けて、彼の集めた物資をあげた。さらに彼は言った。「なおわたしはわが神の宮に熱心なるがゆえに、聖なる家のために備えたすべての物に加えて、わたしの持っている金銀の財宝をわが神の宮にささげる。すなわちオフルの金3000タラント、精銀7000タラントをそのもろもろの建物の壁をおおうためにささげる」「だれかきょう、主にその身をささげる者のように喜んでささげ物をするだろうか」と、多くの捧げ物を持って、集会に集まった群衆に彼はたずねた(同29:3~5)。 PP 392.3
群衆は、すぐにそれにこたえた。「そこで氏族の長たち、イスラエルの部族のつかさたち、1000人の長、100人の長および王の工事をつかさどる者たちは喜んでささげ物をした。こうして彼らは神の宮の務のために金5000タラント1万ダリク、銀1万タラント、青銅1万8千タラント、鉄10万タラントをささげた。宝石を持っている者は……神の宮の倉に納めた。彼らがこのように真心からみずから進んで主にささげたので、民はそのみずから進んでささげたのを喜んだ。ダビデ王もまた大いに喜んだ」(同29:6~9)。 PP 392.4
「そこでダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った、『われわれの先祖イスラエルの神、主よ、あなたはとこしえにほむべきかたです。主よ、大いなることと、力と、栄光と、勝利と、威光とはあなたのものです。天にあるもの、地にあるものも皆あなたのものです。主よ、国もまたあなたのものです。あなたは万有のかしらとして、あがめられます。富と誉とはあなたから出ます。あなたは万有をつかさどられます。あなたの手には勢いと力があります。あなたの手はすべてのものを大いならしめ、強くされます,われわれの神よ、われわれは、いま、あなたに感謝し、あなたの光栄ある名をたたえます。しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます、われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。われわれはあなたの前ではすべての先祖たちのように、旅びとです、寄留者です。われわれの世にある日は影のようで、長くとどまることはできません。われわれの神、主よ、あなたの聖なる名のために、あなたに家を建てようとしてわれわれが備えたこの多くの物は皆あなたの手から出たもの、また皆あなたのものです。わが神よ、あなたは心をためし、また正直を喜ばれることを、わたしは知っています』」(同29:10~17)。 PP 393.1
「『わたしは正しい心で、このすべての物を喜んでささげました。今わたしはまた、ここにおるあなたの民が喜んで、みずから進んであなたにささげ物をするのを見ました。われわれの先祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたの民の心にこの意志と精神とをいつまでも保たせ、その心をあなたに向けさせてください。またわが子ソロモンに心をつくしてあなたの命令と、あなたのあかしと、あなたのさだめとを守らせて、これをことごとく行わせ、わたしが備えをした宮を建てさせてください』。そしてダビデが全会衆にむかって、『あなたがたの神、主をほめたたえよ』と言ったので、全会衆は先祖たちの神、主をほめたたえ、伏して主を拝し」た(同29:17~20)。 PP 393.2
王は、非常な関心をもって、神殿の建築と装飾のために豊富な資材を集めた。後年、神殿の庭に鳴り響くことになる荘厳な賛美歌を彼は作曲した。今、氏族の長たちやイスラエルの部族のつかさたちが、りっぱな態度で彼の訴えにこたえ、彼らの前にある重大な事業に献身したので、彼の心は、神にあって喜びに満たされた。そして彼らは捧げれば、さらに多く捧げたくなるのであった。彼らは、自分たちの所有を宮の倉に納めて、捧げ物をますます増し加えた。ダビデは、神の家の資材を集める価値が自分にないことを自覚していたが、全国のつかさたちが喜んで彼にこたえて忠誠を表明し、心から彼らのたからを主に捧げて、神のご用に献身したので、喜びに満たされた。しかし、神の民にこうした精神を与えたのは、神だけであった。人間にではなくて、神に栄えを帰さなければならない。民に地の富を与えたのは神であった。そして、彼らの宝を喜んで神殿のために捧げさせたのは、神の霊であった。それは、すべて主のものであった。もし神の愛が人々の心を感動させなかったならば、王の努力もむなしく、神殿は建築されなかったことであろう。 PP 393.3
人間が神の豊かなものの中から受けるものは、すべて今なお神に属する。神が地上の価値ある美しいものとしてお与えになったものは、何であっても彼らを試みるために、人間に与えられる。それは、彼らの神に対する愛と神の恵みに対する感謝をはかるためのものである。それが富であれ、あるいは知性であれ、喜んでイエスの足もとに心からの捧げ物としておかれるべきである。捧げる者は、ダビデとともに、「すべての物はあなたから出ます、われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです」と言わなければならない(同29:14)。 PP 393.4
死ぬ時が近づいたことを感じたダビデは、なお、ソロモンとイスラエル王国のことを深く憂えていた。イスラエルの繁栄は、主として王が誠実であるか否かにかかっていた。「わたしは世のすべての人の行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくなければならない。あなたの神、主のさとしを守り、その道に歩み、その定めと戒めと、おきてとあかしとを、モーセ の律法にしるされているとおりに守らなければならない。そうすれば、あなたがするすべての事と、あなたの向かうすべての所で、あなたは栄えるであろう。また主がさきにわたしについて語って『もしおまえの子たちが、その道を慎み、心をつくし、精神をつくして真実をもって、わたしの前に歩むならば、おまえに次いでイスラエルの位にのぼる人が、欠けることはなかろう』と言われた言葉を確実にされるであろう」(列王紀上2:2~4)。 PP 393.5
記録に残っているダビデの「最後の言葉」は歌である。それは、信頼の歌、高遠な原則と不滅の信仰の歌である。 PP 394.1
「エッサイの子ダビデの託宣、 PP 394.2
すなわち高く挙げられた人、 PP 394.3
ヤコブの神に油を注がれた人、 PP 394.4
イスラエルの良き歌びとの託宣。 PP 394.5
『主の霊はわたしによって語る、…… PP 394.6
「人を正しく治める者、 PP 394.7
神を恐れて、治める者は、 PP 394.8
朝の光のように、 PP 394.9
雲のない朝に、輝きでる太陽のように、 PP 394.10
地に若草を芽ばえさせる雨のように人に臨む」 PP 394.11
まことに、わが家はそのように、 PP 394.12
神と共にあるではないか。 PP 394.13
それは、神が、よろず備わって確かな PP 394.14
とこしえの契約をわたしと結ばれたからだ。 PP 394.15
どうして彼はわたしの救と願いを、 PP 394.16
皆なしとげられぬことがあろうか』」 PP 394.17
(サムエル記下23:1~5) PP 394.18
ダビデは、非常に堕落はしたが、深刻に悔い改めて、心をこめて愛し、信仰を堅く保った。彼は多くの罪を赦されたので、多く愛した(ルカ7:47、48参照)。 PP 394.19
ダビデの詩篇は、罪の自覚と自責の深淵から、最も高められた信仰と神との最も高められた交わりまでのあらゆる経験をうたっている。彼の生涯の記録は、罪がただ恥と災いだけをもたらすものであることを示している。しかし、神の愛と憐れみは、どんな深みにも達し、信仰は、悔い改める魂を引き上げて、神の子としての身分にあずからせることを明らかにする。それは、神のみ言葉の中のすべての確証の中で、神の誠実と正義と神の契約の憐れみに関する最も強力なあかしの1つである。 PP 394.20
人は、「影のように飛び去って、とどまらない」「しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」「しかし主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり、その義は子らの子に及び、その契約を守り、その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ」(ヨブ14:2、イザヤ40:8、詩篇103:17、18)。 PP 394.21
「すべて神がなさる事は永遠に変ることがな」い(伝道の書3:14)。 PP 394.22
ダビデと彼の家に与えられた約束は輝かしく、永遠のかなたを待望し、キリストにおいて完全に実現されるものであった。主は言われた。 PP 394.23
「わたしのしもベダビデに誓った、……わが手は常に彼と共にあり、わが腕はまた彼を強くする。……わがまことと、わがいつくしみは彼と共にあり、わが名によって彼の角は高くあげられる。わたしは彼の手を海の上におき、彼の右の手を川の上におく。彼はわたしにむかい『あなたはわが父、わが神、わが救の岩』と呼ぶであろう。わたしはまた彼をわがういごとし、地の王たちのうちの最も高い者とする。わたしはとこしえに、わがいつくしみを彼のために保ち、わが契約は彼のために堅く立つ」(詩篇89:3~28) PP 394.24
「わたしは彼の家系をとこしえに堅く定め、 PP 394.25
その位を天の日数のようにながらえさせる」 PP 394.26
(詩篇89:29) PP 394.27
「彼は民の貧しい者の訴えを弁護し、 PP 394.28
乏しい者に救を与え、 PP 394.29
しえたげる者を打ち砕くように。 PP 394.30
彼は日と月とのあらんかぎり、 PP 394.31
世々生きながらえるように。…… PP 394.32
彼の世に義は栄え、 PP 395.1
平和は月のなくなるまで豊かであるように。 PP 395.2
彼は海から海まで治め、 PP 395.3
川から地のはてまで治めるように」 PP 395.4
「彼の名はとこしえに続き、 PP 395.5
その名声は日のあらん限り、絶えることのないように。 PP 395.6
人々は彼によって祝福を得、 PP 395.7
もろもろの国民は彼をさいわいなる者と PP 395.8
となえるように」 PP 395.9
(詩篇72:4~8、17) PP 395.10
「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議上、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる」「彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」(イザヤ9:6、ルカ1:32、33)。 PP 395.11