人類のあけぼの

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第70章 ダビデの治世

本章は、サムエル記下5:6~25、6、7、9、10章に基づく PP 366.2

ダビデは、イスラエルの王位が確立するとすぐ、彼の領土の都として、もっと適当な場所をさがし始めた。そして、ヘブロンから20マイル離れたところが、王国の将来の都に選ばれた。そこは、ヨシュアがヨルダン川を渡って、イスラエル軍を導き入れる前は、サレムと呼ばれていた。アブラハムは、この場所の近くで、彼の神に対する忠誠を証明した。ダビデが王位につく800年前、それは、いと高き神の祭司、メルキゼデクの故郷であった。それは、国土の中心の高台にあって、山々にかこまれて守備されていた。それは、ベニヤミンとユダの国境にあったので、エフライムにも近く、他の部族にも近かった。 PP 366.3

この場所を確保するために、ヘブル人はシオンとモリアの山々に城塞を構えていたカナン人の残りを追放しなければならなかった。この城塞はエブスと呼ばれ、その住民はエブス人と言われていた。エブスは、幾世紀もの間、難攻不落の城と思われていた。しかし、ヨアブを指揮官とするヘブル人が、これを包囲して占領した。ヨアブは、その功を認められて、イスラエル軍の総指揮官に任じられた。こうして、エブスが国家の首都になり、異教の名がエルサレムと変更された。 PP 366.4

地中海沿岸の富裕な町ツロの王ヒラムは、イスラエルの王と同盟を結ぶことを求めた。そして、エルサレムの宮殿建設に当たって、ダビデに援助を与えた。ツロから使者がつかわされて来た。それと共に大工と石工が送られ、高価な木材、香柏、その他の貴重な資材を積んだ長い行列が続いた。 PP 366.5

イスラエルは、ダビデのもとに統一されて、強大な力を持ち、エブスの城塞を占領し、ツロの王ヒラムと同盟を結んだことが、ペリシテ人の戦意を刺激した。そこで、彼らはふたたび大軍を率いて国内に侵入し、エルサレムのすぐ近くのレパイムの谷に陣取った。ダビデは、部下たちと共にシオンの要害に退き、神の指示を待った。「ダビデは主に問うて言った、『ペリシテびとに向かって上るべきでしょうか。あなたは彼らをわたしの手に渡されるでしょうか』。主はダビデに言われた、『上るがよい。わたしはかならずペリシテびとをあなたの手に渡すであろう』」(サムエル記下5:19)。 PP 366.6

ダビデは、すぐに敵に向かって進撃し、彼らを打ち破って殺し、彼らが自分たちの勝利を確実にするために持ち出していた神々をぶんどった。ペリシテ人は、この屈辱的敗北に憤激して、再度襲来を試みた。彼らは、ふたたび上ってきて、「レパイムの谷に広がった」(同5:22)。ダビデは、もう1度主の助けを求めた。すると偉大な“わたしはある”と言われる神は、イスラエル軍の指揮に当たられた。 PP 367.1

神は、ダビデに指示を与えて言われた。「上ってはならない。彼らのうしろに回り、バルサムの木の前から彼らを襲いなさい。バルサムの木の上に行進の音が聞えたならば、あなたは奮い立たなければならない。その時、主があなたの前に出て、ペリシテびとの軍勢を撃たれるからである」(同5:23、24)。もしもダビデが、サウルのように自分かってなことをしていたならば、成功が与えられなかったことであろう。しかし、彼は主の命令に従った。そして、「ダビデは神が命じられたようにして、ペリシテびとの軍勢を撃ち破り、ギベオンからゲゼルに及んだ。そこでダビデの名はすべての国々に聞えわたり、主はすべての国びとに彼を恐れさせられた」(歴代志上14:16、17)。 PP 367.2

こうして、ダビデの王位は確立し、外敵の侵入もなくなったので、彼は、神の箱をエルサレムに移すという念願を達成しようと思った。箱は、長年の間、9マイル離れたキリアテ・ヤリムに置かれていた。しかし、国家の都に神の臨在のしるしを持ってくるのはふさわしいことであった。 PP 367.3

ダビデは、それを非常な喜びと荘厳な式典にしたいと思ったので、イスラエルの指導者たち3万人を召集した。人々は、喜んで召集に応じた。大祭司と聖職についていた兄弟たち、部族のつかさたちや指導者たちは、キリアテ・ヤリムに参集した。ダビデは、聖なる熱意に燃えていた。箱は、アビナダブの家から運び出されて、新しい牛車にのせられた。そして、アビナダブのふたりのむすこがそれにつきそった。 PP 367.4

イスラエルの人々は、大喜びで叫び、歓喜の歌をうたって従い、楽器の音に合わせて歌う群衆の声がそれに和した。「ダビデとイスラエルの全家は琴と立琴と手鼓と鈴とシンバルとをもって歌をうたい、力をきわめて、主の前に踊った」(サムエル記下6:5)。イスラエルが、このように勝ち誇った光景を目撃したのは、久しぶりのことであった。厳粛なうちにも喜びに満ちて、巨大な行列は山を越え谷を渡って、聖都に向かって進んだ。 PP 367.5

ところが、「彼らがナコンの打ち場にきた時、ウザは神の箱に手を伸べて、それを押えた。牛がつまずいたからである。すると主はウザに向かって怒りを発し、彼が手を箱に伸べたので、彼をその場で撃たれた。彼は神の箱のかたわらで死んだ」(同6:6、7)。突然、喜んでいた群衆は恐怖に襲われた。ダビデは驚き、大いに恐れて、心の中で神の正義を疑った。彼は、神の臨在の象徴として箱を尊ぼうとしていたのである。それなのになぜこの恐ろしい罰が与えられて、喜ばしい光景が悲しみと嘆きの時と変わったのであろうか。ダビデは、箱を自分の身辺に置くのは安全でないと考えて、そのままその場に止めておくことにした。それは近くにあったガテ人オベデエドムの家に置かれた。 PP 367.6

ウザの死は、明白な命令にそむいた罰であった。主はモーセによって、箱を運ぶ時の特別な指示を与えておられた。アロンの子孫の祭司以外は、それに触れることも、おおいをかけずに見ることさえできなかった。「その後コハテの子たちは、それを運ぶために、はいってこなければならない。しかし、彼らは聖なる物に触れてはならない。触れると死ぬであろう」と命じられていた(民数記4:15)。祭司が箱におおいをかけ、そのあとでコハテ人が、箱の両側の環に通して固定されたさおを持って持ち上げなければならなかった。モーセは、幕屋の幕と板と柱の責任を負わせられたゲルションの子たちとメラリの子たちには、委ねられたものを運ぶために牛車を与えた。「しかし、コハテの子たちには、何をも渡さなかった。彼らの務は聖なる物を、肩にになって運ぶことであったからである」(同7:9)。したがって、彼らがキリアテ・ヤリムから箱を移動した場合、主の指示に対して直接、許すことのできない違反を犯したのであった。 PP 367.7

ダビデと彼の民とは、聖なる働きをするために集まり、心から喜んでそれに従事したのであった。しかし、それが主の指示に従って行われていなかったために、主はその奉仕を受け入れることがおできにならなかった。ペリシテ人は神の律法を知らなかったから、箱をイスラエルに返す時に車に載せた。そして、主は、彼らの努力をお受け入れになった。しかし、イスラエル人は、彼らの手中に、これらすべてのことに関する神のみむねを明らかにしるしたものを持っていた。そして、これらの指示をなおざりにすることは、神のみ栄えを汚すことであった。ウザは僣越というさらに大きな罪を犯した。彼は神の律法を犯して、その神聖さを自覚しなくなり、告白しない罪をいだいたまま、神が禁じておられるにもかかわらず、神の臨在の象徴にあえて触れようとした。神は、部分的服従や神の戒めをあいまいに取り扱うことをお受け入れにならない。神は、ウザを罰することによって、神の要求に厳密な注意を払う重要性を、全イスラエルに印象づけようとされた。こうして、1人の人間の死によって、人々が悔い改めるようになり、幾千の人々を罰する必要がないようにするのであった。 PP 368.1

ダビデは、彼自身の心が、神の前に全的には正しい関係にないことを感じた。そして、ウザが撃たれたのを見て、自分も何かの罪のために罰せられるのではないかと思って、箱を恐れた。しかし、オベデエドムは、喜びにふるえながらも、服従する者に対する神の恵みの契約として、神聖な象徴を歓迎した。今や、全イスラエルの注目がガテ人と彼の家族に向けられた。すべての者は、それが彼らのところでどうなるかを見守った。「主はオベデエドムとその全家を祝福された」(サムエル記下6:11)。 PP 368.2

神の譴責は、ダビデに対して効果を現した。彼は、これまでになかったほどに、神の律法の神聖さと厳密に服従する必要とを自覚した。オベデエドムの家が祝福されたので、ダビデは、箱が彼と彼の民に祝福をもたらすであろうという希望をふたたびいだくことができた。 PP 368.3

彼は、3ヶ月後にもう1度箱を移動させようと考えた。そして、今度は、主の指示に厳密に従おうと真剣に注意するのであった。ふたたび、国家のおもだった人々が召集され、大群衆がガテ人の家のまわりに集まった。箱はうやうやしく、神の命を受けた人々の肩に載せられた。群衆は、その後に従った。大行列は、震えおののきながら、ふたたび動き出した。6歩進むと、ラッパが鳴って大行列は止まった。ダビデの命によって、「牛と肥えた物」が犠牲として捧げられた(同6:13)。こうして、恐れとおののきが喜びに代わった。王は、王衣を脱いで、祭司が着るような亜麻布のエポデを身につけた。この行為によって、彼は、祭司の務めをしようと思ったのではなかった。エポデは、時には、祭司以外の人も着ていた。しかし、彼は、この聖なる式典において、神の前に彼の国民と平等の立場をとりたかったのである。その日、あがめられるのは、主であった。ただ主だけが尊崇の対象とならなければならなかった。 PP 368.4

長い行列は、ふたたび動きだして、琴、角笛、ラッパ、シンバルなどの楽の音が、多くの人の歌声とまじって空に響いた。そして、ダビデは喜びに満ちて、歌の調子に合わせて、「主の箱の前で踊った」(同6:14)。 PP 368.5

ダビデが神の前で、敬虔な喜びに満ちて踊ったことを引用して、快楽愛好者たちは今流行している社交ダンスを正当化しようとするが、これは、そうした議論の根拠にはならない。今日、ダンスといえば、道楽と夜半の酒宴と結びついている。快楽のために、健康と道徳が犠牲にされている。ダンス・ホールに行く人々は、神を考えもしなければ、敬いもしない。祈りや賛美の歌は、彼らのつどいの場には不適当に思われる。これが決定的試験でなければならない。クリスチャンは、神聖なことに関する愛を弱めたり、神に奉仕する喜びを減少したりする傾向のある娯楽を求めてはならない。箱を移動するに当たって、喜びにあふれて神をたたえた音楽と踊りは、今日のダンスという娯楽とは、少しも似通ったところがなかったのである。1つは、神をおぼえて神の神聖なみ名を高めるものであった。他のものは、人々に神を忘れさせ、神のみ名を汚させるサタンの手段である。 PP 368.6

凱旋の行列は、彼らの目には見えない王の神聖な象徴に従って、都に近づいた。すると、突然、人々は大声で歌いだして、城壁を守る者らに、聖都の門を開くように命じた。 PP 369.1

「門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。 PP 369.2

栄光の王がはいられる」 PP 369.3

一団の歌う人々と楽器を奏する人々は答えた。 PP 369.4

「栄光の王とはだれか」 PP 369.5

別の一団がそれに答えた。 PP 369.6

「強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である」 PP 369.7

すると幾百の声がそれに和して、凱旋の合唱の声 PP 369.8

は高まった。 PP 369.9

「門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。 PP 369.10

栄光の王がはいられる」 PP 369.11

ふたたび、「この栄光の王とはだれか」という喜 PP 369.12

びに満ちた問いが聞こえた。すると、「多くの水 PP 369.13

の音」のような大群衆の声が、歓喜に満ちあふれ PP 369.14

て答えるのが聞こえた。 PP 369.15

「万軍の主、これこそ栄光の王である」 PP 369.16

(詩篇24:7~10、黙示録19:6) PP 369.17

こうして門は広く開かれて、行列は都の中にはいり、箱は、それを迎えるために設けられた天幕の中にうやうやしく安置された。神聖な場所の前に、犠牲を捧げる祭壇が築かれた。酬恩祭と燔祭の煙と、香の煙とがイスラエルの賛美と祈りとともに、天にのぼっていった。礼拝はこれで終わった。王は、自分で民を祝福した。そして、王は、恵み深くも食物とほしぶどうの贈り物を、茶菓として彼らに分け与えた。 PP 369.18

この式典には、全部族が代表されていた。これは、ダビデのこれまでの治世のうちで、最も神聖な祝典であった。神の霊感が王に臨んだ。そして、沈みゆく太陽の光線が、幕屋を聖なる光に包んだ時に、彼は、恵み深い神の臨在の象徴が、イスラエルの王座のそば近くに、いま、置かれたことを、心から感謝したのである。 PP 369.19

ダビデは、こうした瞑想にふけりながら、「家族を祝福しようとして」宮殿のほうに向かった(サムエル記下6:20)。しかし、ダビデの心を感動させた精神とは、全く異なった感情をいだいて、この喜ばしい光景を見たものがあった。「主の箱がダビデの町にはいった時、サウルの娘ミカルは窓からながめ、ダビデ王が主の前に舞い踊るのを見て、心のうちにダビデをさげすんだ」(同6:16)。彼女は、腹を立てて苦り切り、ダビデが宮殿に帰ってくるまで待つことができず、彼を出迎えて、ダビデのやさしいあいさつの言葉に対して苦々しい言葉でしゃべりまくった。彼女の言葉は、鋭く心を刺す皮肉であった。 PP 369.20

「きょうイスラエルの王はなんと威厳のあったことでしょう。いたずら者が、恥も知らず、その身を現すように、きょう家来たちのはしためらの前に自分の身を現されました」(同6:20)。 PP 369.21

ダビデは、ミカルが軽蔑して侮辱したのは、神の礼拝であることに気づいて、きびしい言葉で答えた。「あなたの父よりも、またその全家よりも、むしろわたしを選んで、主の民イスラエルの君とせられた主の前に踊ったのだ。わたしはまた主の前に踊るであろう。わたしはこれよりももっと軽んじられるようにしよう。そしてあなたの目には卑しめられるであろう。しかしわたしは、あなたがさきに言った、はしためたちに誉を得るであろう」(同6:21、22)。ダビデの譴責に、主の譴責も加えられた。ミカルは、彼女の誇りと高慢のゆえに、「死ぬ日まで子供がなかった」(同6:23)。 PP 369.22

箱の移動に当たって行われた厳粛な儀式は、イスラエルの人々に忘れ得ぬ印象を与えた。それは、聖所の務めに深い関心を喚起し、主に対する熱心を新たに燃え立たせた。ダビデは、力のかぎりを尽くして、こうした印象を深めようと努力した。歌による礼拝が、定期集会の中で定まって行われるようになった。ダビデは、聖所の務めの時に祭司が歌う詩篇ばかりでなくて、年ごとの祭りの際に、国立の祭壇まで人々が旅をする時に歌うものも作った。こうした影響は非常に強くて、国家が偶像礼拝に陥るのを防いだ。周囲の人々の多くは、イスラエルの繁栄をながめて、そ の民のために、このような偉大なことをなさったイスラエルの神をよく思うようになった。 PP 369.23

モーセが建てた幕屋は、箱を除くほかのすべての備品とともに、まだ、ギベアにあった。ダビデは、エルサレムを国家の宗教的中心にしようと考えた。彼は、自分のために宮殿を造った。それなのに、神の箱が天幕の中にあるのは、適当でないと考えた。ダビデは、彼らの王であられる主の臨在によって国家に与えられた栄誉に対して、イスラエルがいだいている感謝を表現するに足る壮麗な神殿を建てようと決心した。預言者ナタンにこの決意を伝えると、次のような励ましの返答があった。「主があなたと共におられますから、行って、すべてあなたの心にあるところを行いなさい」(同7:3)。 PP 370.1

しかし、その晩、主の言葉がナタンに臨み、王に対する言葉が与えられた。神のために家を建てる特権はダビデには与えられなかった。しかし、彼と彼の子孫とイスラエルの国に神の恵みの約束が授けられた。「万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを牧場から、羊に従っている所から取って、わたしの民イスラエルの君とし、あなたがどこへ行くにも、あなたと共におり、あなたのすべての敵をあなたの前から断ち去った。わたしはまた地上の大いなる者の名のような大いなる名をあなたに得させよう。そしてわたしの民イスラエルのために1つの所を定めて、彼らを植えつけ、彼らを自分の所に住ませ、重ねて動くことのないようにするであろう。また前のように、……悪人が重ねてこれを悩ますことはない」(同7:8~11)。 PP 370.2

ダビデは、神のために家を建てたいと望んでいたので、約束が与えられた。「主はまた『あなたのために家を造る』と仰せられる。……わたしはあなたの……子を、あなたのあとに立てて、……彼はわたしの名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう」(同7:11~13)。 PP 370.3

ダビデが神殿を建てることのできない理由が明らかにされた。「おまえは多くの血を流し、大いなる戦争をした。……わが名のために家を建ててはならない。見よ、男の子がおまえに生れる。彼は平和の人である。わたしは彼に平安を与えて、周囲のもろもろの敵に煩わされないようにしよう。彼の名はソロモン(平和な)と呼ばれ、彼の世にわたしはイスラエルに平安と静穏とを与える。彼はわが名のために家を建てるであろう」(歴代志上22:8~10)。 PP 370.4

ダビデは、かねてからの彼の希望がかなえられなかったけれども、感謝してこの言葉を受け入れた、「主なる神よ、わたしがだれ、わたしの家が何であるので、あなたはこれまでわたしを導かれたのですか。主なる神よ、これはなおあなたの目には小さい事です。主なる神よ、あなたはまたしもべの家の、はるか後の事を語って、きたるべき代々のことを示されました」(サムエル記下7:18、19)。それから、彼は、彼の神との契約を更新した。 PP 370.5

ダビデは、心の中でしようと計画した工事をすることは、彼の名の栄誉であり、彼の政府に栄光をもたらすものであることを知っていたが、快く彼の意志を神のみこころに服従させた。このように感謝の気持ちをもって思い切ることは、クリスチャンの中でさえ、あまり見られない。壮年の力にあふれた時期が過ぎても、したいと思った何かの大事業を自分でやりとげようとする人が、なんとよくあることであろう。ところが、彼らは、それに不適任なのである。神の預言者がダビデに語ったように、神の摂理は、彼らがしようと望んでいる仕事が、彼らに与えられないことを告げる。他のために道を備えるのが彼らの仕事である。しかし、多くの者は感謝して、神の指示に従うかわりに、自分たちが軽視または拒否されたものと思い、しりごみしてしまい、もし、自分たちがしようと思ったことができないのならば、何もするまいと思うのである。また、負う能力のない責任をなんとかして保持しようと努力する者が多い。彼らは、自分では十分することができないことをしようとしてむなしく努力する一方、彼らのできることをおろそかにしている。こうして、彼らが協力しないために、大事業が妨害されたり、挫折したりするのである。 PP 370.6

ダビデは、ヨナタンと契約を結んで、敵との戦いが終わったならば、サウルの家の者に恵みを施すことを 約束した。王は、成功した時に、この契約を覚えていてたずねた。「サウルの家の人で、なお残っている者があるか。わたしはヨナタンのために、その人に恵みを施そう」(同9:1)。彼は、子供の時から足が不自由だったヨナタンの子メピボセテのことを聞いた。サウルが、エズレルでペリシテ人に敗れたとき、この子のうばが彼を連れて逃げる時に、誤って落として歩けなくしてしまった。ダビデは、この青年を宮廷に呼び、心から親切に彼を迎え入れた。彼はメピボセテの家を支えるために、サウル個人の財産を彼に返した。しかし、ヨナタンの子メピボセテ自身は、いつも王の客となり、毎日王の食卓で食事をするのであった。メピボセテは、ダビデの敵の話を聞いて、彼を横領者のように考えて強い偏見をいだいていたが、王の寛大で丁重な歓迎と親切な取り扱いは、彼の心を捕らえた。彼は、ダビデに強く引きつけられた。そして、ヨナタンと同様に、神が選ばれた王に心からの忠誠を尽くすようになった。 PP 370.7

ダビデの王座が確立してから後、イスラエルの国は、長い間平和であった。国家が強力に一致しているのを見た周囲の国々は、公然と戦争をしかけないほうが得策であると考えた。そして、ダビデも、国家の組織と建設に力を注いで、戦いをしむけることはしなかった。しかし、ついに彼は、以前からの敵国ペリシテとモアブと戦って、両国を征服して属国とした。 PP 371.1

その後、周囲の国々がダビデの王国に対抗して、大同盟軍を結成した。そのため、ダビデの治世中の最大の戦争が起こって、最大の勝利をおさめることになり、領土が最も拡大されるのであった。実は、この敵の同盟は、ダビデの勢力の増大をねたむ心から起こったもので、ダビデが挑発したものでは全くなかった。それは、次のような事情によるものであった。 PP 371.2

アンモン人の王ナハシの死が、エルサレムに伝えられた。この王は、ダビデがサウルの怒りを避けて逃亡していた時に、ダビデを親切にもてなした王であった。そこで、ダビデは、自分が苦しんでいた時の親切に対する感謝を表すために、アンモン王の子で、その後継者のハヌンに使者を送って、弔意を表させた。「わたしはナハシの子ハヌンに、その父がわたしに恵みを施したように、恵みを施そう」と彼は言った(同10:2)。 PP 371.3

しかし、この丁重な行為は誤解された。アンモン人は、真の神を憎み、イスラエルの恨み重なる敵であった。ナハシがダビデに親切をよそおったのは、全くイスラエルの王サウルに対する憎しみからであった。ハヌンのつかさたちは、ダビデの言葉を曲解した。「ダビデが慰める者をあなたのもとにつかわしたのは彼があなたの父を尊ぶためだと思われますか。ダビデがあなたのもとに、しもべたちをつかわしたのは、この町をうかがい、それを探って、滅ぼすためではありませんか」と彼らは言った(同10:3)。半世紀前、ヤベシ・ギレアデの人々がアンモン人に包囲されて和を請うた時に、ナハシは彼のつかさたちの勧告を入れて、残酷な条件を出したのである。ナハシは、彼らの右の目を全部くりぬくことを要求したのであった。ところが、イスラエルの王がアンモン人の残酷な策略の裏をかいて、彼らがはずかしめて不能にしようとした人々をどのようにして救ったかを、彼らはまだありありと覚えていた。イスラエルに対する同じ憎しみが、まだ彼らの行動を支配していた。彼らは慰めの言葉を伝えたダビデの寛大な精神を思い知ることができなかった。サタンが人の心を支配するとき、彼らにねたみと疑惑の念をいだかせて、どんな善意をも曲解させてしまうのである。ハヌンは、つかさたちの勧告に聞き従って、ダビデの使者たちを斥候とみなし、彼らを軽蔑して侮辱した。 PP 371.4

アンモン人は、彼らの本性がダビデによくわかるように、何の抑制も受けずに、彼らの邪悪な計画を実行することが許されたのである。イスラエルが、この不実な異邦の民と同盟を結ぶことは、神のみこころではなかった。 PP 371.5

現在と同様、昔も、大使の任務は神聖なものとされていた。国家間共通の法律によって、大使はその身に暴力または侮辱を受けることがないように、その身の安全が保証されていた。王の代表者として立つ大使に加えられる侮辱は、すぐに報復に価するも のであった。イスラエルに加えた侮辱が必ず報復されることを知っていたアンモン人は、戦争の準備をした。「アンモンの人々は自分たちがダビデに憎まれることをしたとわかったので、ハヌンおよびアンモンの人々は銀千タラントを送ってメソポタミヤとアラム・マアカ、およびゾバから戦車と騎兵を雇い入れた、すなわち戦車3万2千を……雇い入れた……そこでアンモンの人々は町々から寄り集まって、戦いに出動した」(歴代志上19:6、7)。 PP 371.6

これは、実に恐るべき同盟軍であった。ユフラテ川から地中海に至る地域の住民が、アンモン人と同盟を結んだ。カナンの北と東は、イスラエル王国を粉砕しようとして結束した敵軍にかこまれた。 PP 372.1

ヘブル人は、敵が国内に侵入するまで待たなかった。ヨアブの率いるヘブルの軍勢は、ヨルダン川を渡って、アマレクの都に向かって前進した。ヨアブは、軍勢を戦場に率い出したとき、彼らを鼓舞しようとして言った。「勇ましくしてください。われわれの民のためと、われわれの神の町々のために、勇ましくしましょう。どうか、主が良いと思われることをされるように」(同19:13、サムエル記下10:12参照)。連合軍の軍勢は、第一戦で敗れ去った。しかし、彼らは、戦いをやめようとせず翌年戦争を再開した。スリヤ王は、大軍を結集してイスラエルをおびやかした。ダビデは、この戦争の勝敗の結果の重大性を悟って自分みずから指揮に当たり、神の祝福のもとに、同盟軍に多大な損害を与えた。そして、レバノンからユフラテに至るスリヤ人が降参したばかりでなくて、イスラエルの属国になったのである。ダビデはアンモン人をも勇ましく攻め、ついに、彼らの城塞は落ちて、その全地域はイスラエルの領土となった。 PP 372.2

国家の存在を脅かした危機は、神の摂理のもとにイスラエルを、これまでになく強大な国家にする手段そのものとなった。この驚くべき救済を記念して、ダビデは歌った。 PP 372.3

「主は生きておられます。わが岩はほむべきかな。 PP 372.4

わが救の神はあがむべきかな。 PP 372.5

神はわたしにあだを報いさせ、 PP 372.6

もろもろの民をわたしのもとに従わせ、 PP 372.7

わたしの敵からわたしを救い出されました。 PP 372.8

まことに、あなたはわたしに逆らって PP 372.9

起りたつ者の上にわたしをあげ、 PP 372.10

不法の人からわたしを救い出されました。 PP 372.11

このゆえに主よ、 PP 372.12

わたしはもろもろの国民のなかであなたをたたえ、 PP 372.13

あなたのみ名をほめ歌います。 PP 372.14

主はその王に大いなる勝利を与え、 PP 372.15

その油そそがれた者に、ダビデとその子孫とに、 PP 372.16

とこしえにいつくしみを加えられるでしょう」 PP 372.17

(詩篇18:46~50) PP 372.18

ダビデの歌全体を通じて、人々は、主が彼らの力であり救いであるという印象を強く受けたのである。 PP 372.19

「王はその軍勢の多きによって救を得ない。 PP 372.20

勇士はその力の大いなるによって助けを得ない。 PP 372.21

馬は勝利に頼みとならない。 PP 372.22

その大いなる力も人を助けることはできない」 PP 372.23

(詩篇33:16、17) PP 372.24

「あなたはわが王、わが神、 PP 372.25

ヤコブのために勝利を定められる方です。 PP 372.26

われらはあなたによって、あだを押し倒し、 PP 372.27

われらに立ちむかう者を、 PP 372.28

み名によって踏みにじるのです。 PP 372.29

わたしは自分の弓を頼まずわたしのつるぎもまた、 PP 372.30

わたしを救うことができないからです、 PP 372.31

しかしあなたはわれらをあだから救い、 PP 372.32

われらを憎む者をはずかしめられました」 PP 372.33

(詩篇44:4~7) PP 372.34

「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。 PP 372.35

しかしわれらは、われらの神、 PP 372.36

主のみ名を誇る」 PP 372.37

(詩篇20:7) PP 372.38

こうして、イスラエル王国は、まずアブラハムに約束され、後にモーセにくりかえして与えられた約束どおりの範囲に達したのである。「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで」(創世記15:18)。イスラエルは、周囲の国々から尊敬され、恐れられる大国になった。国内におけるダビデの勢力も非常に大きくなった。彼は、どの時代においても見られなかったほど、国民の愛情と忠誠をかち得たのである。彼は、神をあがめたのであった。だから、神は、今、彼に栄誉を与えておられるのであった。 PP 373.1

しかし、繁栄のさなかに危険がひそんでいた。ダビデは、外的に最大の勝利を収めていた時に、最大の危機に陥り、最も屈辱的敗北を喫したのである。 PP 373.2