人類のあけぼの
第6章 明暗を分けたカインとアベル
本章は、創世記4:1~15に基づく PP 37.4
アダムのむすこたちのカインとアベルは、性格が著しく異なっていた。アベルは、神に忠誠を尽くしていた。彼は、堕落した人類を扱われる神の処置に義と恵みを認め、感謝して贖罪の希望を受け入れた。し かし、カインは反逆の精神をいだき、アダムの罪のために、神が地と人類をのろわれたことに対してつぶやいた。彼は、サタンが堕落したのと同じ方向に自分の心がむかうままにして自己称揚にふけり、神の義と権威とを疑った。 PP 37.5
この兄弟たちは、以前にアダムが試みられたように、神の言葉を信じて、従うかどうかが試みられた。彼らは人間の救いのために講じられた方法を知り、神が定められた供え物の制度を理解した。彼らは、これらの供え物を捧げることによって、これらが象徴していた救い主への信仰を表明しなければならず、また、それとともに赦しを受けるためには、救い主だけに依存していることを認めなければならないことを知っていた。また、彼らは、こうして贖罪の計画に調和すれば、神のみこころに服従する証拠を示していることになることも知っていた。血を流すことがなければ、罪の赦しはあり得なかった。そして、彼らは、群れの中のういごを犠牲に捧げて、約束の贖罪としてのキリストの血への信仰をあらわさなければならなかった。そのほか、地の初穂が、感謝の捧げ物として主の前に供えられなければならなかった。 PP 38.1
2人の兄弟は、同じように祭壇を築き、それぞれの供え物を持ってきた。アベルは、主の命令に従って群れの中から犠牲を捧げた。「主はアベルとその供え物とを顧みられた」(創世記4:4)。天から火が下って、犠牲を焼き尽くした。しかし、カインは、主の直接で明白な命令を無視して、地の産物だけを捧げた。それを受け入れたことを示すしるしは、天からなかった。アベルは、神がお命じになった方法で神に近づくように兄に嘆願したが、彼の願いは、ただカインをさらにかたくなにするばかりであった。彼は長子であったから、弟の忠告を受ける必要を認めず、弟の勧告を軽蔑した。 PP 38.2
カインは約束の犠牲について、また犠牲の供え物の必要について、心中に不平と不信をいだきながら神の前に来た。彼の供え物は、罪の悔い改めの表明ではなかった。彼は、今日の多くの人々と同様に、神に指示された通りの計画に従い、約束の救い主の贖罪に全く自分の救いをゆだねることは弱さを承認することであると思った。彼は、自己信頼の道を選んだ。彼は自分の功績に頼った。彼は小羊を持ってきて、その血を供え物にまぜることをしないで、彼の実、彼の労働の産物を捧げた。彼は自分から神に捧げる物として供え物を捧げ、それによって、神に喜ばれたいと思った。カインは、神に従って祭壇を築き、犠牲をたずさえてはきたが、彼は部分的に従っただけであった。彼は最も重大な部分、すなわち、救い主の必要を認めることを省略していた。 PP 38.3
この兄弟たちは、その出生と宗教教育の点では平等であった。2人とも罪人で、神を敬い礼拝しなければならないことを認めていた。外部から見れば、彼らの宗教は、ある点までは同じであったが、そのさきの両者の相違は大きかった。 PP 38.4
「信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ」た(ヘブル11:4)。アベルは、贖罪の大原則を理解した。彼は自分が罪人で、彼の魂と神との間の交わりを、罪とその刑罰である死とが妨げているのを知った。彼は、ほふられた犠牲、すなわち、犠牲にされた生命をたずさえてきて、彼が犯した律法の要求を認めた。彼は、流された血によって、来たるべき犠牲、カルバリーの十字架上のキリストの死を見た。そして、彼は、そこでなされる贖罪を信じて、自分が義とされ、供え物が受け入れられた証拠が与えられた。 PP 38.5
カインはアベルと同様に、こうした真理を学んで受け入れる機会があった。彼は、独断的決定の犠牲者ではなかった。兄弟のうちの1人が受け入れられて、他の1人が退けられるように神は定められたのではなかった。アベルは、信仰と従順を選び、カインは、不信と反逆を選んだ。万事はこの点にかかっていた。 PP 38.6
カインとアベルは、終末に至るまで世界に存在する2種類の人々を代表している。一方は罪のために定められた犠牲を受け入れるが、他方は、あえて自分の功績にたよろうとする。彼らの犠牲は、神の仲保のいさおしによらないものであって、神の恵みにあずかることはできない。われわれの罪は、ただイエスの 功績だけによって赦される。キリストの血の必要を感じない者、神の恵みがほしくても、自分の行いによって神に受け入れられると思っている者は、カインと同じあやまちを犯している。彼らは、清めの血を受けなければ、罪の宣告下にある。罪の奴隷から解放される道はほかに備えられていない。 PP 38.7
カインの模範に従う礼拝者は、世界の大半をはるかに越している。というのは、ほとんどすべての偽りの宗教は、人間自身の努力によって救いを得ることができるという同じ原則に基づいているからである。人類は贖罪ではなく、文明の発達、すなわち、洗練と向上と更生とが必要であるという人もある。カインが、犠牲の血をぬきにした供え物によって、神の恵みを得ようとしたように、これらの人々も贖罪を度外視して、神の標準にまで人類を高めようとするのである。カインの生涯は、どのような結末に至るかを示している。また、キリストを離れた人がどうなるかを示している。人類は、自分を再生させる力を持ち合わせない。それは、神に向かって向上するのでなくて、サタンのほうへ堕落する傾向がある。キリストだけがわれわれの希望である。「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(使徒行伝4:12)。 PP 39.1
キリストに全的によりたのむ真の信仰は、神のすべての要求に従うこととなってあらわれる。アダムの時代から現代まで、大争闘は神の律法に従うことに関してであった。神の戒めのどれかを無視していながら、神の恵みにあずかる権利を主張した人々が各時代にあった。しかし、聖書は、行いによって「信仰が全う」されることと、服従の行為がなければ、信仰は「死んだ」ものであることを明らかにしている(ヤコブ2:22、17)。神を知っていると言いながら、「その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない」(Ⅰヨハネ2:4)。 PP 39.2
カインは、自分の供え物が受け入れられなかったのを見て、主とアベルに怒りを抱いた。カインは、神がお定めになった犠牲のかわりに、人間が捧げた物をお受けにならなかったことを怒った。また、弟が、兄とともに神に反抗せず、神に服従するほうを選んだことをカインは怒った。カインが神の命令を無視したにもかかわらず、神は、彼をお見捨てにならなかった。神は、この無分別な男を説得するためにおりてこられた。そして、主はカインに言われた。「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか」。天使によって神の警告は伝えられたのである。「正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています」(創世記4:6、7)。それは、カイン自身の選択にかかっていた。もし彼が約束の救い主の功績にたより、神の要求に従ったならば、彼は神の恵みを受けたことであろう。しかし、もし彼が不信と罪を改めようとしないならば、主が彼を受け入れられなくても不平を言う理由はないのであった。 PP 39.3
しかしカインは自分の罪を認めず、かえって神の不正をつぶやき、アベルをねたみ、憎んだのである。彼は、怒って弟を非難し、自分たちに対する神の処置について弟と論争を始めようとした。アベルは、柔和に、しかも恐れることなく、断固として神の公平と恵みを弁護した。彼は、カインの誤りを示し、彼がまちがっていることを納得させようとした。 PP 39.4
アベルは、両親が直ちに死の刑罰を受けるはずであったのに、彼らをお助けになった神のあわれみを指摘して、神が彼らを愛されたのでなければ、汚れのないきよいみ子を、彼らが当然受けるべき刑罰を受けるためにお与えになることはないと力説した。こうしたことは、みな、カインを激怒させた。理性と良心は、アベルが正しいことを認めるのであるが、これまで従順に彼の勧告に従った弟が、今度は彼にさからい、彼の反逆に同調しないのを怒ったのである。彼は、激しい怒りにもえて弟を殺してしまった。 PP 39.5
カインは弟を憎んで殺した。アベルが悪事を行ったからではなくて、「彼のわざが悪く、その兄弟のわざは正しかったからである」(Ⅰヨハネ3:12)。そのように、どの時代にあっても、悪人は自分より善良な者を憎んできた。アベルの従順とゆるがない信仰 の生活は、カインにとって絶え間ない譴責であった。「悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない」(ヨハネ3:20)。神の忠実なしもべたちの品性に反映する天の光が明るければ明るいほど、不信心な者の罪が明らかに示される。そして、悪人たちは何とかして自分たちの平和を乱す者を滅ぼそうとするのである。 PP 39.6
アベルの殺害は、神が、へびと女のすえとの間、サタンおよびサタンの配下と、キリストおよびキリストの従者たちとの間に存在するといわれた敵意の最初の例であった。サタンは人間を罪に陥れて人類を支配することができたが、キリストは、彼らにサタンの束縛からのがれる力をお与えになる。神の小羊を信じて、人が罪に仕えることを拒否するときに、いつでもサタンの怒りが燃え立つ。アベルの清い生涯は、人間が神の律法を守ることが不可能だというサタンの主張に対する反ばくであった。悪魔の霊に動かされたカインは、アベルを自分の思いのままにできないことがわかると、激怒して彼の生命を奪った。神の律法の正しさを擁護して立つ者があると、どこでも彼らに対して同じ精神があらわされる。これがすべての時代に火刑柱をたてた精神であり、キリストの弟子たちを焼くために、まきに火を点じた精神である。イエスに従う者に加えられた残酷な仕打ちは、サタンとその軍勢の扇動によるものであった。なぜなら、彼らをしいて従わせることができなかったからである。それは敗北した敵の激怒である。イエスの殉教者は、すべて勝利者として死んだ。預言者は言っている。「兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼(「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ」る)にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった」(黙示録12:11、9)。 PP 40.1
殺人者カインは、間もなく彼の犯罪の責任を問われた。「主はカインに言われた、『弟アベルは、どこにいますか』。カインは答えた、『知りません。わたしが弟の番人でしょうか』」(創世記4:9)。カインは、神が常に臨在なさることと、神の偉大さと全知であられることとを忘れるほど深く罪に沈んだ。それで彼は、自分の罪を隠すためにうそをついた。 PP 40.2
主は再びカインに言われた。「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます」(創世記4:10)。神は、カインに罪を告白する機会をお与えになった。カインは深く考える時が与えられた。彼は、自分の行為とそれを隠すために言ったうそが罪深いものであることを知った。しかし彼は、なおも反逆心を捨てなかった。それで宣告はこれ以上延ばすことはできなかった。今まで嘆願と警告を発していた神のみ声は、恐ろしい宣告をするのである。「今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」(同4:11、12)。 PP 40.3
カインの犯罪は、死の宣告に値したが、あわれみ深い創造主は彼の生命を助け、悔い改める機会をお与えになった。しかし、カインは心をかたくなにし、神の権威に対する反逆を扇動することに専念した生活を送り、大胆不敵で放縦な罪人たちの先祖になったサタンに誘惑された背信者カインは、他の人々を誘惑するものとなった。彼の生活とその感化は人々を堕落させ、ついに地上は破滅にひんするまでに腐敗して悪に満ちた。 PP 40.4
神は、最初の殺人者の生命を助けることによって、大争闘に関する教訓を全宇宙にお示しになった。カインとその子孫の暗い歴史は、罪人が永遠に生きて神に反逆しつづけたならば、どういうことになるかを示した。神の寛容は、ただ悪者をますます大胆不敵にして、罪を犯させるだけであった。カインに宣告が下されてから1500年の後の世界中に満ちた罪と腐敗は、彼の感化と実例の結実であった。神の律法に違反したために堕落した人類に与えられた死の宣告は、正当で恵み深いものであることが明らかにされた。人間は、罪の生活を長く続ければ続けるほど、放縦になっていく。悪をほしいままにする生涯を短縮し、 反逆のために心をかたくした者らが、世界に悪影響を及ぼさないようにする神の宣告は、のろいではなくて、むしろ祝福であった。 PP 40.5
サタンは、神の性質と統治とを偽って伝えるために、激しい勢いと数多くの欺瞞によってたえず働いている。彼は、広範囲に及ぶ組織的計画と驚くべき力をもって、世界の住民をだましておこうとしている。永遠で全知であられる神は、初めから終わりを見通される。悪を処理なさる神の計画は、遠大で包括的である。神の目的は、反逆をしずめることだけでなくて、全宇宙に反逆の性質を実証することであった。神の公平とあわれみの両方を示す神の計画があらわされ、悪の処置に関する神の知恵と義は完全に擁護された。 PP 41.1
他世界の清い住民たちは、地上におこる出来事を、深い関心をもって見守った。洪水前の世界の状態は、ルシファーがキリストの権威に逆らい、神の律法を放棄して、天で樹立しようとした統治がどんなものであるかを彼らに実証した。洪水前の世界の横暴な罪人は、サタンの支配する従者であることを彼らは見た。人の心に思いはかることはいつも悪いことばかりであった(創世記6:5参照)。あらゆる感情、衝動、思いはかることが、純潔、平和、愛という神の原則とは相入れないものであった。それは、神の被造物から、神の清い律法の抑制を除去しようとするサタンの策略のもたらした恐ろしい堕落の実例であった。 PP 41.2
神は大争闘の進行に従って明らかにされる事実によって、これまでサタンとサタンに欺かれたすべての者が偽り伝えてきた、神の統治の原則を実証なさるのである。全世界は、ついに神の公義を認めるのである。しかし、それは反逆者たちを救うにはすでに時はおそすぎる。 PP 41.3
神の大きな計画が1歩1歩完成に近づくに従って、全宇宙は神に賛同し、是認するのである。神が反逆を最終的に根絶なさるときにも、全宇宙はそれを納得する。神の戒めを捨てたすべての者は、キリストに敵対するサタンの側についたことを知る。この世の君が裁かれるとき、彼と結合したすべての者は、彼と運命を共にする。そのとき、全宇宙は、その宣告の証人として「万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります」と言うのである(黙示録15:3)。 PP 41.4