人類のあけぼの

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第48章 カナンの分配

本章は、ヨシュア記10:40~43、11章、14~22章に基づく PP 264.1

ベテホロンでの勝利のあと、たちまち、カナンの南部が征服された。「こうしてヨシュアはその地の全部、すなわち、山地、ネゲズ平地、および山腹の地……を撃ち滅ぼし……た。……イスラエルの神、セがイスラエルのために戦われたので、ヨシュアはこれらすべての王たちと、その地をいちどきに取った。そしてヨシュアはイスラエルのすべての人を率いて、ギルガルの陣営に帰った」(ヨシュア10:40~43)。 PP 264.2

パレスチナ北部の部族は、イスラエル軍の勝利に恐怖を感じ、これに対抗して同盟を結んだ。この同盟軍のかしらはメロム湖の西側までの地域であるハゾルの王ヤビンであった。「そして彼らは、そのすべての軍勢を率いて出てきた」(同11:4)。この軍勢はイスラエルがこれまでにカナンで遭遇したどの軍勢よりも大きかった。「その大軍は浜べの砂のように数多く、馬と戦車も、ひじょうに多かった。これらの王たちはみな軍を集め、進んできて、共にメロムの水のほとりに陣をしき、イスラエルと戦おうとした」(同11:4、5)。ふたたび激励の言葉がヨシュアに与えられた。「彼らのゆえに恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らを皆イスラエルに渡して、ことごとく殺させるであろう」(同11:6)。 PP 264.3

ヨシュアは、メロム湖の近くで同盟軍の陣営を襲い、その軍勢を徹底的に壊滅させた。「主は彼らをイスラエルの手に渡されたので、これを撃ち破り……ついにひとりも残さず撃ちとった」(同11:8)。カナン人の誇りであり自慢の種であった戦車と馬は、イスラエルのぶんどり品としてはならなかった。神の命令によって戦車は焼かれ、馬はかたわにさせられて戦いの役に立たなくなった。イスラエル人は、戦車や馬に頼らず「彼らの神、主のみ名」に信頼すべきであった。 PP 264.4

町は次々と攻撃され、同盟軍の要塞ハゾルは焼かれた。戦いは数年続いたが、ついにヨシュアはカナンの支配者となった。「こうしてその地に戦争はやんだ」(同11:23)。 PP 264.5

しかし、カナン人の勢力は打ち破られたが、彼らは完全に土地から立ちのかされていなかった。西部ではまだペリシテ人が海岸ぞいの肥沃な平野を占領しており、その北にはシドン人の領地があった。レバノンもまたシドン人の領有であった。南部では、エジプトまでの地域がイスラエルの敵によって占領されていた。 PP 264.6

しかし、ヨシュアが戦いを続けるのではなかった。この偉大な指導者は、イスラエルの指導から手をひく前にしなければならないことがあった、全地は、征服した土地も、まだ平定していない土地も、部族に割り当てねばならなかった。そして、それぞれの部族が自分たちの嗣業を完全に平定しなければならなかった。もし人々が神に忠実であったら、神は、彼らの前から敵を追い払ってくださるのであった。そして、彼らが神の契約に忠実でありさえしたら、もっと大きな所有を与えるであろうと、神は約束された。 PP 264.7

土地の分配は、ヨシュアと大祭司エレアザルおよび部族の首長たちに任され、各部族の配置はくじできめられた。モーセは、民がカナンを占領したときに、部族間に分配するように土地の境界を定め、各部族の首長がその分配に参加するように定めておいた。レビ族は、聖所の奉任に専念していたので、この割り当ての中に入らなかった。レビ人には、国内のあちらこちらにある48の都市が、彼らの嗣業として指定された。 PP 264.8

土地の分配をはじめる前に、カレブが、彼の部族の首長たちを従えて、特別な要求をもって出頭した。ヨシュアを除けば、カレブは、今や、イスラエルで最年長者であった。斥候たちの中で、カレブとヨシユアだけが、約束の地について、よい報告をもち帰って人々に主の名によってのぼって行ってそこを占領するようにと励ましたのであった。カレブは今、彼の忠誠の報いとして、その時与えられた約束、すなわち、「お まえの足で踏んだ地は、かならず長くおまえと子孫との嗣業となるであろう。おまえが全くわが神、主に従ったからである」という約束をヨシュアに思い出させた(同14:9)。そこで彼は、ヘブロンを自分の所有としてもらいたいと願い出た。ここは、長年の間、アブラハム、イサク、ヤコブの土地であった。ここのマクペラの洞穴に、彼らが埋葬されていた。ヘブロンは、その手ごわい外見で斥候たちを恐れさせ、そのため全イスラエルの勇気をくじいたおそるべきアナキ人の土地であった。ここは、とりわけカレブが神の力に信頼して自分の嗣業としてえらんだ土地であった。 PP 264.9

カレブは言った。「主がこの言葉をモーセに語られた時からこのかた、イスラエルが荒野に歩んだ45年の間、主は言われたように、わたしを生きながらえさせてくださいました。わたしは今日すでに85歳ですが、今もなお、モーセがわたしをつかわした日のように、健やかです。わたしの今の力は、あの時の力に劣らずどんな働きにも、戦いにも堪えることができます。それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、わたしにください。あの日あなたも聞いたように、そこにはアナキびとがいて、その町々は大きく堅固です。しかし、主がわたしと共におられて、わたしはついには、主が言われたように、彼らを追い払うことができるでしょう」(同14:10~12)。 PP 265.1

ユダのおもだった人々が、その願いを支持した。カレブ自身がユダ族から土地の分配について任命されていたので、彼はその権限を利己的な特典に用いたようにみられないように、首長たちの同意を得た上で、彼の主張を持ち出すことにしていたのである。 PP 265.2

彼の要求はすぐにかなえられた。この巨大な要塞の征服は、だれよりも彼にまかせるのが一番安全であった。「そこでヨシュアはエフンネの子カレブを祝福し、ヘブロンを彼に与えて嗣業とさせた」(同14:13)。彼が全く主なる神に従ったからである。カレブの信仰は、今も、かつて斥候たちの悲観的な報告と反対のあかしをたてた時と全く同じであった。彼は神がご自分の民にカナンを占領させると言われた約束を信じていた。この点において彼は全く主に従ったのであった。彼は、民と共に荒野での長年の放浪に耐えて、失望と罪の重荷を共に味わった。それでも、彼はそのことについてなんの不平も言わずに、荒野で兄弟たちが滅ぼされたときにも彼を生き長らえさせてくださった神をあがめた。荒野の放浪中の困難と危険と疫病のさなかにも、カナンにはいってからの戦いの年月の間にも、主は彼を生き長らえさせられた。そしていま、80歳を越えても彼の力は衰えていなかった。彼はすでに征服された土地を自分のために求めず、よりによって斥候たちが征服は不可能と考えた土地を求めた。彼は、イスラエルの信仰をたじろがせた力強い巨人たちから、神の助けによって奪取しようというのである。カレブの願いの動機は、名誉欲や権勢欲ではなかった。この勇敢な老戦士は、神の栄えとなる模範を人々に示し、父祖たちが征服不可能と考えていた土地を征服するように部族を大いに激励しようと熱望していたのであった。 PP 265.3

カレブは、40年間心にきめていた嗣業を手に入れた。そして神が共にいて下さることに信頼して、「アナクの子3人を追い払った」(ヨシュア15:14)。自分と自分の一族のために土地を獲得してからも、彼の熱意は衰えなかった。彼は自分の嗣業に安住しないで、国のためと神の栄えのために、征服を拡大して行った。臆病者と反逆者は荒野で滅びた。しかし、正しい斥候たちはエスコルのぶどうを食べた。おのおのその信仰に従って与えられた。信じない者は、彼らの恐れていたことが実現するのを見た。神の約束にもかかわらず、彼らはカナンを継ぐことは不可能だと断言し、そしてその通りカナンを所有することができなかった。しかし、神に信頼した人々は、遭遇すべき困難を見ないで全能者の力を見、良い地に入った。昔の偉人たちが、「国々を征服し、……つるぎの刃をのがれ、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた」のは信仰によってであった(ヘブル11:33、34)。「わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である」(Ⅰヨハネ5:4)。 PP 265.4

土地の分配についてのもう1つの要求は、カレブの精神と全く異なった精神をあらわしていた。それ はヨセフの子らであるエフライムの部族とマナセの半部族から持ち出されたものであった。この部族は人数が多いことから、2倍の地域を要求した。彼らのために指定された土地は最も肥えた土地で、シャロンの肥沃な平野を含んでいた。しかし、谷間の主要な町の多くは、まだカナン人が占領していたので、この部族は彼らの領地を征服するほねおりと危険にしりごみし、すでに平定された地域を余分につけ加えてほしいと希望した。エフライムの部族はイスラエルの最も大きい部族の1つで、また、ヨシュア自身の属している部族であったので、彼らは当然特別な考慮をしてもらう資格があると考えた。「わたしは数の多い民となったのに、あなたはなぜ、わたしの嗣業として、ただ1つのくじ、1つの分だけを、くださったのですか」と彼らは言った(ヨシュア17:14)。しかしこの妥協することを知らない指導者に、厳格な公正を曲げさせることはできなかった。 PP 265.5

彼は答えて言った。「もしあなたが数の多い民ならば、林に上っていって、そこで、ペリジびとやレパイムびとの地を自分で切り開くがよい。エフライムの山地が、あなたがたには狭いのだから」(同17:15)。 PP 266.1

彼らの答えは不平の真因を暴露していた。彼らはカナン人を追い払う信仰と勇気に欠けていたのである。「山地はわたしどもに十分ではありません。かつまた平地におるカナンびとは、……みな鉄の戦車を持っています」と彼らは言った(同17:16)。 PP 266.2

イスラエルの神の力は民に対して保証されていたので、もし、エフライム人がカレブの勇気と信仰をもっていたら、どんな敵も彼らの前に立つことはできなかったであろう。困難と危険を避けようという彼らの明らかな願いに対して、ヨシュアはこう言って応じた。「あなたは数の多い民で、大きな力をもっています。……カナンびとは鉄の戦車があって、強くはあるが、あなたはそれを追い払うことができます」(同17:17、18)。こうして彼らの議論は自身たちに不利な結果をもたらした。彼らが主張するように、彼らは強大な民だから、兄弟たちと同じように、自分たちの道を十分に切り開いて行くことができたのである。神の助けによって、彼らは鉄の戦車を恐れるにはおよばなかったのである。 PP 266.3

それまで、ギルガルが国家の本部であり、幕屋の所在地であった。しかし、今、幕屋はその恒久的な所在地として選ばれた場所へ引っ越すことになった。それは、エフライムの土地にある小さな町シロであった。シロはカナンの地の中央に近く、どの部族にとっても都合のよい場所だった。国のこの部分は完全に平定されていたので、礼拝者たちは妨害される恐れがなかった。「そこでイスラエルの人々の全会衆は、……シロに集まり、そこに会見の幕屋を立てた」(同18:1)。幕屋がギルガルから引っ越したとき、まだ宿営していた部族はそれと一緒に移動して、シロの近くに営を張った。それから自分たちの嗣業の土地に散って行くまで、これらの部族はここにとどまっていた。 PP 266.4

契約の箱は、シロに300年間とどまっていたが、ついにエリの一家の罪のためにペリシテ人の手に落ち、シロも滅ぼされた。契約の箱はふたたびここの幕屋にもどることなく、聖所の奉仕はついにエルサレムの神殿に移され、シロは忘れ去られた。そこにはかつて幕屋があった場所の跡があるだけである。ずっと後に、その運命はエルサレムに対する警告に用いられた。主は預言者エレミヤによってこう宣告された。「わたしが初めにわたしの名を置いた場所シロへ行き、わが民イスラエルの悪のために、わたしがその場所に対して行ったことを見よ。……それゆえわたしはシロに対して行ったように、わたしの名をもって、となえられるこの家にも行う。すなわちあなたがたが頼みとする所、わたしがあなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの所に行う」(エレミヤ7:12、14)。 PP 266.5

「こうして国の各地域を嗣業として分け与えることを終ったとき」、すなわち、全部の部族にそれぞれの嗣業が割り当てられたあとで、ヨシュアは自分の要求を出した(ヨシュア19:49)。カレブと同じに、ヨシユアに対しては嗣業について特別な約束が与えられていた。しかし、彼は広い領地を求めないで、1つの町だけを要求した。「イスラエルの人々は……彼が 求めた町を与えたが、……彼はその町を建てなおして、そこに住んだ」(同19:49、50)。この町につけられた名は、テムナテ・セラすなわち、「残った部分」という意味の名であった。それは、征服の戦利品をまっさきに自分のものとしないで、民の一番いやしい者にいたるまでの分配がすむまで自分の要求を延ばした征服者のりっぱな品性と無我の精神を永久にあかしするのであった。 PP 266.6

レビ人に割り当てられた町のうちの6つ——ヨルダン川の両側にそれぞれ3つずつ——が、のがれの町として指定され、人を殺した者が逃げ込んで身の安全を保つことができた。これらの町を指定することについてはモーセから命じられていた。「あなたがたのために町を選んで、のがれの町とし、あやまって人を殺した者を、そこにのがれさせなければならない。これは……のがれる町であって、人を殺した者が会衆の前に立って、さばきを受けないうちに、殺されることのないためである」(民数記35:11、12)。 PP 267.1

この情け深い措置は、昔、個人的に報復する慣習があったために必要となったのである。すなわち、殺人者の処罰は、遺族の一番近親の者か跡継ぎの者にまかされていたのである。有罪が明瞭な場合には、役人の裁判を待つ必要はなかった。報復者は犯人をどこでも追跡して、見つけ次第殺してよかった。主は当時この慣習を廃止することを適当と思われなかった。そこで、故意でなく、人を殺した者の安全を保証する道を講じられたのであった。 PP 267.2

のがれの町は、国のどこからでも半日で歩いて行けるところに配置されていた。町へ通じる道はいつも手入れが行きとどいていて、道のいたるところにはっきりと太い字で「のがれ」という言葉が書かれている道しるべが立てられていて、逃げて行く人が一刻も遅れることがないようになっていた。ヘブル人でも、他国人でも、滞在者でも、だれでもこの町に逃げることができた。しかし無罪の人が早まって殺されることがなかった一方、有罪の人は処罰をまぬかれることができなかった。のがれてきた人の事件は当局者によって公平な審判を受け、故意の殺人でなかったことが判明したときだけ、のがれの町の中で保護されるのであった。有罪の者は報復する人に引き渡された。また、保護を受ける資格のある人は、定められたのがれの町の内部にとどまっているという条件つきで保護された。もし定められた境界外に出て、血の報復をする人にみつかったら、彼は主が備えられた方法を無視した罰にその生命を奪われるのであった。しかし、大祭司が死ねば、のがれの町にかくまわれていた人々は自由にその嗣業にもどることができた。 PP 267.3

殺人の裁判では、被告は、たとえ外部の証拠がどんなに不利であろうと、1人の証人の証言で刑を宣告されることはなかった。主は、「人を殺した者、すなわち故殺人はすべて証人の証言にしたがって殺されなければならない。しかし、だれもただひとりの証言によって殺されることはない」と命じられた(同35:30)。イスラエルに対するこの命令をモーセに与えられたのは、キリストであった。大教師イエスは、この地上に弟子たちと共に、人としておられたとき、まちがっている者をとり扱う方法を教えるにあたって、1人の人の証言で罪の有無を定めてはならないという教えをくりかえされた。1人の見解や意見によって、論議の的となっている問題を解決してはならない。これらのことにおいてはどんなときでも、2人以上の者が一緒になって、共に責任を負うべきである。「それは、2人または3人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである」(マタイ18:16)。 PP 267.4

殺人の裁判を受けた者が有罪ときまれば、どんな身のしろ金によっても贖うことはできなかった。主は、こう命じておられた。「人の血を流すものは、人に血を流される」(創世記9:6)。「あなたがたは死に当る罪を犯した故殺人の命のあがないしろを取ってはならない。彼は必ず殺されなければならない」(民数記35:31)。「その者をわたしの祭壇からでも、捕らえて行って殺さなければならない」(出エジプト21:14)。「地の上に流された血は、それを流した者の血によらなければあがなうことができない」(民数記35:33)。国民の安全と純潔のために、殺人の 罪はきびしく罰せられることが要求された。人間の命は、神だけがお与えになることができるのであって、それは神聖に守られねばならない。 PP 267.5

古代の神の民に定められたのがれの町は、キリストのうちに備えられているのがれを象徴している。この世ののがれの町をお定めになった情け深い救い主が、ご自身の血を流すことによって、神の律法を犯した者に確実なのがれの道をお備えになっているのであって、彼らはそこに逃げ込んで第二の死から守られることができるのである。ゆるしを求めて彼のもとに行く魂を、どんな権力も彼の手から引き離すことはできないのである。「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない」「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである」「それは、……前におかれている望みを捕らえようとして世をのがれてきたわたしたちが、力強い励ましを受けるためである」(ローマ8:1、34、ヘブル6:18)。 PP 268.1

のがれの町に逃げ込む者はぐずぐずしていることができなかった。家族も職業も放棄した。愛する人々に別れを告げるひまさえない。彼は死ぬか生きるかの境目にいるのであって、ほかのことは全部、安全な場所にたどりつくという1つの目的のために、犠牲にしなくてはならない。疲れも忘れ、困難も気にかけていられない。のがれる人は、町の壁の中にはいるまでは一刻も歩みをゆるめようとしなかった。 PP 268.2

罪人は、キリストのうちにかくれ場を見いだすまでは永遠の死にさらされている。のがれる者は、ぶらついたり、軽率であったりすれば生きる唯一の機会が失われるかもしれなかった。同じように、ぐずぐずしたり無頓着であったりすることによって魂は滅びるかもしれないのである。大敵サタンは、神の聖なる律法を破る人のあとを追っているので、自分の危険に気づかないで、永遠ののがれの町の中に保護を熱心に求めようとしない人は、この破壊者の手に陥るであろう。 PP 268.3

囚人が、のがれの町の外へ出たならば、いつでも血の報復者に引き渡された。こうして人々は、彼らの安全を守るために限りない知恵によって定められた方法を守らねばならないことを教えられた。そのように、罪人が、罪のゆるしを求めてキリストを信じるだけでは十分でない。彼は、信じ、従うことによって、キリストの内にいなければならないのであろ。「もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある」(ヘブル10:26、27)。 PP 268.4

イスラエルの2つの部族、ガドとルベンは、マナセの半部族と共に、ヨルダンを渡る前に嗣業をもらっていた。牧畜を仕事とする民にとって、羊の群れや家畜にとって、見渡すかぎり牧草地となっているギレアデとバシャンの広大な高原と深い森は、カナンそのものにも見いだせなかった魅力であった。2部族と半部族はここに定住を希望した。そして、彼らに割り当てられた軍勢で、ヨルダン川を渡る兄弟たちと共に行かせ、彼らがその嗣業を手に入れるまで共に戦わせることを約束していた。この義務は忠実に果たされた。10部族がカナンに入ったとき、「ルベンの子孫とガドの子孫、およびマナセの部族の半ばは、……戦いのために武装し、……主の前に渡って、エリコの平野に着いた」(ヨシュア4:12、13)。何年もの間、彼らは兄弟たちの側に立って勇敢に戦ってきた。今、彼らの嗣業の地に入る時が来た。彼らは兄弟たちと共に戦い、戦利品も共にしてきた。彼らは、「多くの貨財と、おびただしい数の家畜と、金、銀、青銅、鉄、および多くの衣服を持って天幕に帰り」、それらを家族や羊群と共に残った人々に分け与えた(同22:8)。 PP 268.5

彼らはこれから主の聖所から遠く離れたところに住むのであった。ヨシュアは、彼らが孤立して放牧の生活を送る時に、彼らの境界付近に住んでいる異教の部族の慣習に陥る誘惑が強いことを知って、彼らのことを気づかいながら、その出発を見送った。 PP 268.6

ヨシュアやその他の指導者たちが、まだ不安な予 感に襲われていたとき、奇妙な知らせがとどいた。ヨルダン川のほとりで、イスラエルが奇跡的に川を渡った場所の近くに、2部族半の人々が、シロの燔祭の祭壇に似たような大きな祭壇を建てたというのであった。神の律法には、聖所以外に礼拝の場所を設けることは死刑をもって禁じられていた。もしその祭壇の目的がこのようなものであったら、そのままにしておけば、人々を真の信仰から離れさせることになるだろう。 PP 268.7

民の代表者たちはシロに集まり、激しい興奮と義憤のうちに、すぐに違反者たちと戦うことが提案された。しかし、慎重派の説得によって、まず代表団を送って2部族半の人々から彼らの行為についての説明を求めることにした。各部族から10人のつかさが選ばれた。そのかしらはピネハスで、彼はペオルの問題で特に熱心だった人である。 PP 269.1

2部族半の人々が、なんの説明もしないで、このように重大な疑惑を招く行為をしたことは、彼らの過失であった。代表者たちは、この兄弟たちがまちがっていることはもちろんのこととして、鋭い譴責をもって彼らに迫った。代表者たちは、彼らの行為は主に対する反逆であると言って責め、イスラエルがバアル・ペオルに加わったとき、どのように刑罰がくだったかを思い出すようにと告げた。全イスラエルを代表して、ピネハスは、ガドとルベンの子孫に、もし彼らがいけにえを捧げる祭壇のない土地に住みたくないのだったら、こちら側の兄弟たちの所有と特権をよろこんで分けるつもりだと述べた。 PP 269.2

これに答えて、2部族半の人々は、彼らの祭壇はいけにえを捧げるためのものではなくて、川によって分けられてはいるけれども、彼らもカナンの兄弟たちと同じ信仰であるという証拠にすぎないのだと説明した。将来彼らの子孫が、イスラエルと関係のない者として幕屋から除外されるのではないかと彼らは恐れたのであった。もしそういうことになったら、この祭壇は、シロの主の祭壇に型どって造られているので、これを建てた人々も生きた神の礼拝者であるという証拠になるというのであった。 PP 269.3

代表団は、この説明を非常な喜びをもって受け入れ、すぐにその知らせを、彼らを派遣した人々のもとへ持ち帰った。戦う気持ちは消え去り、人々は喜んで一致し、神をほめたたえた。 PP 269.4

ガドとルベンの子らは、今その祭壇の上に、それが建てられた目的を示す碑文を刻んだ。それには、「これは、われわれの間にあって、主が神にいますというあかしをするものである」と書かれた(同22:34)。こうして彼らは将来の誤解を防ぎ、誘惑のもとになりそうなものをとり除くことに努力した。 PP 269.5

最も価値のある動機に動かされている人々の間でさえ、ちょっとした誤解から重大な問題がなんとよく起こることであろう。そして、礼儀と寛容が実行されない時に、なんという重大で致命的になりかねない結果が起こり得ることであろう、10部族は、アカンの事件の時に、彼らが自分たちの間にあった罪を発見する注意力に欠けていたことを神から譴責されたことを思い出したのである。そこで彼らは、敏速かつ熱心に行動しようと決心した。しかし、先の過失を避けようとするあまりに、極端になり過ぎたのだった。事情の真相を礼儀をもってたずねようとしないで、彼らは譴責と非難をもって兄弟たちに迫った。ガドとルベンの男たちが、同じ精神でこれに応じたら、戦う結果になったであろう。罪をゆるやかにあしらうことは避けねばならないが、一方、またきびしすぎる批判と、根拠のない疑いを避けることもたいせつである。 PP 269.6

自分自身の行為についてのちょっとした非難にも敏感であるにかかわらず、まちがっていると思われる人をあつかうのにはきびしすぎる人が多い。まちがった立場から、非難や譴責によって救われた者はない。むしろそのために正しい道からいっそう遠く離れ、良心の声にさからって心をかたくなにするようになる人が多い。親切な精神、礼儀正しい、寛容な態度は、あやまっている人々を救い、多くの罪をおおうのである。 PP 269.7

ルベン人とその仲間たちが示した知恵は、まねる価値がある。彼らは真の宗教運動を推進させようとまじめに努力していたのに、あやまって判断され、譴 責されたが、怒りを表さなかった。彼らは自己弁護を試みる前に礼儀をもって忍耐強く兄弟たちの非難に耳を傾け、それから自分たちの動機を説明し、悪意がないことを示した。こうして、重大な結果をはらんだ問題が友好的に解決された。 PP 269.8

まちがって非難されても、正しい人は冷静で思慮深い態度をとることができる。神は、人から誤解され、まちがったことを言われていることを全部ご存じであるから、問題を神のみ手にまかせて安心していることができる。神は、アカンの罪をさぐり出されたのと同じように確実に、ご自分に信頼する人の主張を弁護して下さる。キリストの精神に動かされている人は、寛容で情け深い愛の心をもつのである。 PP 270.1

民の間に一致と兄弟の愛があることが神のみこころである。十字架におつきになる前のキリストの祈りは、ご自分が父と1つであられるように弟子たちが1つであるように、また、神がキリストをつかわされたことを世が信じるようにということであった。この最も感動的で驚くべき祈りは、各時代を通じて、われわれの耳にまで聞こえてくるのである。キリストのみことばは、「わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします」であった(ヨハネ17:20)。 PP 270.2

真理の原則は1つでも犠牲にすべきではないが、このような一致の状態に達することかわれわれのふだんの目標でなければならない。これこそわれわれが弟子であることの証拠である。イエスは言われた。「互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」(同13:35)。使徒ペテロは、教会にこう勧めている。「あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いずかえって、祝福をもって報いなさい1あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである」(Ⅰペテロ3:8、9)。 PP 270.3