人類のあけぼの

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第47章 ギベオン人との同盟

本章は、ヨシュア記9、10章に基づく PP 261.1

イスラエル人は、シケムからギルガルの陣営へもどった。するとまもなく、ここに見知らぬ代表団がやってきて、協定を結びたいと希望した。使節団は、遠い国からやってきたと言い、彼らのようすからすればそれが真実らしく思えた。彼らの衣服は古びて破れ、くつはつぎ当てがしてあり、食料品はかびがはえ、酒を入れる皮袋は破れたのを旅の途中で急いでつくろったかのようにしばりつけてあった。 PP 261.2

パレスチナの国境の向こうの遠国で、彼らの同胞は、神が、神の民のために行われた不思議なわざを聞き、イスラエルと同盟を結ぶことを望んで、彼らを派遣したのだと、彼らは言うのであった。ヘブル人はカナンの偶像礼拝者たちと同盟を結ばないようにということを特別に警告されていたので、この来訪者たちの言っていることが真実かどうかについて一抹の疑いが指導者たちの心に浮かんだ。「あなたがたはわれわれのうちに住んでいるのかも知れない」と彼らは言った。これに対して使節団は、「われわれはあなたのしもべです」と答えただけだった。しかしヨシュアが、「あなたがたはだれですか。どこからきたのですか」と単刀直入につっこんで聞くと、彼らは前と同じ答えをくりかえして、それが真実である証拠として、こうつけ加えた。「ここにあるこのパンは、あなたがたの所に来るため、われわれが出立する日に、おのおの家から、まだあたたかなのを旅の食料として準備したのですが、今はもうかわいて砕けています。またぶどう酒を満たしたこれらの皮袋も、新しかったのですが、破れました。われわれのこの着物も、くつも、旅路がひじょうに長かったので、古びてしまいました」(ヨシュア記9:7、8、12、13)。 PP 261.3

この陳情は成功した。ヘブル人は、「主のさしずを求めようとはしなかった。そしてヨシュアは彼らと和を講じ、契約を結んで、彼らを生かしておいた。会衆の長たちは彼らに誓いを立てた」(同9:14、15)。こうして契約が結ばれた。それから3日のちに事実が暴露した。「彼らはその人々が近くの人々で、自分たちのうちに住んでいるということを聞いた」(同9:16)。ギベオン人は、ヘブル人に抵抗することが不可能であることを知って、生き残るために策略を用いたのであった。 PP 261.4

自分たちが欺かれたことを知ったとき、イスラエル人の憤激は大きかった。その怒りは、彼らが3日間の旅ののち、カナンの地の中央に近いギベオン人の町に到着したとき、いっそう高まった。「会衆はみな、長たちにむかってつぶやいた」。しかし長たちは、欺瞞によって結ばれた契約ではあっても、「イスラエルの神、主をさして彼らに誓いを立てていたので」その契約を破ろうとしなかった。「イスラエルの人々は彼らを殺さなかった」(同9:18)。ギベオン人は、偶像礼拝をやめて主の礼拝を受け入れることを誓ったのであった。だから彼らを生かしておくことは、偶像礼拝のカナン人を滅ぼすようにとの神のご命令にそむくことではなかった。だからヘブル人が誓ったことは罪を犯すことにはならなかった。その誓いは欺瞞によるものではあったが、無視してはならなかった。義務を誓ったからには、それが、悪い行為を義務づけるものでない以上、尊重すべきである。利益、報復、自己中心などを考慮に入れて、誓いを破るようなことがあってはならない。「偽りを言うくちびるは主に憎まれ」る(箴言12:22)。「主の山に登るべき者はだれか。その聖所に立つべき者はだれか」。それは、「誓った事は自分の損害になっても変えること」のない者である(詩篇24:3、15:4)。 PP 261.5

ギベオン人は、生かしておくことになったが、聖所のいやしい下働きをする奴隷となった。「ヨシュアは、その日、彼らを、会衆のため、また主の祭壇のため、主が選ばれる場所で、たきぎを切り、水をくむ者とした」(ヨシュア9:27)。彼らは、この条件を喜んで受け入れ、自分たちがまちがっていたことに気づいて、生命を贖うためならどんな条件にも喜んで従った。「わ れわれは、今、あなたの手のうちにあります。われわれにあなたがして良いと思い、正しいと思うことをしてください」と彼らはヨシュアに言った(同9:25)。彼らの子孫は何百年もの間、聖所の奉仕に従事した。 PP 261.6

ギベオン人の領地は4つの町から成っていた。民は王の統治下にはなくて、長老たちに支配されていた。中でも番重要な町、ギベオンは、「大きな町であって、王の都にもひとしいものであり、……そのうちの人々が、すべて強かった」(同10:2)。このような町の住民が、命を救うために屈辱的な手段に訴えたことは、イスラエル人がどれほどカナンの住民に恐れられていたかということの大きな証拠である。 PP 262.1

しかし、ギベオン人が正直にイスラエル人と交渉したのだったら、事はもっとうまくいったであろう。彼らは主に服従したことによって生かされたが、彼らの欺瞞は不名誉と苦役をもたらしたにすぎなかった。神は、異教を捨ててイスラエルに加わりたい者は、だれでも契約の祝福を受けられるように道を備えておられた。「あなたがたと共にいる寄留の他国人」(レビ19:34)の条件に彼らは含まれ、この種の人たちは、ほとんど例外なしに、イスラエルと同じ恩典と特権を受けられるのであった。主の命令は次のようなものであった。 PP 262.2

「もし他国人があなたがたの国に寄留して共にいるならば、これをしえたげてはならない。あなたがたと共にいる寄留の他国人を、あなたがたと同じ国に生れた者のようにし、あなた自身のようにこれを愛さなければならない」(レビ19:33、34)。過越の祭りといけにえの捧げ物については、こう命令されていた。「会衆たる者は、あなたがたも、あなたがたのうちに寄留している他国人も、同一の定めに従わなければならない。……他国の人も、主の前には、あなたがたと等しくなければならない」(民数記15:15)。 PP 262.3

もしギベオン人が欺瞞的な手段に訴えなかったら、このような立場を与えられたのであった。「王の都にもひとしい」町の住民で、「そのうちの人々が、すべて強かった」といわれていた人々にとって、子孫末代まで、たきぎを切ったり、水をくんだりする者となることは、けっしてなまやさしい屈辱ではなかった。彼らは、欺瞞の目的で貧しい着物を身につけていたが、それは彼らがいつまでも人に使われる身分であるしるしとして、彼らにつけられた。こうして、何代にもわたって、彼らの奴隷状態は、神が虚偽を憎まれる証拠となるのであった。 PP 262.4

ギベオン人がイスラエルに屈服したことから、カナンの王たちはろうばいした。侵入者と和を講じた者に対してただちに報復手段がとられた。エルサレムの王アドニゼデクをかしらにして、5人のカナンの王たちがギベオンに対抗して同盟を結んだ。彼らの行動は早かった。ギベオン人は防衛の備えができていなかったので、彼らはギルガルのヨシュアに使者をつかわして言った。「あなたの手を引かないで、しもべどもを助けてください。早く、われわれの所に上ってきて、われわれを救い、助けてください、山地に住むアモリびとの王たちがみな集まって、われわれを攻めるからです」(ヨシュア10:6)。危険はギベオンの住民ばかりでなく、イスラエルにも迫った。この町は、中央および南部パレスチナへの交通路にまたがっていて、国を征服するにはここを確保しなければならなかった。 PP 262.5

ヨシュアは、ただちにギベオンの救援に向かう手はずをととのえた。包囲されたこの町の住民は、自分たちが行った欺瞞行為のために、ヨシュアが彼らの訴えを拒絶するのではないかと恐れた。しかし、ギベオン人はイスラエルの支配に服し、神への礼拝を受け入れたのであるから、彼らを保護する義務があると、ヨシュアは感じた。彼は、こんどは、神の助言なしに行動しようとはしなかった。主はその企てを激励された。次のような神の言葉が与えられた。 PP 262.6

「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手にわたしたからである。彼らのうちには、あなたに当ることのできるものは、ひとりもないであろう」「そこでヨシュアはすべてのいくさびとと、すべての大勇士を率いて、ギルガルから上って行った」(同10:8、7)。 PP 262.7

徹夜の強行軍で、ヨシュアの軍隊は朝方にはギベ オンの前方に到着した。同盟軍の毛たちは、ヨシュアが彼らを襲撃した時には、やっと軍勢を町の周囲に集結したばかりのところであった。結果は同盟軍の大敗北に終わった。おびただしい軍勢はヨシュアの前から敗走して、山道からベテホロンへ逃げた。山の頂上まで登りきると彼らは向こうがわの急な下り坂を一気にかけおりた。すると激しい雹の嵐が彼らを見舞った。「主は天から彼らの上に大石を降らし……イスラエルの人々がつるぎをもって殺したものよりも、雹に打たれて死んだもののほうが多かった」(同10:11)。 PP 262.8

アモリ人が、山の要塞に逃げ込もうとして、無謀な戦いを続けている間、ヨシュアは、山の頂上から見おろしていたが、戦いを完結するには日が短いことに気がついた。もし徹底的に打ち破らなければ、敵はふたたび勢いをもりかえして、戦いをくりかえすだろう。「ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、 PP 263.1

『日よ、ギベオンの上にとどまれ、 PP 263.2

月よ、アヤロンの谷にやすらえ』。 PP 263.3

民がその敵を撃ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。……日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ1日であった」(同10:12、13)。 PP 263.4

夜になる前に、ヨシュアに対する神の約束は果たされた。敵の全軍は彼の手に渡された。その日のできごとはいつまでもイスラエルの記憶に残ることになった。「これより先にも、あとにも、主がこのように人の言葉を聞きいれられた日は1日もなかった。主がイスラエルのために戦われたからである」(同10:14)。「飛び行くあなたの矢の光のために、電光のようにきらめく、あなたのやりのために、日も月もそのすみかに立ち止まった。あなたは憤って地を行きめぐり、怒って諸国民を踏みつけられた。あなたはあなたの民を救うため、……出て行かれた」(ババクク3:11~13)。 PP 263.5

神の霊が、ヨシュアを動かして、イスラエルの神の力の証拠がふたたび与えられるようにと彼に祈らせたのであった。だから、この願いは偉大な指導者ヨシュアの僣越を示したものではなかった。ヨシュアは、神が必ずイスラエルの敵を打ち破られるという約束を受けていたのであったが、あたかも成功はイスラエルの軍勢にのみかかっているかのように熱心に努力した。彼は人間の力のかぎりを尽くしてから、信仰をもって神の助けを求めた。成功の秘訣は神の力と人間の努力の結合である。最高の結果を達成する者は、全能者の腕に絶対の信頼をおく人である。「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」と命じた人は、ギルガルの陣営で、何時間も祈りのうちに地にひれ伏していた人である。祈りの人は力の人である。 PP 263.6

この偉大な奇跡は、被造物が創造主の支配下にあることの証拠である。サタンは、物質界における神の力を人の目から隠し、神のたゆまぬ活動を見せまいとする。この奇跡によって、自然の神よりも自然をあがめる者は譴責されるのである。 PP 263.7

神はみこころのままに、「火よ、あられよ、雪よ、霜よ、み言葉を行うあらしよ」と、自然の勢力を呼び集めて敵の力を打破される(詩篇148:8)。異教のアモリ人が神の目的にさからったとき、神はみ手をくだして、イスラエルの敵の上に「天から……大石を降ら」された。地上歴史の最後の場面で、「主は武器の倉を開いてその怒りの武器を取り出された」ときに、もっと大きな戦いが、起こるといわれている(エレミヤ50:25)。「あなたは雪の倉にはいったことがあるか。ひょうの倉を見たことがあるか。これらは悩みの時のため、いくさと戦いの日のため、わたしがたくわえて置いたものだ」と、神はたずねておられる(ヨブ38:22、23)。 PP 263.8

黙示録の記者は、「大きな声が聖所の中から……『事はすでに成った』」と宣告するときに起こる破滅について書いている。彼は、「Ⅰタラントの重さほどの大きな雹が、天から人々の上に降ってきた」と言っている(黙示録16:17、21)。 PP 263.9