人類のあけぼの

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第40章 欲に目がくらんだバラム

本章は、民数記22~24章に基づく PP 227.6

イスラエル人は、バシャンを征服したあとで、ヨルダン川が死海に注ぎ込む少し上流の地域に陣を張り、カナンに侵入する準備をすぐ整えた。そこは、エリコの平原の反対がわに当たっていた。彼らは、モアブ の国境にはいっていたので、モアブ人は、侵略者の接近によって恐怖に満たされていた。 PP 227.7

モアブの人々は、イスラエル人から何の危害も受けてはいなかった。しかし、周囲の国々に起こったすべてのことを見て、恐ろしい予感をいだいていた。彼らは、アモリ人から敗走したのであったが、そのアモリ人が、ヘブル人に征服され、アモリ人がモアブから奪った領地は、今イスラエル人の所有になっていた。バシャンの軍勢は、雲の柱の中に秘められた不思議な力の前に降伏し、巨大なとりでは、ヘブル人に占領された。モアブ人は、彼らを攻めてはこなかった。どんな武器を用いても、イスラエル人のために働く超自然的力には、勝つ望みがなかった。しかし、モアブ人はパロのように、魔術の力を借りて、神の働きに立ち向かおうとした。彼らは、イスラエルをのろおうとした。 PP 228.1

モアブ人とミデアン人は、種族と宗教の絆によって堅く結ばれていた。モアブの王バラクは、同族のミデアン人の恐怖心をかき立て、「この群衆は牛が野の草をなめつくすように、われわれの周囲の物をみな、なめつくそうとしている」と伝え、イスラエルに敵対する彼の計画に協力させた(民数記22:4)。メソポタミヤの住人バラムは、超自然的能力の持ち主として知られ、その評判はモアブの地にまで聞こえていた。そこで、彼を呼んで助けてもらうことにした。彼に、イスラエルをのろい、魔法をかけてもらうために、「モアブの長老たちとミデアンの長老たち」がつかわされた(同22:7)。 PP 228.2

使者たちはすぐに長い旅に出発し、山を越え、砂漠を横切ってメソポタミヤに行った。彼らは、バラムに会って王の言葉を伝えた。「エジプトから出てきた民があり、地のおもてをおおっています。どうぞ今きてわたしのために彼らをのろってください。そうすればわたしは戦って、彼らを追い払うことができるかもしれません」(同22:11)。 PP 228.3

バラムは、かつては善人であって、神の預言者であったが、背教して欲に目がくらんでいた。それでいてもなお自分はいと高き者のしもべであると自称していた。彼は、神がイスラエルのためになされたみわざについて無知ではなかったから、使者が用向きを伝えたとき、自分としては、バラクの報酬を拒み、使者を去らせるのが義務であることをよくわきまえていた。それにもかかわらず、彼はあえて誘惑に手を出し、主に勧告を求めるまでは、はっきりした解答を与えるわけにはいかないと言って、その夜は、使いの者たちを泊まらせた。バラムは自分ののろいがイスラエルに災いをもたらし得ないことを知っていた。神が、彼らについておられ、彼らが神に誠実であるかぎり、地の上、また、黄泉のどんな敵対力も勝つことはできなかった。しかし、「あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれる」と使者に言われて、彼はうぬぼれた(同22:6)。高価な贈り物の贈与、また、高い地位の約束などによって、彼は欲を起こした。彼は、贈られた宝を欲ばって受け取った。そして、口では神のみ旨に厳格に従うと言いながら、バラクの願いに応じようとした。 PP 228.4

夜、神の使いがバラムを訪れ、こう伝えた。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。またその民をのろってはならない。彼らは祝福された者だからである」(同22:12)。 PP 228.5

朝になってバラムは、不本意ながら使いの者たちを帰した。しかし、彼は主が言われたことは彼らに話さなかった。利得と名誉の夢が、もろくも破れてしまったので、彼は怒って気むずかしく叫んだ。「あなたがたは国にお帰りなさい。主はわたしがあなたがたと一緒に行くことを、お許しになりません」(同22:13)。 PP 228.6

バラムは「不義の実を愛し」た(Ⅱペテロ2:15)。神が、偶像であると言明されたむさぼりの罪によって、彼は日和見主義者となってしまった。この1つの過失によって、サタンは、彼を完全に支配するようになった。彼を破滅に陥れたのは、このむさぼりであった。誘惑者は、人々を神に仕えさせないようにしようとして、常にこの世の利得と名誉を提供する。あまり良心的すぎては繁栄しないとサタンは人々に言う。こうして、多くの者は、厳格な誠実の道から離れるように誘われるのである。悪の1歩は、次の1歩を たやすくする。彼らは、ますます借越になる。彼らはひとたび貪欲と権力欲に支配されると、どんな恐ろしいことでも、あえてするようになる。多くの者は、自分はこの世の利得のために一時的に厳格な誠実の道を離れてもかまわないと思い、そして、目的が達せられたならば、いつでもそれをやめられると考えている。そのような人はサタンのわなに陥り、それから逃げることができないのである。 PP 228.7

預言者が来ることを拒んだことを、使いの者たちがバラクに報告したとき、彼らは、神がそれを禁じられたとは言わなかった。バラムは、もっと多くの報酬を得たいために来ないのだと簡単に考えた王は、最初の者たちよりもっと身分の高いつかさたちを多く送って、さらに高い栄誉を約束し、バラムが命じることは何でも承認する権威を彼らに与えた。バラクは、預言者に懇願して言った。「どんな妨げをも顧みず、どうぞわたしのところへおいでください。わたしはあなたを大いに優遇します。そしてあなたがわたしに言われる事はなんでもいたします。どうぞきてわたしのためにこの民をのろってください」(民数記22:16、17)。 PP 229.1

バラムは、2度試みられた。彼は、使者の懇請に答えて、自分が非常に良心的で誠実であって、金銀がどんなに積まれても、神のみ旨に逆らって出かけることはできないことを強調した。しかし、彼は、王の求めに応じたいと願っていた。神のみ旨が、すでにはっきりと知らされていたにもかかわらず、彼は、使者たちに、しばらくとどまるように勧め、もう1度神に尋ねてみようと言った。彼は永遠の神を、あたかも人間のように説得できると思った。 PP 229.2

夜、主はバラムに現れて言われた。「この人々はあなたを招きにきたのだから、立ってこの人々と一緒に行きなさい。ただしわたしが告げることだけを行わなければならない」(同22:20)。バラムはすでに心に決めていたので、主は、ここまでバラムが自分の思い通りにすることを許されたのである。バラムは、神のみ旨を行うことを求めず、かえって自分の道を選び、主の承認を得ようとつとめたのである。 PP 229.3

今日も、同様のことをする者が数多くいる。彼らは、自分たちの傾向と一致しているならば、どんな義務も困難なく理解する。それは、聖書が明らかにし、環境と理性も共にそれをはっきり示しているのである。しかしこうした証拠が彼らの欲望と傾向に反するものであるため、彼らは、しばしば、それをないがしろにして、神のみ前に出て、自分の義務を知ろうとする。彼らは、一見、非常に良心的にふるまい、光を求めて長い祈りを捧げる。しかし、神を軽んじることはできない。神は、そのような人々が、欲望のままに行って、その結果、苦しむことをお許しになることがよくある。「しかしわが民はわたしの声に聞き従わず、……それゆえ、わたしは彼らをそのかたくなな心にまかせ、その思いのままに行くにまかせた」(詩篇81:11、12)。義務をはっきり示されたとき、それを実行しなくてもよいという許しを受けるために、神に祈ろうなどと思ってはならない。かえって謙虚なへりくだった心をもって、その要求を履行するために、神の力と知恵を求めるべきである。 PP 229.4

モアブ人は堕落した偶像教徒であった。しかし、彼らが受けた光からすると、彼らの罪はバラムの罪ほど天の目に大きくはなかった。バラムは神の預言者であると言っていたのであるから、彼が語るすべてのことは、神の権威によって語られたものと受けとるべきであった。それゆえ、彼は自分かってなことを話すことを許されていなかった。彼は、神が彼にお与えになる使命を伝えねばならなかった。「わたしが告げることだけを行わなければならない」というのが神の命令であった。 PP 229.5

バラムは、もしモアブの使者たちが朝のうちに彼を迎えに来るならば、彼らといっしょに行ってもよいという許可をうけた。しかし、彼らは、彼が遅いのに困り果て、またもや断わられるのではないかと思って、彼に相談せずに家路についてしまった。こうなっては、もう、バラクの求めに応じなければならない理由は、すべてなくなってしまった。しかし、バラムは報酬を得ようと決心した。彼はいつも乗っている動物を引き出して出かけた。彼は今にも神の許可がとり去られはしないかと恐れた。彼は、欲した報酬を何かに 妨げられて取りそこなうまいとあせりながらけんめいに道を急いだ。 PP 229.6

しかし、「主の使は彼を妨げようとして、道に立ちふさがっていた」(民数記22:22)。獣は、人には気づかない神の使いを見て、道を横にそれて畑に入った。バラムは獣を激しくむちで打って元の道に引きもどした。しかし、石垣にはさまれた狭い場所で、天使がもう1度現れると、獣はその恐ろしい姿を避けようとして、主人の足を石垣に押しつけた。バラムには天の介入が見えなかった。また、神が彼の道をはばんでおられることを知らなかった。バラムは激怒し、ろばを情け容赦なく打ち、前進させようとした。 PP 230.1

もう1度、「右にも左にも、曲る道がな」い「狭い所に」前と同じように、恐ろしい姿をした天使が現れた(同22:26)。あわれな獣は、すっかりおびえて立ち止まり、バラムを乗せたまま地面にかがんでしまった。バラムは怒り狂って、つえで、これまで以上にひどく獣を打った。このとき、神は獣の口を開かれた。「ものを言わないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の狂気じみたふるまいをはばんだのである」(Ⅱペテロ2:16)。「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは3度もわたしを打ったのです」(民数記22:28)。 PP 230.2

バラムは、行く手を妨げられたのを怒って、言葉のわかる者に語るように獣に答えた。「お前がわたしを侮ったからだ。わたしの手につるぎがあれば、いま、お前を殺してしまうのだが」(同22:29)。この自称魔術師は、自分が乗っている動物さえ殺す力がないのに、1つの民族全体をのろって、彼らの力を麻痺させようとして、道を進んでいたのである。 PP 230.3

このとき、バラムの目が開かれた。彼は、抜き身の刀を持って彼を殺そうとかまえている神の使いを見た。彼は恐れ、「頭を垂れてひれ伏した」。天使は彼に言った。「なぜあなたは3度もろばを打ったのか。あなたが誤った道を行くので、わたしはあなたを妨げようとして出てきたのだ。ろばはわたしを見て3度も身を巡らしてわたしを避けた。もし、ろばが身を巡らしてわたしを避けなかったなら、わたしはきっと今あなたを殺して、ろばを生かしておいたであろう」(同22:31~33)。 PP 230.4

バラムは、彼が残酷に扱ったあわれな動物に命を守ってもらったのであった。主の預言者であることを公言し、目が開かれて「全能者の幻を」見たと主張した者が、貪欲と野心のために、彼のろばにはよく見えた神の使いを見ることができなかったのである(同24:4)。「この世の神が不信の者たちの思いをくらませて」いる(Ⅱコリント4:4)。いかに多くの者がこのように盲目であることか。彼らは、禁じられた道を進み、神の律法を破りながら、神と天使が彼らに敵対していることを見分けることができないのである。バラムと同じように、彼らは、自分が破滅するのをとどめる者に怒りを発するのである。 PP 230.5

バラムはろばの扱いによって、彼がどんな心の状態にあったかを示した。「正しい人はその家畜の命を顧みる、悪しき者は残忍をもって、あわれみとする」(箴言12:10)。動物を虐待したり、怠慢によって彼らに苦痛を与えたりすることがどんなに罪深いかを認める者は少ない。人間を創造されたお方は、下等な動物をもお造りになったのである、「そのあわれみはすべてのみわざの上にあります」(詩篇145:9)。動物は人間に仕えるために造られた。しかし、人間は無情な取り扱いや残酷な使役によって彼らに苦痛を与える権利はもっていない。「被造物全体が、……共にうめき共に産みの苦しみを続けている」原因は、人間の罪である(ローマ8:22)。そのために人類だけでなく、動物もまた、苦しんで死ぬようになった。であるから、神が造られたものの上に罪がもたらした苦痛の重荷を増すかわりに、軽くしてやるように努めることが人間としての務めである。 PP 230.6

動物が自分の権威の下にいるからと言って、彼らを虐待する者は卑怯者であり暴君である。隣人であれ、動物であれ、それらに苦痛を与える性質は悪魔的である。あわれな物言わぬ動物たちは、話すことができないので、多くの者は自分たちの残酷な行為が知られるとは思っていない。しかし、もしこれらの人の目が、バラムと同じように開かれたならば、彼 らは神の使いが天の法廷で証人として立ち、彼らに有罪の証言をしているのを見るであろう。記録は天にのぼる。そして、神が造られたものを虐待する者にさばきが宣告される日が来るのである。 PP 230.7

神の使いを見たとき、バラムは恐れて叫んだ、「わたしは罪を犯しました。あなたがわたしをとどめようとして、道に立ちふさがっておられるのを、わたしは知りませんでした。それで今、もし、お気に召さないのであれば、わたしは帰りましょう」(民数記22:34)。主は彼が道を進んで行くことを許された。しかし、彼の言葉は、神の力に支配されなければならないことを、彼に理解させられた。神は、ヘブル人が神の保護の下にある証拠をモアブ人に示そうとされた。そして、このことは、神の許しがなければ、バラムは無力で、一言もイスラエルをのろうことができないことを彼らに明示して、効果的に行われたのである。 PP 231.1

モアブの王は、バラムが来ているという知らせを聞いて、大勢の家来を従えて、彼を国境まで出迎えた。多額の報賞が与えられるのに、どうして早く来なかったのかと王が驚いてバラムに言うと、預言者は答えた。「ごらんなさい。わたしはあなたのところにきています。しかし、今、何事かをみずから言うことができましょうか。わたしはただ神がわたしの口に授けられることを述べなければなりません」(同22:38)。バラムは、この制限を非常に残念に思っていた。彼は主が彼を支配しておられるので、自分の目的が達成されないのではないかと恐れた。 PP 231.2

王は国家の高官たちと共に威儀をととのえ、バラムを「バアルのたかきところ」へ案内していき、そこからヘブルの軍勢をながめさせた(同22:41・文語訳)。高い所に立ち、神が選ばれた民の陣営を見おろす預言者をながめてみよう。イスラエル人は、自分たちのすぐ近くで起こっていることを何も知らないでいる。日夜神の守りが自分たちをおおっていることを彼らは少しも知らない。神の民の目のなんと鈍いことであろう。いつの時代でも、彼らは、神の大いなる愛と憐れみを理解するのがなんとおそいことであろり。もし彼らが、彼らのために絶えず働く神の驚くべき力をはっきり知ることができたならば、彼らの心は、神の愛に対する感謝で満たされ、その威厳と力に対する畏敬の念に満たされないであろうか。 PP 231.3

バラムは、ヘブル人の犠牲の捧げ物についていくらか知っていた。そこで、彼は、彼らにまさる高価な捧げ物をすることによって神の祝福を得て、自分の罪深い計画を確実になしとげたいと思った。こうして偶像教徒のモアブ人の感情が彼の心を支配していった。彼の知恵は愚かとなり、彼の霊的視界は曇った。彼はサタンの力に屈服して目がくらんだ。 PP 231.4

バラムの指示によって7つの祭壇がたてられ、彼は祭壇ごとに犠牲を捧げた。それからバラクに、主がどう言われるかを知らせる約束をして、神に会うために「たかきところ」にしりぞいた。 PP 231.5

王は、モアブの貴族やっかさたちと共に、犠牲のかたわらに立っていた。そのまわりを群衆がとりまき、預言者の帰りをいまかいまかと待っていた。ついに彼が出てきた。人々は憎むべきイスラエル人のために働いたあの不思議な力を、永久に無能にする言葉を待ちかまえた。バラムは言った。 PP 231.6

「バラクはわたしをアラムから招き寄せ、 PP 231.7

モアブの王はわたしを東の山から招き寄せて言う、 PP 231.8

『きてわたしのためにヤコブをのろえ、 PP 231.9

きてイスラエルをのろえ』と。 PP 231.10

神ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。 PP 231.11

主ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。 PP 231.12

岩の頂からながめ、 PP 231.13

丘の上から見たが、 PP 231.14

これはひとり離れて住む民、 PP 231.15

もろもろの国民のうちに並ぶものはない。 PP 231.16

だれがヤコブの群衆を数え、 PP 231.17

イスラエルの無数の民を数え得よう。 PP 231.18

わたしは義人のように死に、 PP 231.19

わたしの終りは彼らの終りのようでありたい」 PP 231.20

(同23:7~10) PP 231.21

バラムは、イスラエルをのろうために来たことを告白 した。しかし、彼の言葉は彼の心の思いと正反対であった。彼の心はのろいで満ちていたが、祝福を宣言するようにしいられたのであった。 PP 231.22

バラムはイスラエルの陣営を見たとき、彼らの繁栄の証拠をながめて驚嘆した。彼は、彼らが組になってそこここに出没し、国を荒らしまわる、粗野で無秩序な群衆であって、周囲の国々からきらわれ、恐れられていると聞かされていた。しかし、彼らの外観は、それとは全く反対であった。彼は、彼らの陣営の驚くべき広さと完全な秩序を見た。すべてのものは、完全な規律と秩序のもとにあった。彼は、神がイスラエルにくだされた恵みと選民としての彼らの特殊な性質を示された。彼らは他の国々と同じ水準のものではなく、それらすべてをはるかに越えて高められたものであった。 PP 232.1

「これはひとり離れて住む民、もろもろの国民のうちに並ぶものはない」(同23:9)。これらの言葉が語られたとき、イスラエル人はまだ定住地をもたず、彼らの特性、習慣風習はバラムに知られていなかった。しかしイスラエルの後の歴史において、この預言はなんと正確に成就したことであろう。その捕囚のすべての年を通じ、また、国々に離散してからも、すべての時代にわたって彼らは異なった民として存在していた。同様に神の民——真のイスラエル——は、すべての国々に散らばっているけれども、地上においては国籍を天に持つ旅人にすぎない。 PP 232.2

バラムは国家としてのヘブル人の歴史を示されただけでなく、時の終わりに至るまでの神のまことのイスラエルの増加と繁栄を見た。彼は、いと高きものの特別な恵みが、神を愛し、おそれる者にとどまるのを見た。彼らが、死の陰の暗い谷に入るとき、神のみ腕が彼らを支えるのを彼は見た。さらに、彼は、彼らが光栄と誉れと不死の冠をいただいて墓から出てくるのを見た。彼はあがなわれた者が、新しくされた地の朽ちない栄光の中に喜んでいるのを見た。その光景を凝視しながら彼は叫んだ。「だれがヤコブの群衆を数え、イスラエルの無数の民を数え得よう」(同23:10)。すべての者の額に栄光の冠を見、すべての者の顔から輝き出る喜びを見、純粋な幸福に満ちた永遠の生命をながめたとき、彼の口から厳粛な祈りがほとばしった。「わたしは義人のように死に、わたしの終りは彼らの終りのようでありたい」(同23:10)。 PP 232.3

もし、バラムに神から与えられた光を受ける気持ちがあったならば、彼はここでその言葉どおりに実行したことであろう。彼はすぐにモアブ人とのすべての関係を断ち切ったであろう。もはや神の憐れみを僣越に求めることをせず、深い悔い改めによって神に立ち返ったことであろう。しかし、バラムは不義の報酬を愛した。そして、それを得ようと決心した。 PP 232.4

バラクは、のろいが草を枯らす害虫のように、イスラエルにかけられるものと心から期待していた。しかし、預言者の言葉に彼は怒って叫んだ。「あなたはわたしに何をするのですか。わたしは敵をのろうために、あなたを招いたのに、あなたはかえって敵を祝福するばかりです」(同23:11)。バラムは、神の力に動かされて、しいて言わざるを得なかった言葉を、あたかも自分が神のみ心に対する良心的な服従をしたかのように公言した。そしてやむを得ずしたにかかわらず、それを自分の手柄にしようとした。「わたしは、主がわたしの口に授けられる事だけを語るように注意すべきではないでしょうか」と彼は答えた(同23:12)。 PP 232.5

バラクはこの時に至ってもなお彼の目的を放棄できなかった。彼は、バラムが、ヘブル人の大陣営の堂々とした光景をながめておじけづき、彼らをのろうことができなかったのだと思った。王は、軍勢のごく一部分しか見えない地点に、預言者を連れていくことに決めた。もしバラムに隔離された部隊をのろわせることができれば、全陣営は、やがて破滅に陥るであろう。ピスガの山の頂上で、もう1度行われることになった。また、7つの壇が築かれ、最初のときと同じ捧げ物がおかれた。王とつかさたちは、犠牲のそばに立ち、バラムは、神と会うために退いた。預言者は、ふたたび、自分では変えることも止めることもできない神の言葉を託された。 PP 232.6

気をもんで待ちかまえていた人々は、彼が現れた時に、「主はなんと言われましたか」と尋ねた(同23:17)。彼の答えを聞いて、王とつかさたちは前と同様に恐怖に満たされた。 PP 233.1

「神は人のように偽ることはなく、 PP 233.2

また人の子のように悔いることもない。 PP 233.3

言ったことで、行わないことがあろうか、 PP 233.4

語ったことで、しとげないことがあろうか。 PP 233.5

祝福せよとの命をわたしはうけた、 PP 233.6

すでに神が祝福されたものを、 PP 233.7

わたしは変えることができない。 PP 233.8

だれもヤコブのうちに災のあるのを見ない、 PP 233.9

またイスラエルのうちに悩みのあるのを見ない。 PP 233.10

彼らの神、主が共にいまし、 PP 233.11

王をたたえる声がその中に聞える」 PP 233.12

(同23:19~21) PP 233.13

この啓示によって、畏敬の念に満たされたバラムは、「ヤコブには魔術がなく、イスラエルには占いがない」と叫んだ(同23:23)。大魔術師バラムは、モアブ人の希望に応じて、彼の魔法の力を使おうとした。しかし、神は、このとき、イスラエルのためになんと驚くべきことをなさったことであろう。彼らが、神に保護されているかぎり、いかなる民族や国家が、サタンの全勢力の援助を受けて彼らに立ち向かっても、彼らに勝つことはできないのである。全世界は、神がその民のためになされた不思議なわざに驚くのである。すなわち、罪の道に進もうと決心した人が、神の力に支配されて、のろいの言葉のかわりに、壮大で、熱情に満ちた詩によって、最も豊かで尊い約束を語るようになったのである。またこのとき、イスラエルに対して表された神の恵みは、すべての時代の従順で忠実な神の子らに対する神のみ守りの保証であった。サタンが悪人を扇動して神の民を悪く言い、苦しめ、滅ぼそうとするとき、神の民はこのときの出来事を思い起こして、勇気を出し、神に対する信仰を強めるのである。 PP 233.14

モアブの王は失望落胆し、「彼らをのろうことも祝福することも、やめてください」と叫んだ(同23:25)。しかし、かすかな望みがなお彼の心に残っていた。彼はもう1度試みてみようと思った。今度、彼は、バラムをペオル山へ連れていった。そこには彼らの神、バアルのみだらな礼拝に捧げられた神殿があった。そこに前と同じ数の壇がたてられ、同じ数の犠牲が捧げられた。しかし、バラムは前の時のように、神のみ旨を知るために1人になることをしなかった。彼は、魔術を使うようには見せかけなかった。ただ壇のそばに立ってイスラエルの天幕を見おろしていた。ふたたび神の霊が彼に臨んだ。そして神の言葉が彼のくちびるから聞こえた。 PP 233.15

「ヤコブよ、あなたの天幕は麗しい、 PP 233.16

イスラエルよ、あなたのすまいは、麗しい。 PP 233.17

それは遠く広がる谷々のよう、 PP 233.18

川べの園のよう、 PP 233.19

主が植えられた沈香樹のよう、 PP 233.20

流れのほとりの香柏のようだ。 PP 233.21

水は彼らのかめからあふれ、 PP 233.22

彼らの種は水の潤いに育つであろう。 PP 233.23

彼らの王はアガグよりも高くなり、 PP 233.24

彼らの国はあがめられるであろう。…… PP 233.25

彼らは雄じしのように身をかがめ、 PP 233.26

雌じしのように伏している。 PP 233.27

だれが彼らを起しえよう。 PP 233.28

あなたを祝福する者は祝福され、 PP 233.29

あなたをのろう者はのろわれるであろう」 PP 233.30

(同24:5~9) PP 233.31

ここに神の民の繁栄が自然界の最も美しいものにたとえて表されている。預言者はイスラエルを豊かな産物でおおわれた肥えた谷、枯れることのない泉の水でうるおう庭、香り高いびゃくだんや堂々たる香柏になぞらえた。この最後の象徴は、霊感の言葉の中に見いだされる最も美しく、全く適切なものの1つである。レバノンの香柏は東方のすべての人々に尊 ばれた。この種に属する木は、人が行くところ世界のどこにでも見いだされる。それは、極地から熱帯地方にいたるまで、炎天を楽しみ、しかも、寒気に耐えて繁茂する。それは流れのほとりでは豊かに繁って育ち、ひからびた水のない荒地でも高くそびえる。それは根を深く山の岩間におろし、たけり狂う嵐にもおおしく立つ。冬の風が吹いてすべての葉が枯れるときにも、その葉はみずみずしい緑をたたえている。他のすべての木にまさって、レバノンの香柏は、その強さ、その堅さ、その不滅の活力がきわだっている。それゆえ、これはそのいのちが、「キリストと共に神のうちに隠されている」人々の象徴として用いられているのである(コロサイ3:3)。聖書は、「正しい者は……レバノンの香柏のように育ちます」と言っている(詩篇92:12)。神のみ手は香柏を森の王に高められた。「もみの木もその枝葉に及ぼない。けやきもその枝と比べられない。神の園のすべての木も、その麗しきこと、これに比すべきものはない」(エゼキエル31:8)。香柏はくりかえし忠誠のしるしとして用いられている。聖書の中でそれが正しい人を表すために用いられていることは、天が神のみ旨を行う者をどのように見ているかを示すものである。 PP 233.32

バラムは、イスラエルの王がアガグより偉大で、力の強い者となることを預言した。アガグとは、当時非常に強い国であったアマレク人の王たちに与えられた名であった。しかし、イスラエルが神に忠実であるならば、すべての敵を従えることができる。イスラエルの王とは神のみ子をさしていた。その王座はいつの日か地上にすえられ、その権威はすべての地上の国の上に高められるのであった。 PP 234.1

バラクは、預言者の言葉を聞いて失望落胆し、恐怖と激しい怒りをおぼえた。彼は、万事が自分に不利であっても、バラムがなんとかよい答えをして、わずかでも彼を励ますことができたものにと憤慨した。彼は、預言者の妥協と欺きの行為を軽べつした。王は、激しく叫んで言った、「それで今あなたは急いで自分のところへ帰ってください。わたしはあなたを大いに優遇しようと思った。しかし、主はその優遇をあなたに得させないようにされました」(民数記24:11)。バラムはそれに答えて、自分は神より与えられた言葉だけしか語ることができないことは、王も前もって聞かれたはずだと言うのであった。 PP 234.2

バラムは、自分の民のところへ帰る前に、世の救い主と神の敵の破滅について最も美しく崇高な預言を語った。 PP 234.3

「わたしは彼を見る、しかし今ではない。 PP 234.4

わたしは彼を望み見る、しかし近くではない。 PP 234.5

ヤコブから1つの星が出、 PP 234.6

イスラエルから1本のつえが起り、 PP 234.7

モアブのこめかみと、 PP 234.8

セツのすべての子らの脳天を撃つであろう」 PP 234.9

(同24:17) PP 234.10

そして、彼は、モアブ人、エドム人、アマレク人、ケニ人らの完全な滅亡を預言して口を閉じ、モアブの王に希望の光を残さなかった。 PP 234.11

バラムは、富を与えられて昇進する望みもなくなり、王にうとんぜられ、神の不興を被ったことを感じながら自分から進んで行った務めから離れていった。彼が家に帰ったあとで、神の霊の支配力が彼から離れた。これまで制せられたに過ぎなかった貪欲が勢いをもりかえした。彼は、どんな手段に訴えてでもバラクが約束した報酬を得ようと決心した。バラムは、イスラエルの繁栄が、彼らの神に対する服従にあることを知っていた。そこで彼らを敗北させるには彼らを罪に誘う以外に方法はないと思った。今や彼はイスラエルにのろいを招く手段をモアブ人に勧告することによって、バラクの歓心を得ようと心に決めた。 PP 234.12

彼はすぐにモアブの国にひきかえした。そして、彼の計画を王に説明した。モアブ人自身も、イスラエルが神に忠実であるかぎり、神が彼らの盾となられることをはっきり悟った。バラムの提案は彼らを偶像礼拝に誘って神から彼らを引き離すことであった。もし彼らをバアルやアシタロテのみだらな礼拝に加わるように誘うことができれば、彼らの全能の守護者 は彼らの敵となり、彼らはまもなくまわりの残忍で好戦的な国々の餌食となるのであった。王はこの計画を喜んで受け入れた。バラム自身はとどまってその計画の実施を助けることとなった。 PP 234.13

バラムは、彼の悪魔的な企てが成功するのを見た、彼は神ののろいがその民にくだり、幾千の者が刑罰を受けるのを見た。しかし、イスラエルの中の罪を罰した神の義は、誘惑者がのがれるのを許さなかった。イスラエルとミデアン人とが戦った時に、バラムは殺された。彼が、「わたしは義人のように死に、わたしの終りは彼らの終りのようでありたい」と叫んだとき、彼は自分の終わりが近いことを予感したのであった(同23:10)。しかし、彼は義人の生涯を送ることを選ばなかった。彼は、神の敵と同じ運命に陥った。 PP 235.1

バラムの運命はユダのそれと同じであった。彼らの性質は、互いによく似ている。両者とも神と富にかね仕えようとして、完全に失敗した。バラムは真の神を知り、彼に仕えることを公言した。ユダはイエスをメシヤとして信じ、彼に従う者たちに加わった。しかし、バラムは主の奉仕を富と世俗のほまれを得る踏み石にしようと望み、これに失敗して、つまずき倒れ、滅びた。ユダは、キリストと結合することによって、メシヤがまもなく樹立すると彼が信じたこの世の王国において、富と昇進にあずかろうと期待した。彼の希望が裏切られると、彼は背教して破滅した、バラムもユダも大きな光を受け、大きな特典にあずかった。しかし、心にいだいた1つの罪が全人格を毒し、滅亡の原因となった。 PP 235.2

心の中にキリスト教徒にふさわしくない性質をとどめておくことは危険である。心に秘められた1つの罪は、徐々に性質を堕落させ、その高尚な能力をすべて悪い欲望に屈服させる。良心から1つの保護物を取り除くこと、1つの悪い習慣にふけること、義務の重要な要求を1度怠ることなどは魂の防壁を破り、サタンがつけ入って、われわれを誤らせる道を開くのである。唯一の安全な道は、ダビデのように、次の祈りを、毎日、まごころから捧げることである。「わたしの歩みはあなたの道に堅く立ち、わたしの足はすべることがなかったのです」(詩篇17:5)。 PP 235.3