人類のあけぼの
第30章 幕屋の制度と儀式
本章は、出エジプト記25~40章、レビ記4、16章に基づく PP 175.3
モーセが山で神と共にいたときに、「彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである」(出エジプト25:8)という命令がくだされ、幕屋の建築についてあますところなく指示が与えられた。イスラエル人は、背信によって神の臨在の祝福を失い、そのためしばらくの間、彼らのあいだに神のための聖所を建てることは不可能となった。だが、彼らが再び神の恵みを受けるようになってから、偉大なる指導者モーセは、この神の命令の実現に着手した。 PP 175.4
選ばれた人々は、神聖な建物の建設に必要な技能と知恵を神から特別に与えられていた。その大きさと形、使用する材料、内部の造作に関する細かい指示を含めたその構造設計は、神ご自身がモーセにお与えになった。手で造られる幕屋は、「ほんとうのものの模型」「天にあるもののひな型」(ヘブル9:24、23)——われわれの大いなる大祭司キリストが、ご自分の生命を犠牲となさった後で、罪人のために奉仕なさる天の神殿のひな型であった。神は、山でモーセの前に天の聖所の光景を示し、すべてのものを示された通りに造ることを命じられた。モーセはこれらのすべての指示を慎重に記録し、それを民の指導者たちに伝えた。 PP 175.5
聖所の建築には、多額の費用を要する準備が必要であった。貴重で高価な材料が、大量になければならなかった。しかし、主は、心からの捧げ物だけをお受けになった。モーセは「すべて、心から喜んでする者から、わたしにささげる物を受け取りなさい」という神の命令を民に伝えた(出エジプト25:2)。まず初めに神への献身と犠牲の精神が、いと高き者のすみかを造るために要求された。 PP 175.6
民はみな、いっせいにこれに応じた。「すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者は、会見の幕屋の作業と、そのもろもろの奉仕と、聖なる服とのために、主にささげる物を携えてきた。すなわち、すべて心から喜んでする男女は、鼻輪、耳輪、指輪、首飾り、およびすべての金の飾りを携えてきた。すべて金のささげ物を主にささげる者はそのようにした」(同35:21、22)。 PP 175.7
「すべて青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸、やぎの毛糸、あかね染めの雄羊の皮、じゅごんの皮を持っている者は、それを携えてきた。すべて銀、青銅のささげ物をささげることのできる者は、それを主にささげる物として携えてきた。また、すべて組立ての工事に用いる アカシヤ材を持っている者は、それを携えてきた。また、すべて心に知恵ある女たちは、その手をもって紡ぎ、その紡いだ青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸を携えてきた。すべて知恵があって、心に感じた女たちは、やぎの毛を紡いだ。 PP 175.8
また、かしらたちは縞めのう、およびエポデと胸当にはめる宝石を携えてきた。また、ともしびと、注ぎ油と、香ばしい薫香のための香料と、油とを携えてきた」(同35:23~28)。 PP 176.1
聖所の建設が進んでいるあいだも、老若の民は——男も女も子供も——捧げ物を続々と持参したので、工事の監督たちは、もうこれで十分集まり、使いきれないほどになったと考えるほどであった。そこで、モーセは宿営中にふれさせた。「『男も女も、もはや聖所のために、さざげ物をするに及ばない』。それで民は携えて来ることをやめた」(同36:6)。イスラエル人のつぶやきと、彼らの罪のためにくだった神の刑罰とは、後世への警告として記録されている。また、彼らの献身と熱意と物惜しみしない心とは、われわれが大いに学ぶべき模範である。すべて神の礼拝を愛し、その聖なる臨在の祝福を重んじる者は、神が彼らと会う家を建てるにあたって同じ犠牲の精神をあらわす。彼らは自分の所有する最善のものを捧げ物として主のもとに携えてきたいと望む。神のために建てられた家は、負債を負ったまま放任しておいてはいけない。それは、主のみ栄えではないからである。ちょうど幕屋の建設者たちのように、工事にたずさわる者が、「もう捧げ物を持ってこなくてもよろしい」と言うことができるように、工事を完成するに十分の額が豊かに捧げられるようでなくてはいけない。 PP 176.2
幕屋はイスラエル人が旅をするときは、取りはずして持ち運びができるように建設された。従って、それは小さく、長さが55フィート、幅と高さが18フィートほどのものであった。だが、それは壮麗な構造であった。建物とその造作に用いられた木材は、シナイで手に入れられるどんな木材よりも腐朽しにくいアカシヤ材であった。壁は銀の台にすえられ、柱と横木で結び合わされた立て板であるが、金でおおわれているために、見たところ全体が金のようであった。屋根は4組の幕から成り、最も内側のものが「亜麻の撚糸、青糸、紫糸、緋糸で造り、巧みなわざをもって、……ケルビムを織り出」したものであった(同36:8)。他の3組はそれぞれ、やぎの毛糸、あかね染めの雄羊の皮、じゅごんの皮でできていて、完全な防護となるように配列されていた。 PP 176.3
建物は、金でおおった柱からたれ下がった豪華な幕、すなわち、とばりによって2つの部屋に分けられていた。そして、同じようなとばりが第1の部屋の入口を閉ざしていた。これらは、天井となっている内部のおおいと同じく、青糸、紫糸、緋糸などのはなやかな色彩で美しく飾られていた。そこには、天の聖所のつとめに関係があるとともに、地上の神の民に仕える霊である天使の群れを代表するケルビムが、金糸、銀糸によって織り込まれていた。 PP 176.4
聖なる幕屋は、庭と呼ばれる広場に囲まれており、その庭には、青銅の柱につるされた亜麻のたれ布、すなわち、囲いが張りめぐらされていた。この囲いの入口は東端にあった。そこは、聖所の幕には劣るものの、やはり高価な材料で美しく作られた幕で閉ざされていた。庭のたれ布は、幕屋の壁のおよそ半分の高さしかなかったので、建物は外側の人々からよく見えた。庭の中には、入口に近いところに、燔祭のための青銅の祭壇があった。この祭壇の上で、すべての犠牲は火に焼かれて主に捧げられ、その角には贖いの血が注がれた。祭壇と幕屋の戸口との間には、イスラエルの女たちが心から捧げた鏡によって造られた、同じく青銅の洗盤があった。祭司たちは聖所にはいっていくときや、主に燔祭を捧げるために祭壇に近づいたりするときには、いつもこの洗盤で手と足を洗わなければならなかった。 PP 176.5
第1の部屋、すなわち聖所には、供えのパンの机、燭台、香の祭壇があった。供えのパンの机は、北側に置かれていた。それは、上部に飾りが施され、純金でおおわれていた。この机に、祭司は安息日ごとに乳香をふりかけた12個のパンを2段に重ねて置いた。取りのけたパンは聖なるものとみなされ、祭司 がこれを食べた。南側には、7本に分かれて7つのあかりをともした燭台があった。その枝には精巧に細工したゆりに似た花の装飾が施され、全体はひとかたまりの金塊によって作られていた。幕屋には窓がなかったために、あかりは一度に全部消されることはなく、昼夜の別なく光を放っていた。至聖所と神の面前から聖所を隔てているとばりのすぐ前には、金の香の祭壇が置かれていた。祭司は、この祭壇で朝夕香をたき、その角には罪祭の血をつけなければならなかった。そして、この祭壇には大いなる贖罪の日に血が注がれた。この祭壇の火は、神ご自身によって点じられ、大切に保存された。清い香は、日夜聖所の2つの部屋とその周り、そして幕屋の遠くにまで芳しい香りを放った。 PP 176.6
内部のとばりの奥は至聖所であったが、これが贖罪と仲保との象徴的奉仕の中心であり、また、天と地をむすぶ輪であった。この部屋には、内も外も金でおおわれたアカシヤ材の箱があって、その上の周囲に金の飾り縁があった。それは、神ご自身がしるされた十戒の石の板を収めるために作られたものであった。十戒は神とイスラエルの間に立てられた契約の基盤であったことから、これは神の契約の箱と呼ばれた。 PP 177.1
この聖なる箱のふたは、贖罪所と呼ばれた。これは1つの金塊から作られ、その両端には金のケルビムが立っていた。これらの天使の一方の翼は高く伸ばされ、もう一方の翼は崇敬とけんそんをあらわして自分の体をおおっていた(エゼキエル1:11参照)。 PP 177.2
互いに向かい合い、敬虔に箱を見下すこのケルビムの姿勢は、天の万軍が神の律法に対していだいている崇敬の念と、贖罪の計画に対する関心をあらわしていた。 PP 177.3
贖罪所の上方には、神の臨在のあらわれであるシエキーナーがあった。神は、ケルビムの間からみこころをお知らせになった。神のお告げは時として、雲からの声によって大祭司に伝えられた。また、時として、承認もしくは受容をあらわすために光が右側の天使を照らし、不賛成もしくは拒否をあらわすために、影もしくは雲が左側の天使をおおうこともあった。 PP 177.4
箱におさめられた神の律法は、義と審判の大原則であった。この律法は違反者に死を宣告した。だが、律法の上には贖罪所があり、そこに神の臨在があらわされ、また、そこから、贖罪によって、悔い改めた罪人にゆるしが与えられた。こうしてわれわれの贖いのためのキリストのみわざが、聖所の奉仕のなかで象徴され、「いつくしみと、まこととは共に会い、義と平和とは互に口づけ」したのである(詩篇85:10)。 PP 177.5
幕屋の内部の光景の輝かしさは、どんな言葉をもってしても描写することができない。——金の燭台の光を反射する金張りの壁、きらびやかに刺繍した天使の浮き出るたれ幕のまばゆい色合い、金色に輝く机と香の祭壇、そして第2のとばりのむこうには、聖なる箱と神秘的なケルビム、その上方の主の臨在が目に見える形であらわされる聖なるシェキーナー。だが、このすべては人間の贖いのわざの中核である、天にある神の神殿の栄光をおぼろげに反映するものにすぎない。 PP 177.6
幕屋の建築には、約半年を要した。これが完成したとき、モーセは建築した人々の工事をことごとく点検し、これを彼が山で示された型と、神から受けた指示に照らし合わせた。「彼らは主が命じられたとおりに、それをなしとげていたので、モーセは彼らを祝福した」(出エジプト39:43)。大勢のイスラエルの民は聖なる建物を見ようとして、非常な興味をもって群がってきた。彼らが、敬虔な満ち足りた気持ちでこれに見入っているときに、雲の柱が幕屋の上にたなびき、その上にくだり、これを包んだ。そして「主の栄光が幕屋に満ちた」(同40:34)。ここに神の威光があらわされ、しばらくの間、モーセも中にはいることができなかった。民は、彼らの手のわざが受け入れられたしるしを感慨深く見つめていた。人々は、歓喜の声を上げたりはしなかった。厳粛な畏怖がすべての者を包んでいた。だが、心の喜びは涙となってあふれ、神が降りてこられて、自分たちと共にお住みになることの感謝が、低くはあったが熱のこもったささやきとなったのである。 PP 177.7
神の指示により、レビ人が聖所の奉仕のために選ばれた。ずっと初期のころには、すべての男子が自分の家族の祭司であった。アブラハムの時代には、祭司職は長男の生まれながらの権利とみなされていた。しかし、主はここで聖所の務めのために、全イスラエルの長子の代わりに、レビ族をお受け入れになった。神は、この特別の栄誉を与えることによって、彼らが忠実に主に仕えたことと、イスラエルが金の小牛を拝んで背信した時に、主のさばきを忠実に果たした彼らの忠誠を認めたことをあらわされた。しかし、祭司職は、アロンの家だけにかぎられていた。アロンとその子らだけが主の前で仕えることを赦された。レビ族のその他の者たちには幕屋とその備品に関する責任がゆだねられた。そして、彼らは奉仕にたずさわる祭司に付き添うことはできたが、いけにえを捧げたり、香をたいたり、おおいをかぶせていない清い備品を見たりすることは許されなかった。 PP 178.1
祭司にはその職務に従って、特別の衣服が定められた。「あなたの兄弟アロンのために聖なる衣服を作って、彼に栄えと麗しきをもたせなければならない」という指示がモーセに与えられた(同28:2)。普通の祭司の衣服は白亜麻で、1つ織りになっていた。すそは足の近くまでたれ下がり、腰は青糸、紫糸、赤糸で刺繍をほどこした白亜麻の帯で結ばれていた。このほかに亜麻布のかぶり物、すなわち帽子がついて、彼らの服装はそろったのである。モーセは燃えるしばのところで、彼の立っている場所は聖であるからくつを脱ぐようにと命じられた。そのように、祭司も足にくつをつけたまま聖所に入ることはできなかった。足についているちりでさえ、清い場所の神聖を汚すのである。彼らは聖所にはいる前に庭でくつを脱ぎ、また幕屋や燔祭の祭壇で仕える前に、手足を洗わなければならなかった。こうして、神の御前に近づこうとする者からは、あらゆる汚れが取り除かれなければならないことが、たえず教えられた。 PP 178.2
大祭司の衣服は、その高い地位にふさわしく、高価な材料で美しく作られていた。一般の祭司の着る亜麻の衣服に加えて、彼は同じく1つ織りの青衣を着用した。そのすそには、金の鈴と、青糸、紫糸、緋糸で作ったざくろの装飾がほどこしてあった。その上に金糸、青糸、紫糸、緋糸、白糸で織った短衣エポデを着用した。これは美しく作られた同色の帯でゆわえつけられていた。エポデには袖がなく、金刺繍の肩当てには、イスラエル12の部族の名を記した2個のしまめのうがはめ込まれていた。 PP 178.3
エポデの上には、祭司服の中で最も神聖な胸当があった。これは、エポデと同じ材料でできていた。形は一指当たり平方の正方形で、金の環に結びつけられた青ひもで肩からつるされていた。 PP 178.4
周囲は神の都の12の土台を形成するのと同じ、さまざまな宝石で縁取られていた。縁の内側には金にはめ込まれた12の宝石が4列に配され、これには肩当てと同じく12部族の名が彫られていた。主は、「アロンが聖所にはいる時は、さばきの胸当にあるイスラエルの子たちの名をその胸に置き、主の前に常に覚えとしなければならない」と命じられた(同28:29)。そのように、罪人のために父の前で、ご自分の血による嘆願をなさる偉大なる大祭司キリストも、ご自分の心に、すべて悔い改めた信じる魂の名を記しておられる。「わたしは貧しく、かつ乏しい。しかし主はわたしをかえりみられます」と詩篇記者はうたっている(詩篇40:17)。 PP 178.5
胸当の左右には特に輝いた2つの大きな宝石があった。これはウリムとトンミムと呼ばれていた。これによって神のみこころが大祭司を通して知らされた。決定すべき問題が主の前に持ち出されたとき、右の宝石の周囲に光輪がかかれば、これは神の是認もしくは認可のしるしとなり、左の宝石にかげりができれば、これは拒否もしくは認可されないしるしとなった。 PP 178.6
大祭司の帽子は白亜麻のかぶりものであったが、それには「主に聖なるもの」としるした金の板が青ひもで結ばれていた。祭司の衣服と動作のすべては、それを見る者に、神の神聖なこと、その礼拝が清いものであること、神の前に来る者には純潔が要求されることなどを、深く感銘させるものでなければならな かった。 PP 178.7
聖所そのものばかりでなく、祭司の務めもまた、「天にある聖所のひな型と影とに仕え」るものであった(ヘブル8:5)。このように、この務めは非常に重大なものであった。そして、主は、モーセを通して、この象徴的な奉仕のあらゆる点に関する明確な指示をお与えになった。聖所の務めは、2つの部分から成っていた。すなわち、日ごとの奉仕と年ごとの奉仕とである。日ごとの奉仕は幕屋の庭の燔祭の祭壇と聖所とで行われ、年ごとの奉仕は至聖所で行われた。 PP 179.1
大祭司を除いては、いかなる人も聖所の奥の部屋を見ることができなかった。その祭司も、年に1度だけで、しかもきわめて細心かつ巌粛な準備ののちに初めてそこにはいることができた。彼は震えおののきながら、神の前に行った。そして、民は、うやうやしく沈黙を守って彼の帰りを待ち、熱心に神の祝福を求めて祈っていた。大祭司は、贖罪所の前でイスラエルのために贖いをした。そして、神は栄光の雲のうちで彼に会われた。大祭司がここに通例の時間より長くとどまることがあると、彼らは、自分たちの罪か、あるいは、大祭司自身の罪のために、彼が主の栄光によって絶たれてしまったのではないかと恐れるのであった。 PP 179.2
日ごとの務めは、朝夕の燔祭、金の祭壇における香の供え物、及び個人個人の罪のための特別な供え物から成っていた。そして、ほかに、安息日の供え物、新月の供え物、祭日の供え物があった。 PP 179.3
朝に夕に1歳の小羊が適当な素祭と共に祭壇で焼かれ、こうして主に対する民族の日々の献身と、キリストのあがないの血に、彼らが絶えず依存していることが象徴されていた。聖所の務めのために捧げられる供え物は「傷のないもの」でなければならないと、神は言明された(出エジプト12:5)。祭司たちは、犠牲として捧げられる動物をみなよく調べ、傷があるものは、ことごとく退けなければならなかった。「傷のない」供え物だけが、「きずも、しみもない小羊」(Ⅰペテロ1:19)として、ご自身をお捧げになる主の完全な純潔を象徴するものとなることができた。使徒パウロは、キリストに従う者たちが自分自身を捧げることの例証として、この犠牲を指摘している。「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である」(ローマ12:1)。われわれは自らを神の礼拝のために捧げなければならない。そして、この供え物をできるだけ完全に近いものとするように努めるべきである。神は、われわれの捧げ得る最善のものでなければお喜びにならないのである。心から神を愛する者は、生涯の最上の奉仕を神に捧げたいと望み、神のみこころを行う能力を増進する律法に、自分たちの持っているあらゆる力を調和させようと絶えずつとめるのである。 PP 179.4
祭司は、日ごとの務めにおける他のいかなる行為よりも、香を捧げるときに、神の御前に一番近づいたのである。聖所の内部のとばりは建物の上部にまで及んでいなかったので、贖罪所の上にあらわれた神の栄光は、第1の部屋からも部分的に見ることができた。祭司は、主の前に香を捧げながら、契約の箱のほうを見た。香の煙が立ちのぼるとき、神の栄光は贖罪所の上にくだり、至聖所に満ちた。そして、それは両方の部屋にまで満ちて、祭司が幕屋の戸口にまで退かなければならないことがよくあった。この象徴的礼拝において、祭司が自分には見えない贖罪所を信仰によって仰いだように、神の民は今、人の目に見えないが、天の聖所で彼らのためにとりなしておられる偉大なる大祭司キリストに祈りを捧げなければならない。 PP 179.5
イスラエルの祈りと共にのぼった香は、キリストの功績と仲保、キリストの完全な義をあらわしている。これは信仰によって神の民のものとされる。そして、ただこれによってのみ、罪深い人間の礼拝が神に受け入れられる。 PP 179.6
至聖所のとばりの前には、絶えずとりなしの行われる祭壇があり、聖所の前には常供の贖いの祭壇があった。血と香によって、人間は神に近づくことがで きた——これらは、偉大な仲保者キリストをさし示す象徴であった。この仲保者を通して、罪人は主に近づくことができ、また、このキリストを通してはじめて、あわれみと救いが悔い改めて信じる魂に与えられるのである。 PP 179.7
祭司が朝夕、香の時間に聖所にはいるとき、日ごとのいけにえは外の庭の祭壇に捧げられる準備ができていた。これは、幕屋に集まった礼拝者たちが、非常な関心を示すときであった。彼らは、祭司の務めを通じて神の前に出るに先だって、まじめに心をさぐり、罪を告白しなければならなかった。彼らは、顔を聖所に向けて心を合わせ、黙祷を捧げた。こうして、彼らの祈願が香の煙と共に立ちのぼった。そして、彼らは信仰によって贖罪の犠牲に予表された約束の救い主の功績にすがった。朝夕のいけにえを捧げるために定められた時間は、清い時とみなされた。やがて、ユダヤ民族全体は、その時間を所定の礼拝の時間として守るようになった。そしてのちにユダヤ人が遠国に捕われの身として散らされたときも、彼らはこの決まった時間に、エルサレムの方角を向いて、イスラエルの神に祈願を捧げた。この習慣はキリスト者にとって、朝夕の祈りの模範である。神は、礼拝の精神のない単なる儀式をきらわれる。しかし、神を愛し、朝に夕に頭をたれて犯した罪の赦しを求め、必要な祝福を願う者たちを大きな喜びをもってごらんになる。 PP 180.1
供えのパンは、絶やすことなく捧げる常供の供え物として主の前に置かれた。こうして、これは、日ごとの犠牲の一部であった。これは、常に主のみ顔の前に置かれていたために、供えのパン、すなわち「み前のパン」と呼ばれていた。これは、霊肉の食物が神から与えられるものであること、しかも、それがキリストの仲保を通してはじめて得られることを認めたものであった。神は、天のパンによって荒野のイスラエルを養われたが、彼らは、いまなお、肉体のための食物であれ、霊の祝福であれ、神の賜物に依存していた。マナと供えのパンは、共に、われわれのために常に神の御前におられる生きたパンであられるキリストを示していた。キリストご自身「わたしは天から下ってきた生きたパンである」と仰せになった(ヨハネ6:48~51参照)。パンの前には乳香が置かれた。パンが安息日ごとに取り除かれて新しいパンと代わるとき、乳香は神の前の記念として祭壇でたかれた。 PP 180.2
日ごとの務めのうちで最も重要な部分は、個人個人のために行われた務めであった。悔い改めた罪人は供え物を幕屋の戸口にたずさえ、このいけにえに手を置いて罪を告白し、こうして象徴的にその罪を彼自身から無垢の犠牲の上に移し変えた。それから動物は、彼の手で殺された。祭司は、血を聖所に運んで、この罪人の犯した律法を入れた箱の前方にたれているとばりの前に注いだ。この儀式によって、罪は血によって象徴的に聖所に移された。 PP 180.3
血が聖所の中にたずさえられない場合もあった。そのときには、モーセがアロンの子らに命じて、「これは……あなたがたが会衆の罪を負(う)……ため、あなたがたに賜わった物である」(レビ10:17)と言ったように、祭司がその肉を食べなければならなかった。これらの儀式は、共に、悔い改めた者から聖所へと罪が移されることを象徴したものであった。 PP 180.4
こうしたつとめが、1年を通じて毎日行われていた。このようにイスラエルの罪が聖所に移されたので聖所は汚れ、そのため、罪を取り除く特別の務めが必要となった。神は、祭壇と同様に2つの聖所の部屋についてもあがないをなし、「イスラエルの人々の汚れを除いてこれを清くし、聖別しなければならない」とお命じになった(同16:19)。 PP 180.5
年に1度、祭司は聖所のきよめのために至聖所にはいった。そこで果たされるつとめが、年ごとのつとめを完了した。 PP 180.6
贖罪の日には、2匹のやぎが幕屋の戸口に連れてこられ、それぞれにくじが引かれた。すなわち、「1つのくじは主のため、1つのくじはアザゼルのため」であった。はじめのくじに当たったやぎは、民のための罪祭としてほふられた。そして、祭司はその血をとばりの内部にたずさえて、贖罪所の上に注いだ。「イスラエルの人々の汚れと、そのとが、すなわち、彼らの もろもろの罪のゆえに、聖所のためにあがないをしなければならない。また彼らの汚れのうちに、彼らと共にある会見の幕屋のためにも、そのようにしなければならない」(同16:16)。 PP 180.7
「そしてアロンは、その生きているやぎの頭に両手をおき、イスラエルの人々のもろもろの悪と、もろもろのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪をその上に告白して、これをやぎの頭にのせ、定めておいた人の手によって、これを荒野に送らなければならない。こうしてやぎは彼らのもろもろの悪をになって、人里離れた地に行くであろう」(同16:21、22)。このように、やぎが送り出されてはじめて、民は自分たちを罪から解放された者とみなした。贖罪のわざがなされている間、すべての人は魂を悩まさなければならなかった。日常の働きをやめて、イスラエルの全会衆は、その日を厳粛に神の御前にへりくだって過ごし、祈り、断食し、心を深くさぐったのであった。 PP 181.1
贖罪に関する重要な真理が、この年ごとの務めによって民に教えられた。1年間にわたって捧げられた罪祭によって、罪人に代わるものが受け入れられてきた。だが、いけにえの血が罪に対する完全な贖いを果たしたのではなかった。それは、ただ、罪が聖所に移される手段を提供したにすぎない。罪人は血を捧げることによって、律法の権威を認め、律法に違反した罪を告白し、世の罪を除くおかたへの信仰を表明した。だが、彼は律法の宣告から完全に解放されたのではなかった。贖罪の日に、大祭司は会衆のための供え物をとり、血をたずさえて至聖所にはいり、それを律法の板の上の贖罪所に注いだ。こうして、罪人の生命を求める律法の要求が満たされた。 PP 181.2
次に、祭司は、仲保者として自分の上に罪を負い、聖所を出てイスラエルの罪の重荷をになった。彼は幕屋の戸口でアザゼルのやぎに手を置き、「イスラエルの人々のもろもろの悪と、もろもろのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪をその上に告白して、これをやぎの頭にのせ」た。そして、これらの罪を背負ったやぎが送り出される時に、罪はやぎと共に、永遠に民から切り離されたものとみなされた。これが、「天にある聖所のひな型と影」で行われた礼拝であった(ヘブル8:5)。 PP 181.3
すでに述べたように、地上の聖所は山で示された型に従ってモーセが建てたものである。それは、「今の時代に対する比喩」であって、「供え物やいけにえ」が捧げられた。そのふたつの聖なる部屋は、「天にあるもののひな型」であり、われらの大祭司キリストが、「人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる」(同9:9、23、8:2)。使徒ヨハネが幻のうちに、天にある神の宮を示されたとき、彼は、「7つのともし火が、御座の前で燃えていた」のを見た。また、天使が「金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった」(黙示録4:5、8:3)。ここで預言者は、天の聖所の第1の部屋を見ることが許された。そして、彼はそこに、地上の聖所では金の燭台と香の祭壇であらわされていた「7つのともし火」と「金の祭壇」を見た。再び「天にある神の聖所が開けて」、彼は奥のとばりの内部、すなわち、至聖所を見た。ここに彼は、モーセの作った神の律法をいれた清い箱によって示されていた「契約の箱」を見た(黙示録11:19)。 PP 181.4
モーセは、「見たままの型にしたがって」地上の聖所を造った(使徒行伝7:44)。パウロは、それが完成されたとき、「幕屋と儀式用の器具いっさい」は「天にあるもののひな型」であったと述べている(ヘブル9:23)。ヨハネも天に聖所を見たと言っている。イエスが、われわれのために奉仕しておられるその聖所が本来のものであって、モーセの建てた聖所はその写しであった。 PP 181.5
天の宮は王の王である神の住居である。そこでは、千の幾千倍の者がこれに仕え、万の幾万倍の者がその前にはべり、輝かしい守護のセラピムが顔をおおって崇敬を捧げる永遠のみ座の栄光で満ちている。地上のいかなる建造物も、その広大さと輝かしさをあらわすことができない。だが、天の聖所と、人 間のあがないのためにそこで行われる大いなるみわざとに関する重要な真理が、地上の聖所とそのつとめによって教えられた。 PP 181.6
われわれの救い主は、昇天ののち大祭司としての務めを始められた。「キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さった」とパウロは言っている(同9:24)。キリストの務めが2つに大きく分けられ、そのおのおのがある期間を占め、天の聖所において明確な場所を占めるように、象徴的な務めも日ごとの奉仕と、年ごとの奉仕の2区分から成り、それぞれに幕屋の部屋が1つずつあてられていた。 PP 182.1
キリストが昇天に際して神の御前に現れ、悔い改めた罪人のためにご自分の血による嘆願をなさったように、祭司は日ごとの務めにおいて、罪人のために聖所でいけにえの血を注いだ。 PP 182.2
キリストの血は、悔い改めた罪人を律法の宣告から解放したが、しかし、それは罪を消し去るものではなかった。罪は最終的な贖罪の時まで聖所の記録に残るのである。そのように象徴においても、罪祭の血は悔い改めた者から罪を取り除いたが、罪は贖罪の日まで聖所に残った。 PP 182.3
大いなる最後の報いの日に、死者は、「そのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれ」る(黙示録20:12)。このとき、真に悔い改めたすべての者の罪は、キリストの贖罪の血によって、天の書物から消される。こうして、聖所から罪の記録が除かれ、清められるのである。象徴においては、この大いなる贖罪のみわざ、つまり、罪を消し去ることは、贖罪の日の務めによってあらわされた。すなわち、地上の聖所を汚していた罪を除いて清めることは、罪祭の血によってなしとげられた。真に悔い改めた者の罪が、ついに贖われて、天の記録から消されて、もはや思い出すことも心に浮かぶこともなくなるように、象徴では罪は荒野に追いやられ、会衆から永遠に切り離された。 PP 182.4
サタンは罪の創始者であり、神のみ子の死を招いたあらゆる罪の直接の扇動者であるから、正義は、サタンが最後の刑罰を受けることを要求する。人間を贖い、宇宙を罪からきよめるキリストのみわざは、天の聖所から罪を取り除いて、これらの罪をサタンの上に置き、サタンが最後の刑罰を負うことによって閉じられる。そのように、象徴的奉仕においても1年間の務めは、聖所の清めと、アザゼルのやぎの頭の上に罪を言いあらわす告白をもって閉じられた。 PP 182.5
こうして、幕屋の務めと、のちにこれにとって代わった神殿の務めから、民はキリストの死とその務めに関する心理を日ごとに学び、そして、毎年1度、彼らの心はキリストとサタンとの間の大争闘の終結、宇宙が罪と罪人から清められる最終的な清めに向けられたのであった。 PP 182.6