キリストの実物教訓

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第10章 漁師の網

本章は、マタイ13:47~50に基づく COL 1230.3

「また天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。」 COL 1230.4

網をおろすことは、福音を宣べ伝えることである。福音の宣教は、よい人も悪い人も教会の中に集める。福音の働きがすむと、さばきが分離の働きをなし終える。キリストは教会内にいる偽兄弟のために、真理の道がどんな非難を受けるかを、知っておられた。世は、また、偽信者の矛盾した生活を見て、福音をののしることであろう。キリストの名をとなえながら、聖霊に支配されていない者が多いのを見て、クリスチャンでさえつまずくことであろう。こういう罪人が教会の中にいるのだから、神は、自分たちの罪もお赦しになるであろうと、一般の人々も考える危険があった。そこで、キリストは、将来の幕を上げて、人間の運命を決定するのは、人の占めている地位ではなくて、その品性であることを見なさいとお命じになるのである。 COL 1230.5

毒麦のたとえもこの網のたとえもともに、悪人が全部神に立ち帰る時のこないことを明らかに教えている。麦と毒麦とは、収穫の時まで一緒に育つのである。よい魚も悪い魚も、一緒に岸に上げられて、最後のより分けが行われるのである。 COL 1230.6

次に、これらのたとえは、審判の後には、恩恵の期 間がないことを教えている。福音の働きが終わると、直ちによいものと悪いものが区別され、それぞれの運命が永遠に決定されるのである。 COL 1230.7

神は、どんな人でも滅びることを望まれない。「主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。……あなたはどうして死んでよかろうか」(エゼキエル33:11)。聖霊は、恵みの期間の続く限り、生命の賜物を受けるように、人々に訴えられるのであるから、滅びるままに取り残されるのは、神の訴えを拒んだ者だけである。罪は宇宙を破壊する悪であるから、滅ぼさなければならないと、神は言われる。罪に執着する者は、罪とともに滅びるのである。 COL 1231.1