キリストの実物教訓

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若い心という地

青少年の心が若い力にあふれ、発育盛りの時には、 自分の野心などのことばかりに心を奪われるという大きな誘惑がある。世の中の仕事が成一功すると、とかく、良心がにぶり、品性の真の価値を正しく評価することができなくなるものである。また周囲の状態が、それを助長するような時には、青少年は、ますます神のみ言葉に禁じられている方向に進んでいく。 COL 1204.7

成長期にある子供たちを持った親の責任は、実に重大である。彼らは、子供たちに正しい感化を与えなければならない。そして、正しい人生観と人生の真の成功とはどんなものであるかを教えるように、研究しなければならない。ところが、そうではなくて、子供たちが世的な繁栄を得ることを第一にしている親が、なんと多いことであろう。子供たちの友だちを選ぶ時にも、みな、これを念頭においている。多くの親は、大都会に住んで、子供たちを上流の人々と交際させるのである。こうして世俗を愛する心と誇りを助長している。こうした雰囲気の中では、心も魂も萎縮してしまう。彼らは、人生の高貴な目標を見失ってしまう。神の子として永遠の嗣業を受ける特権は、世俗の利益に心を迷わされて捨ててしまったのである。 COL 1205.1

子供たちの娯楽を好む心に、満足を与えることによって、彼らを幸福にしてやろうとする親が多い。彼らは、子供たちがスポーツに参加し、パーティーに出かけるのを許し、虚飾と自己満足のために、勝手に金を費やすままにさせている。快楽に対する欲求は、満たせば満たすほど、強烈になってくる。これらの青年たちの関心は、ますますスポーツに奪われ、それが人生の大目的であるかのように思ってしまう。そして、怠惰、放縦の癖がつき、堅実なクリスチャンになる望みがなくなってしまう。 COL 1205.2

また、真理のとりででなければならない教会までが、人々の快楽追求心を助長しているのを見受ける。宗教的目的のために資金を募集するにも、多くの教会は、どんな手段に訴えるであろうか。 COL 1205.3

それには、バザーとか、夕食会とか、小間物市とか、あるいは宝くじといった方法さえとられている。神を礼拝するためにささげられた場所が、こうして飲み食いや売買のためや、娯楽などのために汚されている。神の家に対する敬意と、神の礼拝に対する敬虔な態度とが青年たちの心から失われていくのである。自制の力は弱まる。我欲、食欲、外見の虚飾などは、強く人の心を捕らえ、彼らがほしいままな生活をしているうちに、ますます深みに落ちこんでいくのである。 COL 1205.4

快楽と娯楽の追求は、都会を中心に行われている。都会のほうが便利なので、子供たちの住居を都会に選ぶ親が多くいるが、やがて彼らの期待は裏切られ、彼らがあやまちに気づいた時には、すでに遅すぎるのである。今日の都会は、急速にソドムとゴモラのようになっている。多くの休日は、怠惰を助長している。刺激の強いスポーツ、劇場、競馬、かけ事、酒、宴会などは、種々の欲情を極度に刺激する。青年たちは、このような風潮に感化されている。ただ自分の娯楽のみを追求する者は、潮のように寄せてくる誘惑に門を開いている。彼らは、社交上の歓楽や前後をわきまえない遊興にふけっている。こうした快楽を愛する人々との交際は、彼らの心を陶酔状態におとしいれている。彼らは、1つの道楽から次の道楽へと誘いこまれて、ついには、有用な生活を送りたいという希望も能力も失ってしまう。彼らの宗教的願望は冷えきって、霊的生活はやみに閉ざされる。人の心のけだかい能力と、人を霊的世界に結びつけるものとがことごとく低下してしまう。 COL 1205.5

時には、こうしたことの愚かさを悟って悔い改める者もある。神は、彼らをお赦しになることに変わりはない。しかし、彼らは、自分自身の魂を傷つけ、一生の間、自分の身を危険にさらしてきたのである。彼らは、善悪に対して鋭敏な識別力をもっているべきなのに、その大半が破壊されて、聖霊の導きの声を認めたり、また、サタンの策略を見破ることができないまでに鈍くなった。危険にさらされた時、ともすると誘惑におちいり、神から離れてしまうのである。こうして、快楽を追求していく果ては、現世においても、また、来世においても破滅以外の何ものでもないのである。 COL 1205.6

サタンが人の魂をおとしいれようとして、人生のゲームで打った手は、世の心づかい、富、快楽である。「世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世 を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである」と警告されている(Ⅰヨハネ2:15、16)。「あなたがたが放縦や、泥酔、世の煩いのために、心が鈍」らないように、「よく注意していなさい」と、手にとるように人の心を読まれる方が言われるのである(ルカ21:34)。使徒パウロも聖霊に感じて書いている。「富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした」(Ⅰテモテ6:9、10) COL 1205.7