各時代の希望
第80章 ヨセフの墓の中に
ついに、イエスは休まれた。屈辱と拷問の長い日が終った。夕日の最後の光線が安息日の到来を告げた時、神のみ子は、ヨセフの墓の静けさの中に横たわっておられた。ご自分の働きを完成し、沈黙のうちに手を組んで、イエスは、安息日の聖なる時間を休まれた。 DA 1082.3
世の始めに、天父とみ子は、創造の働きののちに安息日を休まれた。「天と地と、その万象とが完成した」時、創造主は天のすべての住民とその輝かしい光景をながめて喜ばれた(創世記2:1)。「かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった」のであった(ヨブ38:7)。今イエスは、あがないの働きを休まれた。この地上でイエスを愛した人々の間には悲しみがあったが、天には喜びがあった。天の住民たちの目には、未来の約束が輝かしくうつった。回復された被造物、あがなわれた人類は、罪を征服してしまったので、もう決して堕落することがないのである。神と天使たちは、キリストの完成された働きから生じるこの結果をごらんになった。キリストが休まれた日は永遠にこの光景に結ばれている。なぜなら、「そのみわざは全く」、「すべて神がなさる事は永遠に変ることがな」いからである(申命記32:4、伝道の書3:14)。「神が聖なる預言者たちの口をとおして、昔から預言しておられた万物更新の時」になっても、創造の安息日、すなわちイエスがヨセフの墓で休まれたこの日は、やはり休息と喜びの日となるのである(使徒行伝3:21)。救われた諸国の民が「安息日ごとに」よろこびの礼拝をもって神と小羊を拝する時、天と地は声を合わせて賛美するのである(イザヤ66:23)。 DA 1082.4
十字架の日の最後の場面で、預言の成就について新たな証拠が与えられ、キリストの神性について新しいあかしがたてられた。十字架のまわりの暗黒が晴れ、救い主の臨終の叫びが発せられた時、すぐに別な声が、「まことに、この人は神の子であった」というのが聞かれた(マタイ27:54)。 DA 1082.5
このことばはささやくような調子で言われたのではなかった。みんなの目は、どこからこのことばが聞こえてきたのかを見ようとしてふりかえった。誰がしゃべったのだろう。それはローマの軍人、百卒長であった。救い主のとうとい忍耐、主が勝利の叫びを口にされると同時に突然に死なれたことが、この異邦人を感動させたのであった。十字架にかかっている傷つき破れた肉体に、百卒長は神のみ子の姿をみとめた。彼は信仰を告白しないではいられなかった。こうして、あがない主がご自分の魂の苦しみの結果をみられるという証拠がまた与えられた。キリストが死なれたその日に、お互いにまったく異なった立場の3 人、すなわちローマの警備兵を指揮していた者と、救い主の十字架をかついだ者と、キリストのかたわらで十字架上に死んだ者とが信仰を宣言したのであった。 DA 1082.6
夜が近づくと、この世ならぬ静けさがカルバリーをおおった。群衆は散り、多くの者が朝とはまったくちがった気持ちでエルサレムへ帰って行った。多くの者が十字架の処刑に集まったのは好奇心からであって、キリストに対する憎しみからではなかった。それでも彼らは、祭司たちの非難を信じていて、キリストを悪人とみなしていた。異常な興奮のうちに彼らは暴徒たちといっしょにキリストをののしった。しかし地が暗黒に包まれると、彼らは自分の良心にとがめられ、大変な悪事を犯したという思いに責められた。あの恐るべき暗黒のさなかにあって、からかいやあざけりの笑い声は聞かれなかった。そして暗黒が晴れると、彼らは厳粛な沈黙のうちに家路についた。彼らは、祭司たちの非難がうそであって、イエスは詐欺師ではないと確信した。それから数週間たって、ペアロがペンテコステの日に説教した時、彼らはキリストへの改心者となった幾千の人々の中に加わった。 DA 1083.1
しかしユダヤ人の指導者たちは、そうした出来事を目撃しても変わらなかった。イエスに対する彼らの憎しみは減らなかった。祭司たちと役人たちの心をまだおおっていた暗黒は、キリストが十字架につけられた時に地をおおった暗黒よりも深かった。 DA 1083.2
キリストの誕生の時に、星はキリストを知っていて、キリストの寝ておられるうまぶねに博士たちをみちびいた。天使の軍勢はキリストを知っていて、ベツレヘムの丘の上でキリストをたたえて歌った。海はキリストの声を知っていて、その命令に従った。病気と死はキリストの権威をみとめて、そのとりこをキリストに引き渡した。太陽はキリストを知っていて、その臨終の苦しみを見て光の顔をおおった。岩はキリストを知っていて、その叫びに身ぶるいしてばらばらにくだけた。自然界はキリストを知っていて、その神性についてあかしをたてた。しかしイスラエルの祭司たちと役人たちは神のみ子を知らなかった。 DA 1083.3
それでも祭司たちと役人たちは安心しなかった。彼らはキリストを死刑にする計画を実行した。だが期待していたような勝利感は味わえなかった。勝利に見えた時にさえ、こんどは何が起こるだろうかという疑いに苦しめられた。彼らは、「すべてが終った」「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」との叫びを聞いた(ヨハネ19:30、ルカ23:46)。彼らは岩が裂けるのを見、大きな地震を感じたので、心が落ちつかず、不安であった。 DA 1083.4
彼らは、キリストが生きておられた時には、民衆に対するキリストの勢力をねたんだが、死なれてもまだキリストをねたんでいた。彼らは、生きておられたキリストを恐れていたよりも死なれたキリストをもっと恐れた。彼らはキリストの十字架にともなう出来事に民衆の注意がこれ以上向けられるのを恐れた。彼らはその日の働きの結果を恐れた。どんなことがあっても安息日の間中キリストの体を十字架上に残しておきたくなかった。安息日はもう近づいていた。体が十字架上にさがったままにしておくことは安息、日の神聖を犯すことになるのであった。そこで有力なユダヤ人たちは、そのことを口実にして、犠牲者たちの死を早め、太陽が沈まないうちにその体を片づけさせてもらいたいと、ピラトに願い出た。 DA 1083.5
ピラトも彼らと同じく、イエスの体を十字架上に残したくなかった。ピラトの承諾が得られると、死を早めるために2人のどろぼうの足が折られたが、イエスはすでに死んでおられることがわかった。 DA 1083.6
粗暴な兵士たちは、キリストについて見たり聞いたりしたことで心を和らげられていたので、キリストの足を折ることをひかえた。こうして、神の小羊がささげられたことによって、過越節の律法が成就された。「これを少しでも朝まで残しておいてはならない。またその骨は1本でも折ってはならない。過越の祭のすべての定めにしたがってこれを行わなければならない」(民数記9:12)。 DA 1083.7
祭司たちと役人たちはキリストが死なれたことを知って驚いた。十字架による死は長引くのであった。いつ息がたえたかを決定するのは困難であっ た。誰でも十字架につけられて6時間以内に死ぬということは例のないことであった。祭司たちはイエスの死を確かめたいと思った。そこで彼らに言われて、1人の兵士が救い主の脇腹にやりを突きさした。するとその傷口から、血と水がおびただしいはっきりした二筋となって流れた。目撃者たちの全部がそれをみとめたが、ヨハネはこの出来事をはっきり述べてこう言っている。「ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたがたも信ずるようになるためである。これらのことが起ったのは、『その骨はくだかれないであろう』との聖書の言葉が、成就するためである。また聖書のほかのところに、『彼らは自分が刺し通した者を見るであろう』とある」(ヨハネ19:34~37)。 DA 1083.8
キリストの復活後、祭司たちと役人たちは、キリストは十字架上で死なれたのではなく、失神されただけであとから息を吹き返されたのだといううわさをまきちらした。もう1つのうわさは、墓におかれたのは骨と肉のある本当の肉体ではなくて、肉体に見せかけたものであったという主張であった。ローマの兵士たちの行為は、これらの虚偽を証明している。彼らはイエスがすでに死んでおられたので、その足を折らなかった。祭司たちを満足させるために彼らはイエスの脇腹を突き刺した。もし生命がまだたえていなかったら、イエスはその傷で即死されたであろう。 DA 1084.1
しかしイエスの死の原因はやりで突かれたことでもなければ、十字架の苦痛でもなかった。死の瞬間にイエスが「大声」で叫ばれたことと、その脇腹から血と水が流れ出たことは、イエスが心臓の破裂でなくなられたことを物語っていた(マタイ27:50、ルカ23:46)。イエスの心臓は精神的な苦悩のために破裂したのである。彼は世の罪によって殺されたのであった。 DA 1084.2
キリストの死とともに弟子たちの望みは滅びた。彼らはキリストのとじられたまぶたとうなだれた頭、血のからみついた髪の毛、刺し通された手と足を見た時、その苦痛は言い表しようがなかった。最後まで、彼らは、イエスが死なれるとは信じていなかった。彼らはイエスが本当に死なれるとは信じることができなかった。悲しみに圧倒されてしまって、彼らは、この光景を予告されたイエスのみことばを思い出さなかった。イエスの言われたことがいまは何1つ彼らの慰めにならなかった。彼らは、十字架と、血を流しておられる犠牲者しか見なかった。前途は絶望で暗くみえた。イエスに対する彼らの信仰は滅びた、しかし彼らは、今ほど主を愛したことはなかった。今ほどイエスの価値、イエスにいていただく必要を感じたことはなかった。 DA 1084.3
死んでおられても、キリストのお体は弟子たちにとって非常に大切だった。彼らはイエスを手厚く葬りたいと願ったが、どうしたらそれを実現できるかわからなかった。ローマ政府に対する反逆というのがイエスに対する有罪の宣告であって、この罪科のために処刑された者は、このような犯罪人のために特に設けられている埋葬場に引き渡されるのだった。弟子のヨハネは、ガリラヤの女たちと十字架のそばに残っていた。彼らは、主のお体が冷酷な兵士たちの手で扱われ、不名誉な墓に葬られるままにしておくことができなかった。そうかといって、それを防止することもできなかった。彼らはユダヤ当局の好意にすがることも、ピラトに便宜をはかってもらうこともできなかった。 DA 1084.4
この危急に、アリマタヤのヨセフとニコデモが弟子たちの助けに現れた。この人たちは2人ともサンヒドリンの議員でピラトを知っていた。2人とも富裕で勢力のある人たちだった。彼らはイエスのお体をりっぱに埋葬しようと決心していた。 DA 1084.5
ヨセフは大胆にピラトのところへ行って、イエスの体を引き渡してもらいたいとたのんだ。初めてピラトは、イエスが本当に死なれたことを知った。十字架の処刑に伴ういろいろな出来事についてつじつまの合わない知らせが彼の耳にはいっていたが、キリストの死の真相はわざと彼にかくしてあった。ビラトは、 キリストの体について弟子たちからだまされないようにと祭司たちや役人たちから注意を受けていた。ヨセフのたのみを聞くと、ピラトはさっそく十字架の責任を持っていた百卒長を迎えにやり、はっきりイエスの死を知った。彼はまた百卒長からカルバリーの模様を聞き出し、ヨセフの証言を確認した。 DA 1084.6
ヨセフの願いは許された。ヨハネが主の埋葬について心配していると、ヨセフがキリストの体についてのピラトの命令をもって帰ってきた。またニコデモは、キリストのお体の防腐処置のために、「没薬と沈香とをまぜたものを100斤ほど持ってきた」(ヨハネ19:39)。エルサレム中のどんなえらい人でも、死んでこれほどの尊敬を受けることはできなかったであろう。弟子たちは、こうした富裕な役人たちが、主の埋葬に自分たちと同じように関心をもっているのを見て驚いた。 DA 1085.1
ヨセフもニコデモも、救い主の在世中には、公然と主を受け入れなかった。もしそのようなことをすれば、サンヒドリンから除名されることがわかっていた。彼らは会議のときに自分たちの勢力によってイエスを守ろうと望んでいたのだった。しばらくはそれがうまくいっているようにみえた。しかし陰険な祭司たちは、キリストに対する彼らの好意をみて、その計画を妨害した。彼らがいないところで、イエスは有罪を宣告され、十字架につけるために引き渡された。キリストがなくなられたからには、彼らはもうキリストへの愛着をかくさなかった。弟子たちがキリストに従う者であることを公然と示すことを恐れたときに、ヨセフとニコデモは大胆に彼らを助けにやってきた。このような富裕で高貴な身分の人たちの助けがこの時非常に必要だった。彼らは、死なれた主のために、貧しい弟子たちができないことをすることができた。それに彼らの富と勢力は、祭司たちと役人たちの悪意から彼らを守るのに非常に役立った。 DA 1085.2
ていねいに、うやうやしく、彼らは、自分たちの手でイエスのお体を十字架からおろした。傷つき破れた主のお体を見た時、同情の涙が走り落ちた。ヨセフは、岩に堀られた新しい墓を持っていた。これは自分のためにとっておいたものであったが、カルバリーの近くにあったので、いま彼はその墓をイエスのために準備した。主のお体は、ニコデモが持ってきた香料といっしょに念入りに亜麻布でまかれ、あがない主は墓にはこばれた。そこで3人の弟子たちは、傷ついた主の足をまっすぐにのばし、破れたその両手を息のたえた胸の上に組み合わせた。ガリラヤの女たちがやってきて、愛する師のなきがらの処置に手落ちがないように気をくばった。それから彼らは、重い石が墓の入口にころがされて、救い主が休まれたままにおいておかれるのを見た。女たちは最後まで十字架の下に残り、最後までキリストの墓に残った。たそがれの影が濃くなってきても、マグダラのマリヤとほかのマリヤたちは、主の休まれた場所のあたりを立ち去りかねて、愛するお方の運命に悲しみの涙を流した。「そして帰って、……それからおきてに従って安息日を休んだ」(ルカ23:56)。 DA 1085.3
それは、悲しみの弟子たちにとって、また祭司たち、役人たち、律法学者たち、民にとって、忘れることのできない安息日であった。備え日の夕暮れの太陽が沈むと、ラッパが吹き鳴らされて安息日が始まったことを告げた。過越節はキリストをさし示しているのであるが、当のキリストが悪人どもの手で殺され、ヨセブの墓に横たわっておられるのに、それはこれまでの何百年と同じように守られた。安息日に、宮の庭は礼拝者でいっぱいだった。ゴルゴタから帰ってきた大祭司は、美しい祭司服をつけて、そこにいた。白い帽子をつけて祭司たちは活発に彼らの務めを行った。しかしそこにいた人々の中には、牛や小羊の血が罪のためにささげられても、心が休まらない人たちがいた。 DA 1085.4
彼らは、型が本体に合い、世の罪のために無限の犠牲がささげられたことに気がっいていなかった。彼らは儀式を行うことにもはや価値がないことを知っていなかった。しかしこの儀式がこんなちぐはぐな気持ちで見られたことはなかった。ラッパと楽器と歌手たちの声に、いつものように高くはっきりしていた。しかしどれにも奇妙な感じがみなぎっていた。そこ に起こったふしぎな出来事についてだれもが口々にたずねた。これまで至聖所は人々が入りこまないように神聖に守護されていた。ところが今それは誰の目にもまる見えであった。純粋な亜麻で作られ、金色、赤、紫の美しいししゅうの施された厚いつつれにしきの幕がてっぺんから下まで裂けていた。エホバが大祭司とお会いになって、その栄光を伝えられた場所、神の聖なる謁見室がだれの目にもむき出しにされていた。それはもはや主によってみとめられた場所ではなかった。祭司たちは暗い予感を味わいながら祭壇の前で奉仕した。至聖所の聖なる神秘がむき出しになったことが、彼らの心にきたるべきわざわいについての恐れを満たした。 DA 1085.5
多くの人々の心はカルバリーの光景によってひき起こされた思いに忙しかった。十字架の処刑から復活までの間、その時自分たちが祝っていた祭の意味を十分に知ろうとして、あるいはイエスが主張された通りのお方ではないという証拠をみつけようとして、多くの油断のない目がたえず預言を調べていた。またほかの人たちは後悔の思いをもって、イエスが真のメシヤであるという証拠を調べていた。異なった目的を頭にもって調べてはいたが、どの人も同じ事実を確信した。すなわちそれは、過ぐる数日間の出来事を通して預言が成就したということ、また十字架につけられたお方は世のあがない主であるということであった。その時儀式に加わっていた多くの者は決してふたたび過越の儀式にあずからなかった。多くの者が、祭司たちでさえ、イエスの真の性格をさとった。彼らが預言を調べたことはむだではなく、キリストの復活後、彼らはイエスを神のみ子として認めた。 DA 1086.1
ニコデモは、イエスが十字架にあげられるのを見た時、オリブ山で夜語られたイエスのみことばを思い出した。「ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:14、15)。キリストが墓に横たわっておられたその安息日に、ニコデモは反省の機会があった。今もっとはっきりした1つの光が彼の思いを照らし、イエスが彼に語られたことばはもはや神秘的ではなかった。彼は、救い主の在世中に主と結合しなかったことによって多くのものを失ったことを感じた。いま彼はカルバリーの出来事を思い起こした。殺人者たちのためのキリストの祈りと、死にかけているどろぼうの嘆願に対するキリストの答が、学識のあるこの議員の心に語りかけた。ふたたび彼は苦悶のうちにあられる救い主を見あげた。ふたたび彼は、勝利者のことばのように語られたあの「すべてが終った」という最後の叫びを聞いた。ふたたび彼は揺れる大地と、暗くなった空と、裂けた幕と、ふるえる岩を見、彼の信仰は永久に定まった。弟子たちの望みを滅ぼしたその出来事が、ヨセフとニコデモにイエスの神性を確信させた。彼らの恐れは、固い、ゆるがない信仰の勇気によって征服された。 DA 1086.2
キリストは、墓に横たわっておられる今ほど群衆の注意をひかれたことはなかった。いつもの習慣通り、人々は病人や苦しんでいる者たちを宮の庭に連れてきて、「ナザレのイエスはどうなさったのか」とたずねた。多くの者が、病人をいやし死人をよみがえらせられたイエスをみつけ出そうと遠くからやってきていた。医者のキリストに会わせてくれとの叫びがいたるところで聞かれた。祭司たちはこの機会をのがさず、重いひふ病の徴候があると思われる人たちを検査した。多くの人たちが、自分の夫、妻あるいは子供らが思いひふ病と断定され、家庭の保護と友人たちの見守りから離れて、「汚れた者、汚れた者」との悲しい叫び声で知らない人を避ける運命を宣告されるのを聞かねばならなかった。ハンセン病人にいやしのみ手でさわることを決してこばまれたことのなかったナザレのイエスのやさしい手はその胸の上に組み合わされていた。 DA 1086.3
ハンセン病人の嘆願に、「そうしてあげよう、きよくなれ」との慰めのことばをもって答えられたくちびるは今とざされていた(マタイ8:3)。多くの人たちが、祭司長たちと役人たちに同情と救いを求めたがむなしかった。彼らは生きておられるキリストにもう1度きていただこうと決心しているようだった。根気よく 熱心に、彼らはキリストを求めた。彼らは引き返そうとしなかったが、結局宮の庭から追い払われた。死にかけている病人たちをつれて中へ入れてくれと要求する群衆をおし返すために、どの門にも兵士たちが配置された。 DA 1086.4
救い主にいやしていただこうとやってきた病人たちは失望の底に沈んだ。街路は悲嘆の声に満ちた。イエスのいやしのみ手にふれていただくことができなくて、病人は死にかけていた。医者たちに見てもらってもだめだった。ヨセフの墓に横たわっておられるイエスのような手腕はなかった。 DA 1087.1
苦しんでいる者たちの悲嘆の叫び声は、大いなる光がこの世から消えたことを多くの人々の心に確信させた。キリストがおられなければ、この世は暗やみであった。「十字架につけよ、彼を十字架につけよ」との叫び声をあげた多くの人々が、今やわざわいが彼らの上にふりかかったことに気づき、キリストがまだ生きておられたら、「われらにイエスを与えよ」と叫んだであろう。 DA 1087.2
イエスが祭司たちから死刑にされたことがわかると、人々はイエスの死についてたずねた。イエスの裁判の詳細はできるだけ内密にされていた。しかしイエスが墓におられる間に、その名は幾千の人々の口にのぼり、イエスが不正な裁判を受けられたことや、祭司たちと役人たちの非人間ぶりについて、うわさがいたるところにひろまった。祭司たちと役人たちは、知識人たちから、メシヤに関する旧約の預言について説明を求められた。答えをうそで固めようとしているうちに、彼らは正気ではない人間のようになった。彼らはキリストの苦難と死をさし示している預言を、説明できなかった。こうして多くの質問者たちは、聖書が成就されたことを確信した。 DA 1087.3
祭司たちが快感を予期していた復讐はすでに彼らにとってにがいものとなった。彼らは人々の激しい非難に当面していることを知った。イエスに反対するように圧力をかけられた人たちが、自分たちの恥ずべき行為に今やにがにがしい思いを味わっていることを彼らは知った。これらの祭司たちはイエスが詐欺師であると信じようとしたのだった。しかしそれはむだだった。彼らのうちのある人たちはラザロの墓のそばに立ち、死人がいのちによみがえらされるのを見たのだった。彼らはイエスが自ら死からよみがえって、ふたたび彼らの前に現れるのではないかとの恐れにうちふるえた。彼らはイエスがわたしには自分のいのちを捨てる力があり、またそれを受ける力があると宣言されるのを聞いたことがあった(ヨハネ10:18参照)。彼らはイエスが、「この神殿をこわしたら、わたしは3日のうちに、それを起すであろう」と言われたのをおぼえていた(ヨハネ2:19)。ユダは、イエスがエルサレムへの最後の旅の道中で、弟子たちに次のように言われたことばを彼らに語ったことがあった。「見よ、わたしたちはエルサレムヘ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に渡されるであろう。彼らは彼に死刑を宣告し、そして彼をあざけり、むち打ち、十字架につけさせるために、異邦人に引きわたすであろう。そして彼は3日目によみがえるであろう」(マタイ20:18、19)。このことばを聞いた時、彼らは嘲笑した。しかしいま彼らは、キリストの予告がここまで実現したことを思い出した。あの人は3日目によみがえると言ったが、それが実現しないとはだれも言いきれない。彼らは、そうした思いを払いのけたいと思ったが、払いのけることができなかった。彼らの父、悪魔と同じように、彼らは信じておののいた。 DA 1087.4
いま狂気のような興奮がすぎ去ってみると、キリストの面影が彼らの心に浮かびあがってくるのだった。彼らはキリストが、ひと言のつぶやきもなく彼らの嘲笑と虐待に耐えながら、平静に文句も言わず敵の前に立っておられるのを見た。イエスの裁判と十字架のすべての出来事が、彼は神のみ子であるという圧倒的な確信を伴って彼らにもどってきた。彼らはイエスがいまにも彼らの前に現れて、訴えられた者が訴える者となり、有罪を宣告された者が有罪を宣告する者となり、殺された者が殺人者たちの死刑を法に照らして要求されるのではないかと恐れた。 DA 1087.5
その安息日、彼らはじっとしていることができなかった。彼らは、けがれを恐れて異邦人のしきいをま たこうとはしなかったが、キリストの体について相談した。彼らが十字架につけたキリストを、死と墓がとどめていなくてはならない。「祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのもとに集まって言った、『長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、「3日の後に自分はよみがえる」と言ったのを、思い出しました。ですから、3日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、「イエスは死人の中から、よみがえった」と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう』。ピラトは彼らに言った、『番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい』」(マタイ27:62~65)。 DA 1087.6
祭司たちは、墓場を守るように指示を与えた、入口の前に大きな石がおかれていた。彼らはこの石の上にひもを張り渡して両端を岩に固定し、ローマの印で封印した。封印を破らなければその石を動かすことができなかった。それから墓をこじあけられないように、周囲に百人の番兵が配置された。祭司たちは、キリストの体を、その置かれたところにおいておくためにあらゆる手を尽くした。キリストは、永遠に墓の中にとどめておかれるかのように、厳重にそこに封印されていた。 DA 1088.1
このように、弱い人間たちは相談し、計画した。殺人者たちは、自分たちの努力のむなしさに気がつかなかった。しかし、彼らの行為によって神があがめられた。キリストの復活を予防するためにとられた手段そのものが、キリストの復活の証拠について最も有力な議論である。墓の周囲におかれた番兵の数が多ければ多いほど、キリストがよみがえられたというあかしは一層強力になる。キリストの死の何百年も前に、聖霊は詩篇記者を通してこう宣言された。 DA 1088.2
「なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。地のもろもろの王は立ち構え、もろもろのつかさはともに、はかり、主とその油そそがれた者とに逆らって言う……天に座する者は笑い、主は彼らをあざけられるであろう」(詩篇2:1~4)。生命の主を墓の中にとじこめておくには、ローマの番兵もローマの軍隊も無力であった。キリストがとき放たれる時が迫っていた。 DA 1088.3